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情報誌CEL

喜多 俊之

2007年03月30日

未来をデザインする都市ブランド戦略

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備考

2007年03月30日

喜多 俊之

都市・コミュニティ

地域活性化

情報誌CEL (Vol.80)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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 人々は夢と希望を抱きながら都市に住む。世代を超えて都市の果たす役割は多大である。まず機能的な面からいうと、昔の長安や京の都のように、アクセスや諸々の機能がうまく考えられた都市のデザインは、今日のマンハッタンの街にも応用された、時代を超えたトータルデザインとして受け止められる。ハイテクノロジーと自然とのバランスがよく暮らしていける都市のあり方は、過去も現在も未来も基本的には大きく変わることはない。常に人々が楽しく暮らしていくということは、時代を超えて都市の基本的なコンセプトである。” 浪花の都“と言われ、日本最大の商業都市であることを誇った大阪は、当時世界の都市の中でもひときわ優れた町並みを持ち、人々が夢や希望に満ち溢れて暮らしていた様子が多くの資料からもうかがえる。船を連ねて道頓堀に歌舞伎を見に行く賑わいの様子、京の都と大坂を上り下りする三〇〇艘以上もの三十石船の賑わい。天神祭など、市内至る所での祭りには想像を超えるしつらいと賑わいがあったに違いない。そしてそこは人々の豊かな心意気が渦巻く「ブランド都市」であった。 一九七〇年の万博によって、OSAKAブランドが世界にデビュー、大きく発展した大阪だったが、その後に逆に少し速度を落としてしまったことについて考える必要がある。まず住環境の整備、そしてアクセスの問題。例えば伊丹空港と市内を結ぶ高速道路は、ほぼ年中渋滞している。外からの来客には、まずそこでひとつのダメージがあるのではないだろうか。もう一つ、国際見本市に関しては、一九六〇年代初め頃まで大阪は世界的な見本市の都市として知られていた。ところが現在では、多くの優れた国際見本市が東京やアジアの国々へ行ってしまった。また、戦前には道頓堀を中心に上方芸能が栄えて都市ブランドを支えていた。さらに、大阪に本社を置く日本の基幹産業企業の多くが、東京へ大移動し始めたのも記憶に新しい。

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