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2019年04月05日 by 加茂 みどり

これからの住まいを考える(5)―子どもを育てる家・子どもが育つ家・大人の住む家―


子ども部屋をめぐる諸説

住まいを考える時、もし子育て中の家族であれば、子どもの存在をどのように考えるかは大きな関心事ではないでしょうか。一個人なのか、親の庇護のもとにある未熟な存在なのか。そこまで意識していなくても、子ども部屋をどの程度快適なものにするのか、どのくらいの広さにするのか、大いに迷うところです。

 

子ども部屋については、昔から多く諸説があったようです*1。「住まいを教育的に編成すべき」「子ども部屋を与えるか否かで、子どもが後々立派な人物となるかが左右される」「子どもが自分の管理すべき空間を認識するようになり、結果として子供室を与えられた子どもの自律心が向上する」等、子ども部屋の価値を認め正当化する諸説が、1900年初頭から1980年代にかけて、繰り返されたようです。しかし、東京工業大学・仙田研究室の調査によると、実際に子ども部屋が住まいに急増するのは1978年頃とのことですから*2、その頃になってやっと子ども部屋を作る余裕が国民全体にでてきたのかもしれません。

そして、子ども部屋に関する考え方は、80年代と90年代の境から大きく変化していきます。「子どもに個別化された空間を与えることが家族のコミュニケーションを奪う」として、個室が非行や家庭内暴力、登校拒否、引きこもりを起こしやすくしているという主張が顕著に増えていきます。また、子どもの学力向上の視点からも、リビングなどで勉強をする方がよいとして「子ども部屋の意義を問い直すべき」という主張もあり、現在に至っています。

このような諸説を整理したうえでの高橋*1の考察は興味深いものです。以下の文章で、「開かれた住まい」とは、「子ども部屋のないオープンでワンルーム的な住まい」を指しています。

 

―――「開かれた住まい」で生活する子供にはもはや、 ―かつて子ども部屋という「閉ざされた空間」で生活する子どもが有していた― 親の「まなざし」から逃れる機会、すなわち、逸脱=抵抗の余地は残されていないのである。

―――「開かれた住まい」とは、「行為主体の意図ではなくモニター可能な行動」に焦点を絞った監視を可能とするものといえよう。「開かれた住まい」によって、子どもは逸脱=抵抗しうる身体と内面の自由を奪われ、親から見られ続けることでやがて親の教育意識に同調し、再生産に適合的なハビトゥスを獲得していくことになるだろう。

―――「開かれた住まい」は、親と子どもの間に横たわる権力関係・ヒエラルキーを隠蔽しながら、子どもが自然に学習する姿勢を身に付けることのできる装置として作動する。・・・・・・その開かれた装いとは裏腹の、子どもを再生産の文脈に閉じ込め、階層を閉じていく、空間的な教育装置なのである。

 

オープンで伸び伸びと子どもが育つと紹介される「開かれた住まい」が、実は子どもに対する「新たな監視様式を実現する住まい」であるというのは、驚かされる表現ですが、思い当たる節もあるような気がします。子ども部屋に関する議論は、なかなか終わらないようです。

 

「子どもを育てる家」から「子どもが育つ家」へ

リフォーム前、典型的な「開かれた住まい」だったわが家。子どもに目が行き届きますが、親の負担も大きかったような気がします。住まいはすべて親の管理下にあり、洗濯物をたたむのも母、片付けるのも母。小言を言いながら散らかったモノを片付けるのも母、掃除するのも母。母が忙しい時は、叱りながら子どもにやらせるよりも、自分でやってしまった方が早いのです。また、子どもが散らかしたモノを見続けてイライラするより、片付けてしまった方がストレスもなかったのです。しかしながら子どもの自立度が低いように感じ、それが悩みとなっていました。

私は、子どもの成長のある時期までは、親と子がワンルーム的な住まい方をするとしても、ある年齢に達したら、たとえ完全な個室でなくても、子どもが自分で管理し自由にできる空間があった方がよいと考えています。住まいは、「子どもを育てる家」から、その後「子どもが育つ家」へ、そして「大人の住む家」へ、さらに高齢期の「終の棲家」へと変貌を遂げていくことが望ましいのではないでしょうか。もちろん、都度住み替えるという選択もあります。「子どもを育てる家」は、親子が同じ空間で過ごす「開かれた住まい」。そして「子どもが育つ家」は、「子ども部屋のある家」のイメージです。その境目は子どもが何歳くらいの時でしょうか。それが親の判断の分かれるところなのでしょう。タイミングを間違うと、「家族のコミュニケーションが奪われ、家庭が崩壊する」という説もあるのですから、よく考える必要があります。子どもが1人になれる場所や自分のテリトリーを欲する頃、家庭によって違いはあると思いますが、わが家は小学校高学年から中学生の頃ではないかと判断しました。

 

自分で設える新しい生活

「中京・風の舎(ナカギョウ・カゼノヤ)(設計:三澤文子(Ms建築設計事務所*3)+加茂みどり、施工:(株)夏見工務店*4)では、玄関の土間から直接入れる子ども部屋を設けました。息子は中学生、娘は小学校高学年。個室を与えるちょうどよい時期だと考えました。娘の部屋と私の部屋は、続き間となっているので、独立性はありませんが、自分の居場所と認められる場所です。私は子どもの部屋の管理には、関わらないと決めました。

引っ越す時から、準備を始めました。自分のモノは自分で荷造りをする。そして引っ越した後、部屋に放り込まれたダンボールの荷解きから整理・片付けまで、全部自分でやる。子どもたちは、新しく与えられた部屋で、試行錯誤しながら自分が使い易いように、自分のモノの置き場所を決めていました。少し生活に変化も起きたように思います。今では、子どもたちは自分の洗濯物は自分でたたんで片付けています。

また、玄関土間から直接入れる子どもの部屋には、訪れた友だちが土間から直接入ってきます。友だちが遊びに来ていると、子どもの部屋の前の土間に靴がたくさん並びます。これについての感想は、来てくれたお友だちにしかわかりません。機会があれば、ぜひ訊いてみようと思っています。

(エネルギー・文化研究所 主席研究員 加茂みどり)

 


 

過去のコラムは以下からご覧くださいませ。

(1)中京・風の舎(ナカギョウ・カゼノヤ)」が竣工しました

   http://www.og-cel.jp/column/1268771_15959.html

(2)風の抜ける家―外とつながる暮らし―

   http://www.og-cel.jp/column/1270029_15959.html

(3)ウチであり、ソトでもあり ―領域の重なるところ―

   http://www.og-cel.jp/column/1271032_15959.html

(4)ウチであり、ソトでもあり2 ―縁側のある暮らし―

   http://www.og-cel.jp/column/1274026_15959.html

 

注:

*1 高橋均「住まいの教育的編成言説の変容―「開かれた住まい」のパラドクス―」、参考文献1)pp.134〜158

*2 仙田満「こどもと住宅」、参考文献2)pp.91〜112

*3:Ms建築設計事務所

   http://www.ms-a.com/

:同HP内「中京・風の舎」事例紹介

   http://www.ms-a.com/project/reform-no25.html

*4:株式会社 夏見工務店

   http://kknatsumi.com/

 

参考文献:

1)天童睦子編『育児言説のの社会学―家族・ジェンダー・再生産』世界思想社、2016

2)仙田満『こどもを育む環境、蝕む環境』朝日新聞出版、2018