大阪ガスネットワーク

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ

CELは、Daigasグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

  • DaigasGroup

JP/EN

Home > 論文・レポート検索 > CEL TOPICS−炎と食シンポジウム第22回講演ダイジェスト 柳田國男と食文化

論文・レポート検索

Search

情報誌CEL

福田 アジオ

2012年02月14日

CEL TOPICS−炎と食シンポジウム第22回講演ダイジェスト 柳田國男と食文化

作成年月日

執筆者名

研究領域

カテゴリー

媒体(Vol.)

備考

2012年02月14日

福田 アジオ

住まい・生活

食生活

情報誌CEL (Vol.99)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。

-柳田國男の生涯と民俗学-

 柳田國男は明治8年(1875)に生まれ、昭和37年(1962)に88歳で亡くなっています。兵庫県の姫路から播但線に乗って北へ小一時間、福崎町の辻川というところの生まれです。元は松岡という姓で、後に養子に行って、柳田となりました。父親は村に住むインテリで、塾の先生をしていました。雇われ講師ですね。儒学の論語などの、読みを教え講釈をする。あまり豊かではなかった。柳田國男は晩年に自分の生涯を振り返って、自分は「日本一小さい家」で生まれたと言い、それが自分を民俗学に導いたと語っています。
 福崎町に柳田國男の生家が残されています。その家が「日本一小さい家だ」と彼は言うわけです。間取りは「田の字型」で4室あって、奥の2つは四畳半で、手前は三畳が2間。日本の標準的な農家の形ですが、確かに小さい。しかし近畿地方では威張るほどの小ささではないですね。彼は、なぜそう言ったのか。その理由は、ここで起こった悲劇がまずひとつ、そして、後になりますが、農家の建物がずっと大きな関東に移ったからです。
 柳田國男は六男坊で一番上の長男とは十いくつも離れています。彼が、幼児の時に、一番上の兄さんは師範学校を出た。明治の初めでは大変なエリートです。卒業して村に戻ってくると、いきなり校長先生になります。そして、この家にお嫁さんが来る。しかし、この狭い家の中に、二組の夫婦が住み、さらに小さい子どもたちもいる。「母は、大変しっかり者だった」と彼は書いている。それに対して、兄嫁は、すごく「優しい人だった」と。なついたんですね。その兄嫁がやがて実家に帰ってしまう。姑と嫁の間の葛藤ですね。兄さんは自棄酒を飲み、小学校の校長先生を勤められなくなる。そして、ついにはもう一度家を出て、東京に行くことになる。
 柳田國男が小学校を卒業した頃、その兄さんは今度は医学を修めて医者になりますが、故郷には帰らず、茨城県の利根川べりの布川で開業医になった。そこで彼を引き取って面倒をみることになったわけです。迎えに来てもらって神戸から船に乗って横浜まで行った。西と東の途中が抜けているんですね。そして、いきなり関東の大きな家に移ることになりました。
 その柳田國男は布川で、ある絵を見て驚きます。お寺の地蔵堂にかかっている「間引絵馬」と呼ばれるものでした。彼は、これを見て、子どもながらにも意味がわかり、ぞっとしたそうです。若い女が、産んだばかりの赤ちゃんの首を押さえている。それを傍らでお地蔵さんが悲しげに見ているという図です。行灯の光で、女の影が障子に映るのですが、そこには角が映っている。

  • U−CoRo
  • 語りべシアター
  • 都市魅力研究室
  • OMS戯曲賞
Informational Magazine CEL

情報誌CEL

【特集】ウォーカブルの本質を考える

近年、「ウォーカブル」という言葉をよく耳にします。 まちなかを車中心から人中心へ...

バックナンバーを見る
  • 論文・レポート・キーワード検索
  • 書籍・出版
  • 都市魅力研究室
  • FACEBOOK

大阪ガスネットワーク(株)
CEL エネルギー・文化研究所

〒541-0046
大阪市中央区平野町4丁目1番2号

アクセス