大阪ガスネットワーク

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ

CELは、Daigasグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

  • DaigasGroup

JP/EN

Home > 論文・レポート検索 > 連載 食卓の喜び 第5回 皇妃エリーザベトの食卓のスタイル

論文・レポート検索

Search

情報誌CEL

Dr.Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子

2010年07月01日

連載 食卓の喜び 第5回 皇妃エリーザベトの食卓のスタイル

作成年月日

執筆者名

研究領域

カテゴリー

媒体(Vol.)

備考

2010年07月01日

Dr.Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子

住まい・生活

食生活

情報誌CEL (Vol.93)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。

 ハプスブルク家の美貌の皇妃エリーザベト*(1837−1898)は、ウィーンの厳格な宮廷生活を嫌った。本論では、その皇妃エリーザベトの独自の食のスタイルを紹介する。*Elisabeth のドイツ語原音に近い表記
−ウィーン宮廷とエリーザベト−
 皇妃エリーザベトは、若さとその体型を永遠に保とうと、約50キロという自らの理想の体重を維持するために、数日にも及ぶ断食を繰り返すなど食生活に問題をかかえていたが、食卓において自分のスタイルというものを持っていた。しかし、シェーンブルン宮やイシュル宮などウィーンの厳格な宮廷生活では、宮廷銀器室の食器の使用が決められていた。そのため食卓にエリーザベトの考えを存分に発揮できたのは、ごくプライベートな範囲に限られており、長い間エリーザベトは自分の食器すら持たなかった。フェルディナント前皇帝の妃であるマリア=アンナ皇太后の死後に相続した銀製の旅行用食器、トゥーン工房の陶磁器類、マイヤーホーファー&クリンコシュ社の分厚いガラス食器類や銀食器類は、「ウィーン宮廷好み」そのもので、まったくエリーザベトの好みではなかった。そのことは、夫君フランツ=ヨーゼフ皇帝への贈り物としてエリーザベトが選んだ、ウェッジウッドやミントンのイギリス製の食器がよく示している。
 皇妃は、1890年代、すなわち死のわずか数年前になって、ようやく自らのイメージにふさわしい食器を購入した。厳格なウィーンの宮廷生活を嫌っていたエリーザベトは、しばしば長期の船旅に出かけ、船ではその食器を使用した。エリーザベトが選んだ食器は、ベルンドルフ製の銀でメッキを施したアルパッカで、大変簡素に仕上げられており、一般に手に入れることができるものであった。ただ、王冠を被ったイルカの紋章だけが、その食器の所有者が一般人ではないことを示していた。当時は、まだ金や銀以外の食器は上流社会のものにふさわしくないとされていた。エリーザベトの持ち物であることを示す王冠を被ったイルカの紋章がベルンドルフにあの大いなる名声をもたらしたのである。
 皇妃エリーザベトは、1890年代に、シェーンブルン宮の庭園の一角に農場を作らせ、そこで牛を飼わせた。皇妃の厳しい食事制限のために、生肉をプレスした汁や大量の野菜、新鮮な牛乳や乳製品、卵を必要としたからである。エリーザベトは、その農場に、ハンガリー風のサロンを作らせ、色とりどりに彩色された家具やカーテン、いろいろな種類の牛の絵を置いた。そして、そこに彼女の好みの食器を置かせ、引きこもった。エリーザベトは、ハンガリーの色彩豊かな陶器の皿で食事をし、ベルンドルフ製のカトラリーを使い、簡素なガラス製のグラスでミルクやビールを飲んだのである。皇妃は、故郷のバイエルンからビールを飲む習慣を持ち込んでいた。また、ハンガリー料理のグヤーシュを好み、皇妃専用の小さなグヤーシュ用の鍋も備えられていた。

  • U−CoRo
  • 語りべシアター
  • 都市魅力研究室
  • OMS戯曲賞
Informational Magazine CEL

情報誌CEL

【特集】ウォーカブルの本質を考える

近年、「ウォーカブル」という言葉をよく耳にします。 まちなかを車中心から人中心へ...

バックナンバーを見る
  • 論文・レポート・キーワード検索
  • 書籍・出版
  • 都市魅力研究室
  • FACEBOOK

大阪ガスネットワーク(株)
CEL エネルギー・文化研究所

〒541-0046
大阪市中央区平野町4丁目1番2号

アクセス