
八木 匡
2013年03月01日作成年月日  | 
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                   2013年03月01日  | 
                八木 匡  | 
                 都市・コミュニティ  | 
                 地域活性化  | 
                情報誌CEL (Vol.103)  | 
                
                
                
                
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―祭の本質―
2011年10月から12年3月まで放映されたNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」のクライマックスは、病院で開催されたファッションショーの場面といえよう。がんを宣告されて生きる希望を失った女性が、ファッションショーで自らの輝いた姿を、家族を含めた多くの人々に示すことにより、生きることの喜びを思い出し、奇跡的に病気が回復し、幸福な生活を取り戻すというエピソードは非常に示唆的である。カーネーションの舞台となった岸和田は「だんじり祭」で有名であり、ドラマの中でも祭は主人公の精神的支柱として描かれている。祭の日には、主人公の家の前を何百人という男たちによって曳かれただんじりが疾走していく映像が昂揚感を持って映し出され、祭が地域社会の絆をもたらし、郷土愛を醸成していることが伝わってくる。
カーネーションで描かれたファッションショーとだんじり祭は、12年の夏に開催されたロンドンパラリンピックとロンドンオリンピックとも多くの共通性を有している。パラリンピックは、障害を持って生きる人々に生きることの素晴らしさと喜びを与えるとともに、障害の有無を超えて感動の共有をもたらすものである。そして、オリンピックは「最も早く、最も高く、最も強く」をスローガンに、人間の知的・肉体的能力の究極の姿を示す昂揚感溢れる祝祭となっている。カーネーションで描かれた世界とパラリンピックおよびオリンピックとの差異は、ローカルとグローバルとの差異にあるといって良いであろう。ローカルとグローバルとの間で優劣を付けることは適切とはいえず、それぞれの特質を理解することが必要となる。ローカルは、宗教を含めた固有文化および生活そのものとの密接な関係性から価値が生まれ、グローバルは人類共通の価値観と普遍性において大きな価値をもたらすといえよう。
オリンピックおよびパラリンピックは、宗教的差異とか文化的差異を乗り越え、スポーツという普遍的な共通の舞台において究極の人間的能力を競い合うことを通じて、世界の人々が感動と価値観を共有し、絆をもたらす祝祭的な意義を本質的に有しているといえよう。
情報誌CEL