
安田 喜憲
2010年03月26日作成年月日  | 
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                   2010年03月26日  | 
                安田 喜憲  | 
                 エネルギー・環境  | 
                 地球環境  | 
                情報誌CEL (Vol.92)  | 
                
                
                
                
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 私たちの命は父と母からいただいたもの、その父と母の命は祖父と祖母からいただいたもの、そしてその祖父と祖母の命は…というように、私たちが今生きているのは過去の「生命の連鎖」のおかげなのである。その「生命の連鎖」がなければ、私も、あなたも、僕も、君も君の彼女もこの地球上には存在しえない。ところが現代人はこの生命の連鎖の尊さ、その生命の連鎖の歴史性をまったく忘却し、あたかも自分は一人でこの世に生まれ、そして自分の欲望のままに生きることを許された存在であるかのように錯覚している。
 過去への感謝、生命の連鎖への感謝の喪失が現代文明の一つの特質である。
 それは現代人が生命の連鎖と、生きとし生けるものに対して祈る心を喪失したことでもある。「お金が儲かりますように」「出世しますように」と自分の欲望を満足させるために祈る人はいても、過去への深い感謝の中で、この地球の生命の連鎖、生きとし生けるものの生命に畏敬の念を持ち、その尊さに祈りをささげる人は少なくなった。過去への感謝を忘れた現代人は、未来への責任も放棄した。
 自分の命をはじめ、生命が歴史的存在であることを忘却した現代人は、未来への責任をも放棄することになった。
 かつて森の民、日本人は未来の子孫のために木を植えた。私は幼い頃、祖父とよく植林にでかけた。祖父は「この木は喜憲が大きくなる頃には立派な木になっている」と、よく言ったものだ。その祖父の言葉に象徴されるように、「自分が今やっていることは、未来世代のためにやっていることである」という明白な自覚が、ほんの少し前の日本人にはあった。
 しかし、輸入木材によって日本の林業は衰退し、祖父が植林した山は、二束三文の値打しかなくなり、人々は故郷の山を忘れた。そして人々は未来世代への責任感も忘れてしまった。
 生物多様性にとって重要なことは、生命の存在が歴史的であるということ。歴史と時間の持続性を断ち切っては、生命は存続しえないことを知らなければならない。
 私たち現代人は、「過去への感謝と未来への責任」を自覚しなければならないのである。
情報誌CEL