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情報誌CEL

小西 久美子

2023年09月01日

梅田の歴史を振り返る −いかにして梅田は形成されこれからどうなるのか

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媒体(Vol.)

備考

2023年09月01日

小西 久美子

都市・コミュニティ
住まい・生活

都市居住
地域活性化
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.133)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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大阪最後の一等地といわれる「うめきた」に、複合商業施設「グランフロント大阪」が開業して10年。来夏には2期のまちびらきも予定されている。かつて大阪の縁辺だった梅田がいかにして西日本屈指の繁華街となり、これからどう変化するのか。梅田の歴史の振り返りと併せて、これからの梅田への期待を記したい。


かつて大阪の縁辺であった梅田は、19世紀後半の鉄道建設以降、常に時代の先端を吸収しながら急激に変化・成長し、西日本最大の繁華街となった。現在も、「うめきた」に代表される都市開発、エリアマネジメントの実施など、常に新しい取り組みを行い進化し続けている。その歴史を概観し、現在進行中の取り組みにふれつつ、産官民の対話を通じて梅田の未来を探るフォーラム「UMEDA 未来図」が過日開催され、筆者も実行委員の一人として参加した。
ここでは、梅田の歴史を振り返るとともに、これからの梅田への期待を記したい。

大阪駅の成り立ち

今から149年前の1874(明治7)年5月に、官営鉄道大阪〜神戸間が開業し、初代大阪駅である「大阪停車場」が誕生した。
当初は中之島に建設予定だったが、地元の反対もあり、市街地としては北の外れにあたる曽根崎村が選ばれた。沼の埋め立て地なので「埋田(うめだ)」、そこから梅田となったというのが、地名の由来ともいわれている。場所は旧大阪中央郵便局辺りになるが、当時は一面が田畑で、人家もなく、広い敷地にホームと駅舎があるだけだった。

その後、東海道線が全線開通し利用客が増大したために、1901(明治34)年7月に、ほぼ現在と同じ位置に2代目の大阪駅が開業し、1906(明治39)年には阪神電気鉄道が出入橋〜梅田間の営業を開始。1908(明治41)年に大阪市電の梅田停留所が開業し、1910(明治43)年に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が梅田〜宝塚間で営業を開始して、大阪駅のターミナル化の基盤ができあがっていった。そして、1912(明治45)年には梅田新道の拡幅と並行する形で、市電のために12間幅の東西幹線道路(現在の曽根崎通、国道1号・2号)が敷設された。これにより、現在の大阪駅前地区の輪郭ができあがった。

一方、1914(大正3)年に第一次世界大戦が勃発すると、軍事輸送等による貨物輸送が増加し、大阪駅と駅周辺施設は再び機能拡張の必要性が生じた。

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