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情報誌CEL

湯澤 規子

2021年11月01日

大阪の胃袋 第4回 故郷の面影を食べる −尾鷲から来る魚と人の物語

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備考

2021年11月01日

湯澤 規子

都市・コミュニティ
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情報誌CEL (Vol.129)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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ほな、行こか――市場という場所

「今思えば、あれは、きっと息抜き、まぁレクリエーションみたいなもんやったんやなァ」と母はしみじみ思い出すようにつぶやいた。「あれは」とは、祖母がいそいそと近所に住む大伯母と連れ立って市場へ買い物に行くことである。祖母は祖父と小間物問屋を営んでいたから、仕事がひと段落する頃合いを見計らって市場に向かうことが常だった。

自宅を兼ねた店を出ると、商業高校の周りに植えられたネズミモチの木の生け垣が見える。その生け垣に沿って南に少し歩くと関東煮やパンを売る大伯母の商店があって、祖母と大伯母は「ほな、行こか」と声を掛け合い、エプロンにちびた下駄、買い物籠を腕に掛けた恰好で、昼下がりの阪南道路を歩いて行くのである。

店の仕事からしばし解放されて、二人の足取りは軽やかだったに違いない。ほどなく、露店が立ち並ぶ賑わいが聞こえてくる。さらに歩くと常設店舗がひしめく市場があって、当時は女だらけ、大阪のおばちゃんだらけの世界が繰り広げられていた。ここが彼女たちの日々の息抜きの場だった、というわけである。

尾鷲の魚屋――三重と大阪をつなぐ「鮮魚列車」

市場の手前で開かれている露店の中には様々な商売が並んでいたが、週に二日だけ、大きなブリキ缶に活きの良い魚を入れて運んでくるおばちゃんが来るのを祖母は楽しみにしていた。その日の夕食には決まって「今日は美味しい魚やで」というひと言と共に、魚料理がちゃぶ台にのぼった。その魚屋は三重県の尾鷲から来るというので、当時、中学生くらいだった母は「どうやってここまで来てるんやろ……」と不思議でしょうがなかったという。

尾鷲から大阪に来るということは、紀伊半島の付け根を東から西へ、伊賀の山中を越えなければならない。そんな魚の流通ルートが本当にあったのだろうか。

調べてみると、まさにそのルートで近鉄が松阪駅から大阪上本町駅の間に「鮮魚列車」という車両を走らせていたことがわかった[*]。その列車は昭和38年から走り始めたらしい。じつはそれ以前から、ブリキ缶に氷と鮮魚を入れて伊勢から大阪へ運ぶ人びとが存在していたが、右肩上がりに乗客数が伸びる経済成長の時代、魚の臭いや汚れに対する苦情が出るようになり、貸し切りの専用車両が運行されるようになったのである。その車両の借り主は「伊勢志摩魚行商組合連合会」という団体であった。ブリキ缶を担いで集団で列車に乗るこの行商人たちは「カンカン部隊」とも呼ばれ、朝獲れた魚をその日のうちに大阪に届ける確固とした流通を担っていた。つまり、祖母が心待ちにしていた、露店で魚を商う女性もその一人だった、ということになる。


* 山本志乃『行商列車――〈カンカン部隊〉を追いかけて』創元社、2015年。鮮魚列車についての詳細は同書に依拠した。

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