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情報誌CEL

熊倉 功夫

2007年06月30日

CEL TOPICS 日本料理の歴史 (2) 近代の食卓と家族

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2007年06月30日

熊倉 功夫

住まい・生活

食生活

情報誌CEL (Vol.81)

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日本人の文化的伝統と箱膳

日本人は唇の接するものに関して個人的なテリトリーをはっきりさせているというのが、伝統ではないかと思います。つまり日本人は唇に関して、潔癖という身体感覚があります。そのために、唇の接する食器に関しては個人所有です。湯呑みや飯茶碗はもちろん、お膳まで含めてが個人所有だった。これがかつての日本人の食卓でした。

 庶民の場合、一般に使われたのが箱膳です。特に、商家のような使用人がたくさんいるところでは、箱膳は便利なので、比較的後まで残っていたようです。私が調査した範囲で一番遅くまで使っていた例では、昭和四七年に栃木県で使っていたという報告を持っています。とにかく昭和四〇年代まであちこちに残っていたようです。この箱膳が、明治時代の日本人の食卓の標準です。

 この箱膳のスタイルが大正時代になってにわかに失われていきます。それはちゃぶ台の普及によります。私の見たもので一番古いものは長崎にありました。ちゃぶ台というより卓袱台だと思いますが、円形の台です。これには万延という年号が入っています。しかし一般的には明治の中期ぐらいから食事にそういう台が登場します。何が特徴かと言いますと、一人用のお膳ではないことですね。複数の人間がつまり家族がひとつの食卓を囲むという新しい食事のタイプが出てきたということです。

 箱膳からちゃぶ台に日本人の食卓の比率が転換したのはいつかというと、意外に最近で、大正の終わりです。

 なぜちゃぶ台が普及したのかと言いますと、これは衛生問題なんです。箱膳というのは、どうも食器をしょっちゅうは洗わなかったようです。食事が終わるとお湯をもらい、お湯で食器を漬物かなんかでぬぐって、飲んで、それも食べてしまう。そのあと布巾で拭いて、そのまま伏せて、蓋をして膳棚に仕舞う、これが箱膳の後始末です。したがって、二日、三日、極端な場合は一週間に一度食器を洗うくらいでした。普段はそのまま仕舞ってしまう。蓋を開けるとプンと臭ったと言います。そのへんが衛生上良くない。衛生思想が、だいたい明治になって非常に強化されてきます。コレラが流行したということもあるのでしょうけど。衛生という言葉が非常に普及するのは、明治の一〇年代です。こうして、衛生に良くないというのが、箱膳の廃れていく一つの理由ですが、どうして箱膳が洗えなかったのでしょうか?逆に言いますと、ちゃぶ台の頃になると洗えたということ。これは明らかに水道の普及によるものです。

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