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2021年10月14日 by 池永 寛明

【交流篇】便乗するなら金をくれ ― 便乗日本(5)(最終回)

〔大阪・中之島〕


若い研究者たちから「地球温暖化研究の祖父」と呼ばれていたプリンストン大学の真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞を受賞した。若くして米国に研究の場を移して、米国籍をとり、研究に研究を重ねて世界で評価され、90歳でノーベル賞をとった。アメリカの若者たちは、真鍋さんに刺激をもらい尊敬している。真鍋さんはアメリカに便乗したが、人並み以上の対価を払うことで、アメリカ人はそれを受け入れている。


1.『日本』に便乗している人


「日本はすごい」ということに便乗している人が多い。オリンピックで日本人がメダルをとったら、我が事のように歓喜の声をあげる。日本人がノーベル賞を受賞したら、感動する。将棋の藤井九段がなかなか勝てなかった難敵に勝ったら、喜ぶ。ただその感動は1週間も1ヶ月も経てば、忘れる。しかし絶対に勝てると期待されていた日本人が活躍できなかったら、がっくりして、残念、なにをしてるんだと批判したりする。日本人の国民性とか精神性といった要素ということもあるが、それも便乗日本。

タダで他人に便乗して、感動したり怒ったりする。


政治でもそう。あの政治家は線が細いだとか、決断できないからダメだとかと批判したりする。しかし政治は先行きが読めない。不満があるならば自ら投票などの行動をしないといけないのに、“どうせそんなことをしても”と動かない。日本国民に生まれたら、将来は年金を貰えて、平和で安心して暮らせ、おいしい水を飲めて生活できる ― そんな『日本』にずっと便乗できると思っている。

一方、苦労して日本国籍をとった海外の人を、日本人はちがった目で見る。
「『日本』はいい国だから、日本人になったんだろう」
「日本の医療制度がいいから、便乗しようとしているんだろう」
と言ったりする。しかしそんなことを言っているあなたの方が便乗しているのではないだろうか。たまたま日本に生まれただけで、日本人となり、“ずっと保証されている”と思い込んでいるのではないだろうか。

それが便乗。



2.こんな国、日本くらい


日本は「文明」国である。どんな外国人であろうと日本で生活しているならば、日本の義務教育が受けられる。そんな国はそんなにない。日本に来た外国人が日本に滞在している間は、義務教育が受けられる。そんな国は世界に少ない。

古来、日本は渡来人を受け入れてきた。高度な知識・技術・スキルを学ぶため、積極的に彼らを招いた。日本に来て、日本で頑張る渡来人には、日本人と同じ環境が担保された。むしろ厚遇した。[8世紀の平安初期の貴族の31.7%が渡来系であり、仏工・金属工・画飾・画工など技術者のうち47.5%が渡来人出身者だったともいわれる]


江戸時代、旅人が旅の途上で亡くなった。亡くなった旅人をどう扱うかは決まっていた。その旅人が亡くなった「場所」を管理している藩で弔られた。その藩に住んでいない人であったとしても、その場所で亡くなったら、そこの藩が葬った。だから住所不定の人が行き倒れ白骨になるまで放置されることはなかった。
それは現代も同じ。身寄りがなくアパートで死んだとしても、行政が火葬までする。それは旅行客に対してもそう。住所不定の人に対してもそう。

 

日本は、日本という国に乗っかっている人に対して、何びとであろうとも同じようにするという観念が昔からある。外国人が喜ぶのは、保険料を払えば日本の医療制度が受けられること。日本国籍がなくとも、日本に住んで国民健康保険に入れば、日本の高度医療を受けられる。しかも母国の家族を日本に呼び、家族が病気になっても日本の医療を受けられる。そのような制度は、世界にそうそうない。それくらい日本は「文明」国である。


3.『日本』に便乗する人を許す日本


ある意味、日本は「日本人を『日本』という船に便乗させる」国である。『日本』という船に乗っている限り、だれもが同じような「サービス」が受けられる。つまり

日本は『日本』に便乗する人を許す。


各地に、こういう美談がある。外国の船が日本近海で難破した。地元の人たちが救助に向かう。助からなくて亡くなった船員はきちんと弔う。

外国人からすると、商売のために世界中を航行している。海難事故は世界で発生する。そんななか、日本近海を航行中に沈没したら、遭難した船員を日本人が救助しようとしてくれる。残念ながら死んだ人がいたら、厚く弔って慰霊碑を立て、何年経っても花を手向けてくれる。そういう国は世界でもそうそうない。日本人はどこの国の人であろうと仏さんだといって大事にする。世界の人はそれに驚き、かつ感動して、日本に使節団を派遣する。すると今度は日本の船が海外で事故を起こした時は大事に扱われる。そういう相互関係に広がった。そんな国だった、日本は。

このような優しい日本人の「便乗を許す寛容性」が『日本』を支えてきた。『日本』はずっとそうだった。しかしそんな日本人が『日本』に便乗しているだけで、それに見合った対価を払わない人が増えた。『日本』に「タダ乗り」の人が増えた


4.便に乗るが、金を払わない=タダ乗りの人


IT
は便利である。パソコン・スマホがなければ仕事・生活ができないくらいの必需品となった。そんな時代、パソコン、スマホが使えないという人に、“こんなことがどうしてできないの”と突き放したりする。自治体がパソコン教育・スマホ教育をわざわざ税金をかけておこなおうとしているが、分からない人がいたら周りが教えてあげる、困っている人がいたらみんなで助けるというのが本来の姿だったのに、そうしないようになった。


江戸時代、水の都だった大坂には、堀川が張り巡らされていた。交通・物流用として使われた。大坂の堀川に架けられた橋のうち、幕府が建てた公儀橋は少なく、大坂の大半の橋は町人が建てた。その橋を使う町人たちが金を出した。橋をよく使う町人はたくさんのお金を出した。橋に近い町家の負担は大きく、橋から遠い町家は負担が少なかった。とても合理的だった。堀や橋は町人みんなで作り、みんなで補修した。堀や橋ができて便利となっても、橋があって当たり前ではなく、自分たちが使う橋だから、建設・維持・補修の費用は自分たちがずっと負担した。便乗するから、金を出した、負担した。

こんな話もある。江戸時代の大坂の町で捨て子があったら、捨て子を発見した町がその捨て子を養育する義務が町にあった。町全体で相互扶助しあった。その町に住むということに便乗する町人は負担した。

 

便には乗るが、金は払わなくなった。


ビジネス現場では「マネタイズ」の議論が多くなった。新たなビジネスモデルを考えるとき、「どうしたらお金にできるのか」に苦慮している。たとえばコロナ禍になって、YouTubeやFacebook、Zoomなどオンラインで講演・講義が無料で視聴できるようになった。それまでお金を出し時間をかけ、わざわざ講演会場に出かけ、窮屈な会場で、遠い演台の講師とスクリーンに映る見にくい資料をながめるという講演に参加していた。そんなものだと思っていた。
それが、家にいながら、場合によっては出先で、視聴できるようになった。画像も音声もばっちりで、それもタダ。好きな時間に視聴することもでき、とても満足。

受ける方はいいが、作り手・情報提供者は時間をかけ金もかけ準備をして作って発信している。それが有料になった瞬間、視聴者はぐんと減る。

なんでお金いるの?


便に乗るけれども、対価は払わない、金は出さない。

ネット検索の「ウィキペディア」で「寄付のお願い」が表示されるようになった。どうして寄付しないといけないのと思う人が多い。「サービスはタダ」と思う人が多い。販売・料理・宿泊などサービスの現場での「もてなし」はよくて当たり前、悪ければクレーム。「顧客満足(CS)」といいだしてから、よけいにそうなった。「サービスはタダ」という考えが強固になった。

ネットはまさにその世界。便利さに便乗するが、その対価は払わない。“空気を吸うのに、お金がいるの?”というように

どうしてお金を払わないといけないの?


便の意味は、入口があったら出口があること、始まりがあったら終わりがあること。深夜バス便、飛行機便、船便に乗れば、お金を払う。払わなければ、タダ乗り。検索もそう。検索ワードをパソコン・スマホに入力すれば、「答え」が瞬時に出る。しかしその情報はタダだと思う。だから情報に対していい加減になる。だから私たちの力がおちる。


5.「便乗日本」のこれから


便乗日本は「便乗」を許してきたが、便乗した人はきちんと対価を払ってきた。しかしこの「便乗日本」が変容していった。


ボクらは乗るけど、キミたちは乗ったらあかん


という空気が広がっている。「寛容性のなさ」がいたるところで見られるようになった。

大昔から、日本はいろいろな所から来た人を温かく迎え入れ、学び、混ざりあって、新たなことを生み出しつづけてきた。日本に便乗する人を許し、日本に便乗した人はその対価を払った。そうして日本は進歩してきた。

今回の東京オリンピックにも、カタカナ名の選手が日本国籍を取得して「日本」の代表として活躍した。彼らは便乗=タダ乗りをしているのではない。日本代表となるために、並大抵ではない努力=対価を払い、大きな成果をあげた。そして多くの日本人が感動した。

しかし日本代表として出場したものの、成績を残せなかったら、“あいつはメダルを逃した”と責めたりする。しかしそう言うあなたこそ、


便乗していませんか?


一所懸命、努力している人のことをつべこべ文句を言うあなたこそ、便乗していませんか?


便乗するなら対価を払う

タダ乗りはいけない


かつてはそうではなかった。頑張る便乗してくる人を積極的に受け入れ、便乗している人とともに、切磋琢磨して日本のビジネス・社会・産業・教育・文化・芸術・芸能などいろいろな分野を強くしてきた。日本はそのようにして成長してきた。その日本が便乗するだけ便乗して、頑張らなくなり、外から来る人たちを受け入れようという寛容さを失いつつある。

大リーグ野球の大谷翔平選手は英語は喋れないかもしれない。しかし「野球の神様」といわれたベーブ・ルースを上回る大谷選手の二刀流の活躍に、アメリカ人は熱狂し、アメリカの子どもたちは大谷選手みたいになりたいと憧れる。大谷選手のホームランを恐れて敬遠する投手に対して、ブーイングする。圧倒的努力にて超人的な活躍をする大谷選手にアメリカ人は便乗するが、きちんと対価を払う。アメリカは公正の国。頑張っている人が何びとであろうと、きちんと高く評価する。

大谷選手の活躍に声援を送りつづけるアメリカ人。それに引き替え、私たち日本人は、日本に来ている外国人を正しく扱っているのだろうか。便乗するなら、きちんと対価を払う ― これが大事ではないだろうか。


エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明

〔note日経COMEMO 10月13日掲載分〕

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