
豊田 尚吾
                 
                
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                   2005年03月15日  | 
                
                    豊田 尚吾
                    
                    
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                情報誌CEL (Vol.72)  | 
                
                
                
                
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「日本社会は、将来に希望が持てる人と将来に絶望している人に分裂していくプロセスに入っているのではないか。これを私は『希望格差社会』と名付けたい」(山田、二〇〇四)。
東京学芸大学教授の山田昌弘氏の著書『希望格差社会』が話題になっている。右の文は同書からの引用である。文字通り、国民の間で希望を持つことができる人と、できない人の格差が広がっていく社会の到来を警告したものである。同書は学術書ではないし、タイトルなど奇をてらった部分もないとはいえない。いろいろと反論もできるだろう。とはいえ、その問題提起は「環境問題」にも通じるところがあり、考察するに値する。したがって、この希望格差社会のコンセプトを、本稿なりの切り口で検討してみたい。少し長文となるため、今回と次回の二回に分けて論ずることとする。
問題意識としては、希望格差社会は、誰も望まない社会なのに、なぜ避けられそうにないのか(少なくともそう主張されているのか)。あるいは、避ける方法があるとすればそれは何か、というところにある。多くの人が希望を持てない社会を希望格差社会と言うのならば、「希望が持てる人」にとってもそれは良い社会とは感じられないのではないか。それなのになぜそのような方向性が出てきてしまうのだろうか。これを社会的ジレンマという切り口で捉え、考える。
情報誌CEL