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情報誌CEL

橋爪 節也

2020年07月01日

万博遺産

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2020年07月01日

橋爪 節也

都市・コミュニティ
住まい・生活

まちづくり
地域活性化
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.125)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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万博遺産
第1回
日本初の万博の記憶はライオン橋につながる

日本最初の国際博覧会は、明治三十六年(一九〇三)に大阪・天王寺で開かれた第五回内国勧業博覧会である。
幕末の遣欧使節団が一八六二年のロンドン万博を視察し、一八六七年のパリ万博、一八七三年のウィーン万博にも日本からの出品があった。その経験を踏まえ、殖産興業のため明治十年(一八七七)第一回内国勧業博覧会が東京・上野公園で開催される。
むろん名称の通り国内博であったが、第五回博では、工業所有権保護に関するパリ条約に日本が加盟したことで海外からの出品が可能となり、十四カ国が参加して事実上の国際博となったのである。入場者数も明治二十八年(一八九五)の京都・岡崎での第四回内国勧業博が約一一四万人だったのに比べ五三〇万人が入った。
この第五回内国博の遺跡を探してみると、唯一、四天王寺の本坊庭園に移設された「八角亭」がそうだとされている。八角形の和洋折衷建築で、水色の塗装にコリント式装飾のある柱や青、黄、緑色のガラスがかわいらしい。
しかし、精神的な意味での第五回博の遺跡をあげるならば、博覧会での大林組のエレベーター付きの展望塔の記憶は、明治四十五年(一九一二)、内国博跡地にできた初代通天閣に通じるし、中之島に架かる難波橋のライオン像も、第五回内国博とつながっていると私は密かに考えている。
第五回博では、近代化を進めようとする意識から、西洋の都市が広場に彫刻や噴水を設けることを模して、正門前や会場内美術館前に噴水が設けられた。だが、形が少し変だ。
例えば正門前の噴水に突き立っているのは、龍が巻き付いた、不動明王が持つ「倶利伽羅龍」の宝剣である。西洋化を目指しながらも東洋精神は忘れない和魂洋才のあらわれだろう。
この視点で見ると、パリのアレクサンドル三世橋のライオン像を意識したとされる難波橋のライオンも、南詰北詰にそれぞれ二匹ずつ、口を開いたものと閉ざした「阿吽」のセットが置かれ、まるで神社に鎮座する巨大な狛犬である。このライオン像を彫刻した天岡均一(一八七五~一九二四)は、第五回内国博では西洋都市の広場にある騎馬像のように、馬に乗った豊臣秀吉の彫刻を出品した。内国博で示した時代の精神が、大正四年(一九一五)の難波橋架橋において、社会的に実現したとも言えるわけである。