
情報誌CEL
写真家と大阪 第3回 森山大道
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備考 |
2025年09月01日
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畑中 章宏 |
都市・コミュニティ
住まい・生活
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まちづくり
地域活性化
ライフスタイル
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情報誌CEL
(Vol.137) |
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日本の写真史にその名を刻んだ大阪の偉大な写真家たち。
その写真家が写し出した作品から、大阪の都市の様相を振り返る。
第3回は森山大道の《大阪 地下鉄天王寺駅》。
写真家としての出発は大阪から
森山大道(1938〜)は、国際的にも高い評価を受ける、現代日本を代表する写真家のひとり。大阪府池田市に生まれるが、父親の転勤で各地を転々とし、広島、島根、千葉、東京などで育ち、小学校5年のとき大阪に戻った。
大阪市立工芸高等学校図案科(二部)を中退し、1950年代後半からフリーの商業デザイナーとして、大阪市中央区平野町に事務所を設立。その後、大阪在住の写真家・岩宮武二のスタジオにアシスタントとして入った。岩宮の紹介で写真家集団「VIVO」に参加するため上京したが、参加直前に解散したため、細江英公の助手となる。フリー写真家に転身後、雑誌『カメラ毎日』に発表した『にっぽん劇場』シリーズなどが評価され、日本写真批評家協会新人賞を受賞する。1968年、中平卓馬に誘われ、雑誌『Provoke(プロヴォーク)』に第2号より参加する。70年代以降は『狩人』『写真よさようなら』など傑作写真集を刊行し続けている。
上京後初めて、故郷大阪を被写体に
森山は上京後、故郷である"大阪"を強いて被写体にしてこなかったが、1997年に『Daido Hysteric No.8』を刊行。2007年には前作を増補・再編集したポケットサイズ版の『大阪+』、2016年にも決定版というべき『Osaka』を刊行している。
「若いぼくにとって、心の針はひたすら東京へと指しつづけていた。そして現在、ぼくの心の針は再びぐるりと回転し、大阪の街々へと立ち戻りつつある。それは、大阪に生れたぼくの郷愁であろう。ただ、レンズの向うに映る大阪の街頭は、いまも相変らずしたたかで、いとも簡単にぼくの郷愁を裁ち切ってしまう」(森山大道『大阪+』より)。
写真の大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)御堂筋線天王寺駅は、1938年1号線(御堂筋線)の難波駅―天王寺駅間延伸時に開業した。以来、プラットホームの天井から吊り下がるシャンデリアは、80年以上にわたって、天王寺・あべののシンボルとして親しまれてきた。