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情報誌CEL

森村 恭昌

2020年07月01日

京都は会いに行くところ

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2020年07月01日

森村 恭昌

都市・コミュニティ

コミュニティ・デザイン

情報誌CEL (Vol.125)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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京都は会いに行くところ

「そうだ 京都、行こう。」 これは、某鉄道会社のキャンペーン広告に使われている、有名なキャッチコピーである。1993年に登場し、今にいたるまでずっと続いているのだから、京都がいかに人気の観光スポットであるのかがよくわかる。それはそうなのだが、私にとっての京都はそれとはちょっとちがっている。
かれこれ五十年ばかり前、と話はずいぶんさかのぼる。私はかつて美術大学の学生として、京都に通学していた。その後しばらく経って、今度は教えられる側から教える側に転じ、やっぱり京都に日参した。もしかしたら、授業をさぼりがちだった学生時代より、教える立場になったときのほうが、こまめに行っていたかもしれない。そしてやがて京都は、自分が制作した美術作品の重要な発表の場ともなっていった。
私は生粋の京都人ではない。まったくもって部外者である。だが一過性の観光客でもなかった。私にとって京都とは、若い時分から頻繁に行き来させてもらってきた、なんというか、懇意な親戚筋といったイメージが強いのである。
長いつきあいなので、京都の思い出は尽きない。
しかしそれは、由緒ある古寺や風光明媚な自然といった観光名所についてではなく、人との出会いの貴重な記憶のほうが圧倒的に多い。私にとって、京都は何かを見に行くのではなく、親しい誰かに会いに行く、一種の待ち合わせ場所だった。
20歳そこそこの学生時代に出会った、強烈な個性の持ち主がふたりばかりいる。誰かというと、写真家のアーネスト・サトウと哲学者の梅原猛である。ともに大学時代の恩師だった。
アーネスト・サトウは、日本人の父親とアメリカ人の母親を持ち、アメリカで写真家となった。日本を取材するために「来日」し、そのとき知りあった京都の某老舗旅館の女主人と結婚。結果、京都市立芸術大学で教鞭をとることになった。
サトウ先生はともかくお洒落だった。1970年代はじめ、私が入学した頃の美大生たちのファッションは、いわゆるヒッピースタイルが主流で、はっきり言ってみんな汚かった。先生たちも同様だった。男性は伸ばし放題の長髪にボロボロの裾広がりのジーパンというのが定番だった。
サトウ先生だけはちがっていた。グレーの細身のスラックスと紺のブレザー。胸元には出身校であるコロンビア大学のエンブレムが刺繍されていた。冬だと赤のタートルネックのセーターを着込み、太い金のチェーンのネックレスを首からぶら下げていた。