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2022年04月01日 by 池永 寛明

【起動篇】日本が失った「沈思黙考」の時間

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10 年先、30年先から振り返ったとき、こう思うのではないか。あの「テレワーク」がエポックメイキングだった。テレワーク・リモート・オンライン時代はあの頃から始まった。それまでの場と時間の構造が大きく変わった。自分時間は倍増した。その倍増した時間との向きあい方で、そのあとが大きく変わった。と気づくのではないだろうか。この2年間、コロナ禍による構造変化を考えつづけてきた池永のCOMEMO「コロナ禍後社会を考える編」の最終回は、日本が失った時間について考える。


図2-1

 

 

1.この辺でもうええんちゃう?

 

こんなことを経験したことありませんか?

みんなで議論をしていて

「この辺でもうええんちゃう?これ以上、議論しても時間のムダや」とか

「また池永さん、面倒くさいことを言い出して」

という雰囲気になることがある。なにも決まっていないのに

 

時間がない

 

といって議論をやめる。なぜやめるかというと「めんどくさい」から。この「時間がない」が

 

悪い企業・組織文化をうむ

 

「時間がない」といっても、いったん決めた結論には責任を持たないといけないが、その責任から逃げる人が多い。なぜ責任をとらずに逃げるのかというと、その結論に自信がないから。ではなぜ自信がないのかというと

 

決めたという結論がとことん議論して導いたのではない。
「時間がない」といってやめたから。

 

とことん時間をかけて議論しなくなった。長々と議論することに、意味がない、非効率だ、無駄だと思うようになった。しかしそれは決して「合理性がない」のではない。

 

とことん考えるということは
みんなの意見をまとめるだけでなく
自分を体現することである

 

とことん腑に落ちるくらいまで議論をして、みんなで導いた結論ならば、その結論はひきうけられる。しかしなぜそうしないのか?時間がない時間がないといっているが

 

本当は、あなたの知性が
ついていっていないからではないか?

 

 

2.技術が時間を早めて得たこと、失ったこと

 

江戸時代の日本人は、江戸から京都に行くために、東海道53次を2週間かけて歩いた。早朝に宿を出て夕方に宿に着いた。私も10年前に東京から3週間かけて京都まで歩いたが、旧東海道を歩いている間にいろいろなことを考えた。その移動時間が新幹線で2時間半となった。東京駅で乗れば、あっという間に京都駅に到着する時代になった。

 

昔は、現在とちがってテレビもなければスマホもなかった。しかし

 

時間はたっぷりあった

 

1日、1週間、1ヶ月、1年間という時間感覚は、現在よりもずっと長かった。その時間のなかで

 

いろいろなことを考えた

 

人類は技術をどんどん進歩させて、モノやヒトを多く速く遠くに、運べるよう、行けるようになった。出発地から目的地までの移動時間は短くなり、時間ができた。その新しくうまれた時間で、なにをしたか、できたかというと

 

実はなにもしてこなかったのではないか

 

昔の人は歩いていた。江戸時代の薩摩・長州・土佐の武士たちは時間をかけて足で歩いて、薩摩・長州と大坂・京都・江戸を行き来して、明治維新を成し遂げた。その歩いている時間はたんに移動のためだけではなく、思索するための時間であった。

 

その距離を現代人は飛行機ならば1時間ちょっとでたどり着く。時間距離ががらっと変わった。電信・電話・ネットならばゼロ秒でつながる。仕事の生産性は飛躍的に高まった。とても便利に効率的になった。しかし

 

それで生まれた時間で
なにをしているのだろうか?

 

これをした、あれをしたと明確には言えない。だから

 

スピードは、どれだけの意味があるのか?
早いということに、どれだけの意味があるのか?

 

こうともいえる。技術による効率化によって時間は短縮化した。それには

 

時間的合理性はあったが
精神的合理性が消えた

 

得たことと失ったことがある。さらにコロナ禍を契機としたテレワークへの転換で、通勤時間がなくなり、会社帰りの一杯飲みがなくなり、自分時間が倍増している。それは突然始まり、当初は混乱したが、慣れた。それは現在進行形で、定着しはじめている。その変化のなかで


その新たな時間で、あなたはなにをしているか

 

「これをしています」「あれをしようと思っています」と明確に話せる人は多くない。なぜか。それは「コロナ禍が収束したら元に戻る」と思っているから、なんとなく過ごしている。しかしコロナ禍は収束しても、元には戻らない。

 

 

3.ブラックボッス化する社会

 

コロナ禍を契機とするテレワークによる構造変化の前に、大きな変化がおこっていた。この10年間、スマホによる構造変化が進んでいた。いろいろなモノ・商品がスマホひとつで足りるようになった。スマホは商品のラインナップを変え、経済・産業構造を変えただけではない。人々の生活スタイル、仕事の進め方、学び方、人と人の関係性という社会構造を劇的に変えた。


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とりわけスマホでプロセスが見えなくなった。インプットすると、即座にアウトプットがでるようになった。分からない言葉があれば、スマホで検索したら、正しいかどうかは分からないが、答えらしきものがでてくる。だれかが書いた情報に共感すれば、それを信じ、みんなが同じことを語りだすようになった。

 

それはスマホだけではない。社会の様々な場・モノ・コトの中味がブラックボックスになった。お湯に昆布だしの粉末を入れたら、秒で名店レベルのだしがでる。時間をかけて、手数をかけて、昆布からだしをとるという調理プロセスがなくなった。見えるのは、インプットとアウトプットだけとなった。アウトプットを導いたプロセスが「ブラックボックス」化した。そうして人々の言葉が、思考が、社会全体が、薄くペラペラになった。

 

ではなぜプロセスがブラックボックス化していくのか。社会がブラックボックス化していくのか。とりわけ日本でそれが進んでいるのはなぜか。

「こういう生活・仕事にしていくために、どういう技術が必要か?」を考えてきた世界に対して、「この技術でなにができるか?」を考えてきた日本。効率性・利便性・生産性・ハードを追いかけてきた日本。お客さまのことを置いてけぼりにしてきた日本。これらが社会のブラックボックス化を広げていった。これからどうなっていくのか?

 

 

4.「沈思黙考」の時間を再起動

 

少しでも速くという技術の進歩、効率性の追求が「プロセスのブラックボックス」を増やした。「ブラックボックス」によって、深く考えることをしなくなった。私たちはいつから深く考えようとしなくなったのだろうか?


たとえば「武士」といったら、どういう場面が目に浮かぶだろうか。武士にはいろいろな場面がある。戦う場もあれば、集団で武術の稽古をする場もある。一人で黙々と鍛錬したり、机に座り、本を読んでいる武士の姿が目に浮かぶ。そうしている武士は、当然、喋っていない。全体の雰囲気は、とても静かで、穏やか。
この時間をすごす姿こそ、日本人が到達したい姿だったのではないだろうか。


それが変わった。現在、1人で黙ってすごしていたら、どう見られるだろうか?

 

「元気がないぞ。どうしたんだ?なにか、喋れよ」
「なにをぼんやりしているんだよ」

 

といわれるようになった。私たちはいつも走りまわるようになった。のんびりしていたら、ぼおーっとしたら、「なにしているんや」と言われるようになった。だから

 

なんかしていないと、ダメ
ぼんやりしていたら、あかん

 

そう思うようになった。のんびりした時間は勿体ないと考えるようになった。空いた時間があったら、その時間をなにかで埋めるようになった。だからいつも追いかけられ

 

切迫感にかられるようになった
いつも疲れるようになった

 

こうして「静かに、穏やかに、考えごとをする」という時間が減っていった。日記を書く人も減った。日記を書く時間があったら、スマホを見る。

 

そがコロナ禍で変わろうとしている。コロナ禍で、自分時間が増えた。まるで突然、学生時代の「夏休み」になったように、生活が変わろうとしている。しかし多くの人はその新しくできた時間をどう使ったらいいのかと悩んでいる。まわりから「暇」だとみられたくないから、「自分時間を埋めないといけない」と考えている。


ロボット掃除機「ルンバ」は掃除をしたあとに「ホームベース」に戻るように、かつての日本人にはホームベースといえる「立ち返る場所」があった。明治に入り、戦後になり、私たちは日々時間に追われるようになり、立ち返る場所を失った。
それがコロナ禍で、立ち返る場所「家庭」を取り戻しつつある。会社から家庭へと「場の構造」変化が進んでいる。問題はその次。立ち返った場所で、どうすごすのか。その時間に、どう向き合うか。


技術の進歩で、置き忘れた「場と時間」が戻ってきた。家族と一緒にいるとほっとする。家族で食卓をかこむと楽しい。しかし1人で黙ってじっとすごすという場と時間も大切。穏やかに、静かに、思索を深める場と時間が。


かつて学生時代に取り組んできた柔道で、稽古の始まりと終わりに黙想をした。ヨーガの瞑想で精神を統一する人がいた。仏教の座禅で自分を静かに見つめ直す人がいた。禅における瞑想の場として発展した茶道や華道をたしなむ人もいた。穏やかに、静かに、思索を深める日常を大事にしてきた人がかつて多くいた。

 

その「沈思黙考」の時間をとり戻す

 

毎日のなかに「沈思黙考」の時間をすごしたい。自分とはなにか、家族とはなにか、どう生きていくのか、今日の自分の行いは、自分の言動はどうだったかと、物静かに、穏やかに、目を閉じ、自らを省みる。

 

コロナ禍で失った沈思黙考の時間を取り戻し、自分を再起動する機会を、私たちは逃してはいけない。

 

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 3月30日掲載分〕

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