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情報誌CEL

橋本 佳也

2006年09月30日

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2006年09月30日

橋本 佳也

住まい・生活

その他

情報誌CEL (Vol.78)

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 「所得格差」と聞く時、まず、その前提となる「労働」、特に「若者の働く意識」について考えてしまう。一〜二年前に登場した「ニート」も今や市民権を得た感がある。無論、職に就きたくても就けずに、やむを得ずその立場に甘んじているケースもあり、むしろ雇用する側の問題だとの指摘もある。しかし、必ずしも皆が求職活動を行っているわけではないというし、それは「条件にはこだわらないが仕事がない」というよりも、「条件(希望する仕事内容、処遇)に合う仕事がない」からという理由が多いとも聞く。自分らしさの追求の結果ということかもしれないが、私とは感覚の差が大きく、ごく一部の現象として受け止めたくなる。しかし大学では、少子化時代の学生確保策の一環として、入学間もない時期からキャリア論と称して「卒業したらしっかり働こう」という講座を開設し、かつ必修化しているところもあるという。とすれば、決して一部の少数の若者に見られる特異な現象ではないのだろう。

 ふと、自分自身はどんな気持ちで働き始めたのかと思い起こしてみる。最終学年になるまでは、卒業後の「労働」について考えることは全くなかった。会社訪問の時期が近づいてきた頃、「どこかの会社に就職する」ことが、自分の中で何となくかつ迷いなく決まった。会社概要を調べ、訪問解禁日に真新しいスーツに身を包んで面接を数社受け、数日後に決まった記憶がある。その過程では、どの会社に行こうかということ以外は全く考えなかった。どんな仕事がしたいとか、どんなキャリアを積みたいとか、将来どうなりたいとかも考えた記憶はない。自分らしさの追求などとは、そんな言葉さえ思い浮かばなかった。当時、「最近は、就職ではなく就社だ」という批判があったが、まさに私の場合は絵に描いたような就社であり、批判は完璧に当たっていた。

 就職に関することだけでなく、当時、様々な場面で「最近の若者は」という叱責を聞かされた。多くの場合、図星であったような気がする。そして時が経ち、今度は我々の世代が「最近の若者(の働く意識)は」と憂う。そう考えると、この「最近の若者は」という言葉は、過去から営々と繰り返されてきた言葉であり、誰でも本質的に持ち合わせる自己中心的な価値観の持ち方からくるものなのだと思う。とすれば、最近の若者の働く意識の変化(我々から見れば「問題」)も、要するに時代の流れであり、熟年層があれこれ口出しする必要などないという考え方も、ある意味で的を射ているのかとも思ったりする。

 以前、我が息子(当時小学生)に聞いたことを思い出す。「早く大人になりたいか?」「なりたくない!」「何故?」「大人になったら働かないといけないから」。ネガティブな姿勢を悲しむべきか、それとも、最低限の勤労義務感だけは持ち合わせていることに安心すべきか…。結論はもう少し先に分かる。

                    ――橋本 佳也