
歌野 敬
2004年09月30日作成年月日  | 
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                備考  | 
              
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                   2004年09月30日  | 
                歌野 敬  | 
                 エネルギー・環境  | 
                 環境対応  | 
                情報誌CEL (Vol.70)  | 
                
                
                
                
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都市のもつ理不尽さ
過日、熊本の実家に帰り、庭木の手入れをやった。庭木といってもたかだか八十坪の屋敷の庭で大した木があるわけではない。老いた母の一人住まい、手が回らないので剪定だけでなく、後の管理を考え数本は伐採し、すっきりしたいとの母の意向であった。
持参のチェーンソーで梅や椿の大枝を大胆に切り、小枝を剪定鋏で整理していく。剣山のように生い茂った南天など灌木類は数本に整え、邪魔になった木には可哀相だが三本ほど成仏してもらった(もっとも春にはまた新芽が出よう)。剪定・伐採作業は三〇分もかからなかったろう。でも狭い庭地は見る間に木っ端類で埋まってしまった。
問題はその処理である。放置するわけにはいかないのはもちろんだが、捨てる場所などはない。やむなく都会のしきたりに従い、幹・大枝・小枝を切り分け、枝葉を二十から三十センチのサイズに丁寧に切り揃えて束ね、不揃いの枝や落ち葉はビニール袋に押し込んでいく…実に手間のかかる作業だ。一時間ほどで何とか半分近く処理したものの、暑気に堪え難く、これも持ってきた軽トラックの荷台に束ねたものも含め積み込むことにした。ごみステーションに持っていくには量が多過ぎる、十センチ以上はある幹はとても引き取ってもらえそうにない、と考えての上でもある。幸い市のごみ焼却場は近場にあり、以前直接持ち込んだ経験があるからだ。有料だが仕方がない。翌日焼却場に持ち込んだ。お代は八百円であった。
情報誌CEL