
湯澤 規子
2026年09月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2026年09月01日 |
湯澤 規子 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.139) |
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やっぱり、きつねうどん
きつね顔とたぬき顔、どちらかと聞かれれば、私の顔はたぬき顔。けれども食べものではきつねうどんとお稲荷さんが好きだ。
大阪の胃袋を携えて関東に引っ越してきた我が家は関東風の色の濃いお出汁に恐れおののき、まずはとにかく関西風のおうどんが食べられる場所を探し求め、ようやく買い物に行く途中のビルの谷間で「屋島」と看板を掲げるおうどん屋さんにたどり着いた。香川県の「屋島」から名前をとった店と推測して中に入ると、思った通り関西風のお出汁の香りがふんわりと私たちの胃袋を包み込んだ。
それから何年通っただろう。帰りがけに眼鏡型のフルタ製菓のチョコレートがもらえるのが楽しみだった小学生の頃から、それがもらえなくなって大人へ一歩近づいたと実感した中高生の頃、一人暮らしを始めた大学生の頃も帰省の折に足を運んだので、かれこれ20年以上は通ったことになる。
そこで私は決まって「きつねうどん」を食べていた。おにぎりとお香々がつく「うどん定食」、具沢山の「なべ焼きうどん」などもあり、母に「遠慮せんと、たまにはちごたん、食べたらええのに」と言われても、やっぱり「きつねうどん」なのだった。くたくたに煮たお揚げさんからじゅわりと甘辛い汁が口いっぱいに広がるあの至福に代わるものがないと思っていたからだ。
たこ焼き、お好み焼きにならんで、きつねうどんは大阪の味には欠かせない。船場のうどん屋「松葉家(現・うさみ亭マツバヤ)」について書かれた『きつねうどん口伝』という魅力的な一書があって[*1]、それによれば松葉家の初代は松屋町筋にあった「たこ竹」に奉公した後独立し、松葉家を始めた。寿司で有名な「たこ竹」は、かつてはもうひとつ別にうどん屋も営んでいた。そんな縁もあり、稲荷ずしからヒントを得て素うどんに甘辛く煮たお揚げさんを添えたところ、お客さんがうどんにのせて食べるようになり、きつねうどんが誕生したのだとか。
[*1]宇佐美辰一・三好広一郎・三好つや子『きつねうどん口伝』1991年、筑摩書房、15〜16頁。
情報誌CEL