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2026年07月15日 by 山納 洋

【シリーズ】街角をゆく Vol.21 交野(大阪府交野市)


こんにちは。エネルギー・文化研究所の山納洋(やまのう・ひろし)です。

私は「Walkin'About」という、参加者の方々に自由にまちを歩いていただき、その後に見聞を共有するまちあるき企画を続けています。目的は「まちのリサーチ」。そこがどういう街なのか、どんな歴史があり、今はどんな状態で、これからどうなりそうかを、まちを歩きながら、まちの人に話を聞きながら探っています。

この連載ではWalkin'Aboutを通じて見えてきた、関西のさまざまな地域のストーリーを紹介しつつ、地域の魅力を活かしたまちのデザインについて考えていきます。

今日ご紹介する交野は、大阪駅から東北東に20kmほどの、生駒山地の山裾に位置しています

交野に人が住み始めたのは今からおよそ2万年前の旧石器時代で、弥生時代には稲作が盛んに行われました。古墳時代には豪族・物部氏の一族の肩野物部(かたのもののべ)氏により大規模集落が形成され、その付近の丘陵には古墳群が築かれています。天野川上流にある磐船神社のご神体は船形の大岩ですが、これは物部氏の遠祖である饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降る時に使用した天の磐樟船(あまのいわくすぶね)だと伝えられています。


磐船神社のご神体・天の磐船


交野丘陵で森古墳群が発見されたのは、昭和55年(1980)のことです。交野市内に住んでいた小学生3人が埴輪と壺の破片を見つけたことがきっかけとなり、周辺に古墳時代前期(4世紀)に築造された前方後円墳が5基存在するとわかりました。

現在のJR学研都市線・河内磐船駅周辺は森遺跡と呼ばれる遺跡で、昭和63年(1988)頃に駅周辺が開発された時に発掘調査が行われ、鍛冶炉の遺構とふいごの羽口(送風管)や鉄滓(てっさい)が出土しています。鍛冶炉は古墳時代の中期から終わり頃(5世紀〜6世紀)にかけて稼働していました。森遺跡からは(須恵器や土師器とともに)5世紀代の韓半島(朝鮮半島)から持ち込まれた土器が出土しており、操業初期には朝鮮半島からの渡来人が鉄の生産を支えていたことがわかっています。また、森遺跡のすぐ近くにある交野東車塚古墳からは、鉄製の刀や剣、甲冑が出土しています。つまり肩野物部氏は、古墳時代に鉄や鉄器の生産、渡来文化の導入に深く関わっていたということが一連の発掘調査でわかったのです。

6世紀中頃になると、日本列島内で製鉄が開始されます。この時期以降、森遺跡には当時吉備(きび)と呼ばれた岡山県の北部の津山市周辺の製鉄遺跡から鍛冶原料が持ち込まれるようになりました(それまでは朝鮮半島から原料を運んでいたと考えられています)。


森遺跡から出土したふいごの羽口(交野市立歴史民俗資料展示室所蔵)


交野東車塚古墳から出土した甲冑(交野市立歴史民俗資料展示室所蔵)


物部守屋と蘇我馬子は政治方針や宗教を巡って激しく対立し、西暦587年、蘇我馬子は物部氏討伐の兵を挙げ、物部守屋宗家は滅ぼされました。肩野物部氏もそれ以後に勢力を失いました。奈良時代には交野には郡衙(役所)が置かれ、平安時代には宮廷人たちが交野ヶ原(現在の交野市・枚方市に広がる平地)を訪れ、狩りを楽しむようになりました。この頃に天体を崇拝する思想が人々の間に広まったことで、和歌を愛する貴族たちが交野の美しい風景と七夕伝説を結び付けた歌を残しました。

 

室町時代には、交野は河内守護畠山氏の支配下におかれます。1570年には畠山家臣団の一人で松永久秀の軍勢に加わった安見右近が私部城を築きました。安見氏は松永久秀が織田信長と友好関係を結ぶ中で織田側に味方しましたが、そのことで久秀に切腹させられ、私部城は久秀に攻め込まれます。これに対して織田軍は援軍を送り、逆に久秀は本拠地の奈良に追い込まれました。私部城はその後1580年頃にはその役割を終え、廃城となっています。

江戸時代になると、交野では米や麦、木綿が栽培され、機織りや酒造業が発展しました。

 

交野市の平地部は住宅地として開かれましたが、星にちなんだ地名や伝承が多く残されていることから「織姫の里」と呼ばれています。私市にある獅子窟寺(ししくつじ)には弘法大師が秘法を唱えると、天上から北斗七星が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちたという伝承が残されており、その一つが星田妙見宮のご神体となったとされています。

交野では七夕の時期に、各地で七夕まつりが行われます。7月6日、7日には星田妙見宮と機物神社で、そして今年は25日(土)に「天の川七夕まつり」が私市駅周辺で開催され、駅前や公園が行灯・笹飾りで美しく飾られます。

 

交野市歴史民俗資料展示室では7月18日(土)から12月20日(日)まで、『国産鉄誕生』と題した特別展示が行われます。この展示では、森遺跡とともに「たたら製鉄」が行われていた大阪府柏原市の大県(おおがた)遺跡、岡山県総社市吉備地域についても紹介されます。古墳時代の6世紀における鉄の国産化の謎に迫る意欲的な展示で、会期中には関連講座も開催されます。


交野市立歴史民俗資料展示室での特別展示「国産鉄誕生 森・大県遺跡と吉備・山城の製鉄遺跡」チラシ


交野市は2020年に私部城を市指定史跡とし、国の史跡指定認可に向けて調査を実施しています。市では城跡の土地を取得して防災公園として整備する計画を進めており、先日(6/28)には私部城についてのこれまでの研究の成果と現状について伝えるシンポジウムを開催しました。


私部城跡


余談ですが、私市にある茨木養蜂園では、花の開花時期に合わせてミツバチを移動させて蜂蜜を取る「移動養蜂」を戦後すぐの昭和20年(1945)からおこなっており、交野と北海道の2ヶ所でハチミツを採蜜しています。交野の山には蜜源となる花が豊富で、桜・レンゲ・アカシア・ハゼと、いくつかの花の蜜が混ざった「百花(ひゃっか)」の蜂蜜を採取しておられます。交野では5月から6月の初めまで蜜を取り、現在は北海道に移動されて採蜜を続けておられるそうです。


私市名産「茨木の蜂蜜」


※【シリーズ】街角をゆくは、不定期で連載いたします。

 

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