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2021年11月10日 by 池永 寛明

【起動篇】みんなのマスク風景のなかで気づいた日本が失ったこと(上)


コロナ禍で変わりつつあること。テレワークで家にいる時間が増え、夕方に愛犬と散歩に行くようになった。何十年も住んでいる近所なのに初めての風景を何ヶ所も発見した。犬を連れている人との会話が生まれた。近所の公園で遊ぶ子どもたちの姿をよく見るようになった。子どもと一緒にいるお母さん、特にお父さんを見るようになった。コロナ禍で、風景が大きく変わった。


1.コロナ禍の世界のなか日本で失なわれていること


コロナ禍となって2年が経とうとしている。コロナ変化はあらゆる場でおこっている。みんなのマスクの風景の裏で、家・会社・学校・交通・買い物・旅・情報・娯楽・趣味・稽古・スポーツ・街で、コロナ禍前とはちがった新たな変化が出はじめている。

 

とはいうものの、コロナ感染対策が大前提。マスクをして、手洗いをして、密にならないで、人と接触しないで外に出ないで ・・・ 度重なる緊急事態宣言のもと、みんな、“内”にこもり、


もうちょっとの「辛抱」「我慢」
とりあえず「暫定」で頑張ろう。


とコロナの収束を願って暮らすなか、2年が経とうとしている。一方、世界はどうなのか。コロナ感染爆発にあたって、「都市封鎖」「ワクチン接種」「コロナ実証実験」と日本と同じように対策をうっているように見えるが、人と人の繋がりを意識した活動が始まっている。たとえば




世界の若者たちから始まったコロナ禍の新たな動きが日本でも広がりつつある。しかし日本でのそれは表面的で、たとえばボランティアは「定年後の元気な高齢者のため」のものが多く、世界のような世代間交流による社会をつなごうとする思想ではなく、ありたい姿は世界とちがっている。 


 

コロナ禍での世界と日本の変化は表面的に同じように見えるが、目に見えない「本質」が根本的にちがっている。


孟子の「似て非なる者」である


日本と世界を流れている大切にしなければならない事柄がちがっている。この数十年で日本の風景は近代的に美しくスマートに変わったが、その風景のなかにあった大切な事柄を失ってしまった。風土が変わると、人との価値観・感性が変わり、生活・企業・都市文化が変わるという。風土がよくなると、価値観・感性が磨かれ、文化が洗練されるが、その逆もありうる。日本はその逆になっているのではないだろうか。



 

2.コロナ禍後、元に戻ろうとする日本の方法論


「AIを使って、テレワークの様子を観察・分析するオンラインミーティングの社員の姿やオンライン講義の学生の様子が管理できる」という研究が進められている ― 新たな技術の利活用がポジティブアプローチではなく、ネガティブアプローチに使われようとしている。仕事は快適性や創造性よりも、生産性を重視する。かくも日本は管理思考が多い。

 

コロナ禍となってオンラインミーティング・オンライン講義・講演が一気に始まった ― しかし内容やその品質はマチマチ。オンラインとオフラインと融合して新たな価値を生みだしているものと、オフラインでしてきたことを単純にオンラインに代替・置き換えたものとに分かれるが、コロナ禍において日本がおこなっているモノ・コト・サービスの大半は後者。かくも日本は対症療法。

 

管理思考も対症療法も改善的思考でPDCA的発想。これまでの時代の遺物。この10年20年、VUCAの時代となったといわれていたが、それも大きく超えて前提条件がリセットされるコロナ時代となった。コロナ前でもそれまでの方法論は適合不全で通用しなくなっていたはずだが、コロナ禍での日本の方法論はコロナ禍前の方法論のままである。コロナが収束すれば、コロナ禍前の社会を元に戻したいと考えている。

 

それでいいのか。コロナ禍のなかで「note日経COMEMO」や大学での講義や企業人向けの「コロナ禍後社会を考える」講座での私のメインテーマは、コロナ禍前の場所に立ちすくみ、表面的な逐次投入を繰り返し、日本時計を止め、とどまり、先の見えない時代を右往左往するのではなく、社会の現実のなかを貫く「本質とは何か」を考えて、発信しつづけている。そのなかで考える日本の方法論の適合不全は、



20年前よりネット・スマホ検索時代に入り、不明なこと、分からないことがあれば、スマホで「答え」がすぐに出てくるようになった。この方法論が仕事の方法論を、学びの方法論を劇的に変えた。時間をかけて経験を積み、試行錯誤して、失敗から学び、成熟して力をつけた。ネット・スマホでそんな時間が必要とならなくなった。そこから出てくる「答え」が正しいかどうかを確かめることもなく、ただ信じる。「それは本当なの?」と問わなくなった。だから変化に受け身となった。同じ場所に立ったまま、飛んでくるもの、降りかかってくるもの、出てくるものに対して、ひたすらバットを振りまわしている。「なぜそんなことがおこっているのか」「なぜそうなるのか」を考えることもなく、辛抱・我慢して、耐える。「こんな大変なこと、早く終わらないか」とコロナ禍で願う日本はコロナ収束後に元に戻ろうとする。これでは進歩できない。コロナ禍後を生きていけない。

 

3.コロナ時代後半が「心と和」時代となる理由



コロナ禍は明治維新・敗戦につづく近代3度目の大断層(リセット)となると、コロナ禍に入り書いた。しかしコロナ禍は敗戦のように、1945年8月15日、「瞬間に終わった」という強制終了ではない。外形的に大きく変化するというような目に見える「破壊」ではなく、目に見えない「破壊」である。だから自らコロナリセットの構造を認識して、コロナ禍のありたい姿を想像して、内発的に新たな自分を創造していくことがコロナ禍後の論点だが、そうしようとする人・企業は多くない。

 

私たちは「変革の失敗」をこの30年間に経験している。その変化への対応の失敗によって、「失われた30年」に埋没してしまっている。その経験に学ぶ必要がある。



この30年の失敗の本質はこのどれかではなく、その融合であっただろう。とりわけネット・スマホという新たな技術のコード(本質)を読みちがえた日本は「ネット・スマホで何ができるか」と技術を起点に考えつづけた。一方世界は「こんな暮らし、仕事をするために、ネット・スマホをどう使うか」と人・ライフスタイル・ビジネススタイルを起点に考えた。これが日本の「失われた30年」の根っこにある。それはコロナ禍の現在も続いている。もうひとつ、大切なことがある。

 

「バブル崩壊」の前と後の変化は、氷河期世代以降のゆとり・さとり・Z世代の生活観・就業観をはじめ社会的価値観・人生観を大きく変えた。その世代の社会的価値観の変化を日本は理解せず、バブル前世代がバブル前の方法論で日本を牛耳り、適合不全を広げ、日本を停滞させた。

 

私たちが現在入っている「コロナ禍リセット」は、バブルリセット並み、おそらくそれ以上の社会的影響・インパクトがあるだろう。コロナ禍の日本時計は止まったままだが、この30年間、少数派だった氷河期以降の世代が大切にしてきた社会的価値観がつくりだす基本潮流がコロナ後にメインストリームとなろうとしている。これから「心(Well-being)・和(人と人の関係)」が生み出す風景・社会を大切にしたいと考える世代の人たちが増え、日本人口のマジョリティとなる。そしてさらにその上の世代もかつてそれが大切だったことを覚醒することによって、2020年代のコロナ時代後半の社会は「心」「和」をめざしていく時代になっていくのではないかと考えた。

そこで大きく日本は変わる機会があると考えた。だから今、コロナ禍後を考えて、動きはじめないと間に合わない。次回、コロナ禍後、心と和を軸にどのような社会になっていくのかを考えていきたい。

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 11月4日掲載分〕

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