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2021年12月02日 by 池永 寛明

【時間篇】「最近の若い者はすぐ辞める」というのはなぜ?

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「入社3年で半分が辞めよる」「私のところもそうや」― 企業経営者間でこういう会話が増えた。会社に入ってすぐ辞めるというが、3年以内で辞める新規学卒者の割合は3割前後で、この30年は変わっていないという。にもかかわらず、「最近の若い者はすぐ辞める」が時代の空気のようになっているのは、なぜ。

いつの時代も、「最近の若い者は…」というのは世の常。ITおよびDX技術の急速・急激な普及に伴い、社会のあらゆるところで適合不全となり、「世代間ギャップ」を顕在化させた。その溝はコロナ禍でさらに深まっている。前回、戦後の日本社会を左右しつづけている「団塊の世代」の構造的課題について考えたが、今回は時代をさかのぼって明治150年でのコロナ禍とはなにかを考えたい。



1.明治150年に起こったコロナ禍


図1

 

明治維新(1867年)から現在まで約150年。明治維新は世界史的にはクーデターだった。この明治維新という大断層から敗戦(1945年)までの77年。近代2度目の大断層となる敗戦から現代まで75年。敗戦は明治150年のちょうど折り返し地点。

 

コロナ禍は近代3度目の大断層となると考えた。大断層によって、それまでの社会モデルがリセットされ、新たな社会モデルが再構築された。コロナ禍という大断層を契機に、これから構造変化・再構築されていく社会モデルの方向性をつかむために、近代日本がこれまで歩んできた2つの「時代」を考えてみる。



2.近代1度目の大断層 「明治維新」


図2-2

 

明治維新から敗戦までが77年。元号は明治・大正・昭和の3時代にわたるが、「技術移入」の切り口で明治維新リセットから敗戦までの77年を考えてみる。


① 明治黎明・西洋化時代

明治維新は約700年つづいた幕藩・武士体制をリセットした。維新政府は西洋に人材を派遣し技術を学ばせ、西洋から技術者を招き、西洋文明・技術を怒涛のように移入し消化し日本仕様に翻訳して、近代産業・社会を瞬く間に建設した。明治黎明期の混乱のなかから、世界にひとつしかない和洋折衷の明治モデルを確立した。

 

② 軍拡・デモクラシー時代

1894〜95年の日清戦争を契機に軍拡を進めるとともに、近代産業を次々と立ちあげ、海外進出して、経済を成長させた。日露戦争を経て国体の形でできあがった1910〜20年代に、外から学ぶことをやめ、日本独自の大正デモクラシーを生み、精神の自由を謳歌して、戦前の絶頂期を迎える。


 ③ 軍国主義時代
1926年に大正時代から昭和となり、明治維新後の急成長の反動として顕在化した様々な社会課題・公害・社会的格差・社会閉塞を打破すべく海外進出を図ったことで、戦争を誘発、戦線を拡大して、敗戦した。

 

日本は「技術」を外から学び、外の技術を移入し、消化し、日本モードとして洗練させると、外を低く見るようになり、学ばなくなり、気づけば劣後する。遣隋使・遣唐使時代から、日本はその繰り返し。外から学び、外のモノを移入して、消化して、進化させ、慢心して、外に学ばなくなり、衰退する。そうするとまた外から学び、外の技術を移入する。明治から昭和前期の時代も、まさにそのサイクルだった。



3.近代2度目の大断層「敗戦」


図3


敗戦から現在までの75年。昭和の後半から平成30年間、令和元年におこったコロナ禍までの75年間も、「外の技術の移入」の切り口で3つの時代で分ける。

 

④ 敗戦・GHQ統治・復興時代

1945年の敗戦・GHQ統治の7年間・1970年の沖縄返還までの25年間に、廃墟のなかで、戦前の社会モデルを解体し、戦後社会モデルを構築した。アメリカなど外から、技術を怒涛の嵐のように移入した。この敗戦・GHQ統治・復興時代に創りだされた戦後日本の「方法論」に現在も支配される。

 

⑤ 高度成長・Japan as No.1時代

1970年の沖縄返還から昭和の最後の年となる昭和64年の1989年までの30年。アメリカの技術を消化・進化・洗練させた家電をはじめとする「Made in Japan」は世界市場を席巻し、「経済日本」の絶頂期を生み出す。この高度経済成長を担ったのが「団塊の世代」。1979年のハーバード大学のヴォ―ゲル教授の「Japan as ?1」で、戦後日本の方法論が評価されたと自己陶酔し、もう外に学ぶことはないと慢心し、外から学ばなくなった。その遠心力がさらにバブル景気を生み、1989年に日経平均株価史上最高値となり、1991年にバブル経済は崩壊した。


 ⑥ 失われた30年 ― 平成30年時代

平成に入ってバブルが崩壊しても、日本はそれまでを総括しなかった。問題はいろいろなところで起こったが、対症療法ばかり。課題は掘りおこされず先送りされた。昭和時代での成功体験だった「戦後日本の方法論」の繰り返しと、海外で流行しているマネジメント方法論を脈絡ない逐次投入ばかりで、日本社会の適合不全がさらに広がり、平成の30年間で日本は疎となった。

 


4.なぜ日本は平成の30年間を失ったのか

 

平成時代になっても昭和モデルだった。平成時代はなんだったのか。

「Japan as No.1を実現したのは自分たち」と自負する団塊の世代が、平成に入っても、日本を牛耳ろうとした。彼らが平成時代に昭和時代の気分を持ち込んだ。昭和世代は努力すれば何事も達成できるという空気のなかで生きてきた。一方平成世代はどれだけ努力しても達成できないことがあるという空気感で生きた。平成の30年の間は、昭和世代と平成世代の相克であったが、圧倒的人口を持つ団塊の世代を中心とする昭和世代が平成世代を「数の論理」で圧倒し、適合不全を広げてしまった。

 

これを昭和世代と平成世代の単純な「世代間ギャップ」ではない。

平成になって、ゲームのルールを一変する技術が社会に持ち込まれた。日本はこの新しい技術であるITの社会展開の意味が理解できなかった。IT化にシフトした世界は社会を変えたが、日本はIT化の本質を取り違えた。昭和世代は平成社会を支配しつづけ、生まれたころからパソコンがありスマホとともに育った平成世代に迎合するが、「時代のバトン」を渡さず、結果として世界に遅れをとった。こうして平成日本は動きをとめた。

 

「失われた平成の30年」の要因は、この相克構造がそのひとつ。戦後75年の間、日本の空気を支配しつづけた「団塊の世代」の呪縛に囚われつづけた。


 
5.次のグレートリセット2100年の子孫のために現在しなければならないこと


平成の30年が終わり、令和に入り、コロナ禍となった。私たちは現在、近代3度目の大断層にいるかもしれない。その前の社会モデルをグレートリセットして、つくりなおせたら、再出発できる。しかし明治維新や敗戦リセットと比べて今回のコロナ禍リセットが難しいのは、昭和・平成時代の社会モデルの強制終了ではなく、なおも昭和・平成時代「戦後日本の方法論」を引きずっていることにある。そしていつコロナ禍が収束するかが読めないことが再起動を難しくしている。


図4-2


明治維新は江戸時代をリセットし、敗戦が明治維新から敗戦までの77年間をリセットした。令和日本はコロナ禍でそれまでの75年間をリセットして再出発・再起動できるだろうか。

 

その答えは先にあるのではない。その答えは過去からつづく現在に埋め込まれている。コロナ・令和時代に入りながら、平成どころか昭和世代に引きずられている日本。適合不全はさらに広がっている。

コロナ禍の現在、過去を総括して、現在なにがおこっているのかをつかみ、新たな「日本の方法論」を構築して、真の世代交代をおこない、未来に向けて動き出さないと、近代3度目のコロナ禍リセットがチャンスとならず、さらに立ちどまったままになる。

 

次のグレートリセットが75年後となると2100年となる。2100年の子孫たちに、私たちは、現在、なにをしなければいけないのだろうか。

(大阪ガス エネルギー文化研究所 顧問 池永 寛明)

 

〔note日経COMEMO 12月1日掲載分〕

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