
情報誌CEL
情動社会のネガティブ・リテラシーのために ――「伝えること/伝わること」のメディア史的考察
作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
2025年09月01日
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佐藤 卓己 |
住まい・生活
都市・コミュニティ
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ライフスタイル
コミュニティ・デザイン
消費生活
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情報誌CEL
(Vol.137) |
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「伝えること/伝わること」の構造が変化した現代、AIとSNSが普及した社会は情報の真偽よりも感情への影響力が重視される「情動社会」へと変化している。
誰もが発信者となった時代に求められるのは、情報を瞬時に判断する批判的思考力ではなく、あいまいさに耐える「ネガティブ・リテラシー」だ。
メディア史研究の第一人者である佐藤卓己氏が、メディア史の視点から解説する。
1.「情動社会」を生き抜くためのメディア史的思考
多くのメディア研究者は、私自身をふくめ未来社会を読み間違えていた。農業化、工業化の次に来る「第三の波」は情報化だ、と多くの論者が唱えてきた。そこで実現するのは、情報社会。つまり、知識産業で頭脳労働に従事する智民たちの理性的な社会としてイメージされていた。だが、私たちがいま直面しているのは、人間的というより動物的な情動社会である。
この情動社会では関心経済と感情労働の認知資本主義が世界を覆っている。文書作成や翻訳要約など知的労働の多くがAI(人工知能)に委ねられる以上、情報処理のIQ(知能)より対人対応のEI(感情知能)が重視されるのは必然である。対話形式も手紙による文通とX(旧Twitter)の違いが典型的に示すように、意味の理解で合意をめざす文脈依存型コミュニケーションから、共感の持続だけを目的に「いいね」ボタンを押す接続依存型コミュニケーションへと変化した。
20世紀末から喧伝された「Eデモクラシー」も電子民主主義(electronic democracy)ではなく、感情民主主義(emotional democracy)の略語だったことになる。この感情民主主義ではメッセージ(内容)の真/偽は問題とされず、「もう一つの事実(alternative facts)」に向き合うメディア(媒体)の信/疑だけが争点化されている。
国際政治においても、20世紀の思想戦は21世紀の認知戦へと情動論的転回を遂げた。そこではもはや言語化された「正義」「自由」「平等」などの理念を介することなく、快/不快の生理に直接働きかけるプロパガンダが展開されている。