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2021年06月03日 by 池永 寛明

【時間篇】あなたの実を磨き、大きくする ― 膨張社会が縮んだあとに(下)


37日間の休業の後、都市のゲートともいえる百貨店が営業再開した。6月1日から仕事場に通えるようになった人たちも多かっただろう。昨年につづき、2度目の少し早めの大型の「夏休み」となった。強制的に休まざるを得なかった人たちは、この37日間、なにをしていたのだろうか。不意に訪れた昨年の緊急事態宣言の「夏休み」から1年後、2年目3回目の緊急事態宣言下での2回目の「夏休み」の37日間をどう考え、どう行動したのだろうか。いやその人たちだけではない。私たちはコロナ禍500日をどう考え、どう行動しているのだろうか。


1. 自分なら、払えると思っていた。
ウォーターフロントのタワーマンションをローンで買ったが、コロナ禍で払えなくなった。そんな人に、買う物件を間違ったのではないか?払えなくなるのにどうして買ったのか?と訊ねると、「自分なら、払えると思っていた」「まさか自分が払えなくなるとは思っていなかった。コロナ禍で、これほど厳しくなるとは思っていなかった」と答える人がいる。

ロレックス36回ローン、ベンツ残価設定36回ローン、タワーマンション年収10倍ローンの「残価設定ライフ」なら、ずっとやっていけると思っていた。将来を正確に予測できなかったのでも、自分の能力の分を弁えていなかったのでもなく、そうならなかったのはコロナのせい、社会のせいにする。

コロナ禍1年目は遮二無二になんとか踏んばれた。しかしコロナ禍2年目は厳しい。ワクチン接種が始まったが、まだまだコロナ禍はつづくかもしれない。コロナ禍でも順調な業種・会社・店があるが、多くの業種・会社・店は厳しい。二極化というが、そんなもんじゃない。バラバラで色々。100社あれば100通り。

コロナ禍で無くなる需要・業種・仕事があれば、人が足りないという需要・業種・仕事もある。仕事が無くなっているならば、人を求めている仕事に行ったらどうかとすすめても、「ワタシ、大学をでているから、そんな会社にはいけません、そんな仕事はできません」といったり、「私、大企業に勤めていたから、そんな会社にはいけません、そんな仕事はできません」といったりする。かくも現実・自分の能力の分を弁えていない人が多い。

「ボクは企画の仕事ならしたい」「ワタシはPRの仕事ならしたい」「私はデザインの仕事ならしたい」という人もいる。“じゃ、その仕事をしたことはあるの?”“そういうことを勉強してきたの?”と訊いたら、「やったことはないけど、やってみたい」という。したい仕事とできる仕事とはちがう。かくも現実・自分の能力の分を弁えていない人が多い。

いつからか、ふわふわと気持ちが大きくなり、膨張していった。コロナ禍前、だれかにその気にさせられた“膨張”社会になっていった。実ではない虚の世界が膨らみ、地に足がつかない社会観が広がった。


2. これで、大丈夫なの?
コロナ禍2年目も、5か月が過ぎた。令和3年の現在まではギリギリいい。しかしこのような状態がこれからもつづくとは思えない。夏になって、「オリンピック」問題(中止になろうとも開催されようとも)が終わると、風景ががらっと変わるのではないだろうか。これまで良くも悪くもオリンピックのための動きをしてきたが、「オリンピック」問題のかたがついたら、一気に状況は変わる。その段階から、社会に蔓延するのは、「これで、大丈夫なの?」という空気である。そういうモードに切り替わる。

労働市場はワークシェアリングだけでなく、雇用シェアリングもはじまりつつある。雇用を分けあうようになろうとしている。月曜日から水曜日は私、木曜日から金曜はあなた。レンタカーのシェアリングのように、“あなた、いつまで乗っているの?次は私の番だよ”となる。奪われる側と奪う側との確執が深まる。一気に実力社会となる。

これまで広がりつづけた正社員とそうではない人との格差も縮んでいくかもしれない。社会価値の創造・仕事の成果・会社への貢献とは関係なく、正社員の雇用が守られ、そうでない人は不本意に首を切られもしていた。そういった世界から、できる人がきちんと評価され、正社員の特権が?がされる社会になるかもしれない。一気に実力社会となる。

これも膨張だった。だれかにその気にさせられ膨張しつづけきた社会が縮んでいく。膨張していたものが実態に向けて縮んでいこうとしているときに、それに抗うように縮まないようにするのは不自然である。

これまで実態なく膨張したのだから、その会社、その人の本来の「分」まで縮むのが自然。「分」まで縮んだあとに復活できるように支援するのはいいが、実ではない膨張してしまったモノ・コトが縮むからといって、実態にないモノ・コトまで支援する必要はあるだろうか。

しかし、みんな、自分だけ、自社だけは大丈夫だと思おうとする。他人・他社は大丈夫じゃないが、理由もなく自分・自社だけは大丈夫だと思おうとする。コロナ禍2年目の後半から、本当の力が求められるようになる。実力があるのかないのかが鍵となる。


3. これから、どうしていくの?
令和2年に、銀行は過去最大の貸出をおこなった。震災のときと同じような構図である。震災が発生して、復旧したあと、本格的復興に向けて何兆円も投入された。しかし社会は依然、戻っていかない。計画したようにならない。ではコロナ禍支援はどうなっていくのだろうか。


そもそも必然がないモノやコトは定着しない。元には戻らない。物事には



がある。それがなければ成り立たないという「MUST」条件と、あったらいいな・こうなったらいいなといった「WANT」条件が物事にはある。しかしいつからかそれぞれが曖昧になり、MUST条件が蔑ろにされ、分を越えたWANTを追い求め、WANT条件を増やして膨張していった。

その膨張していった社会が縮むとき、あったらいいな・こうなったらいいなと積みあげてきたWANTが無くなり、本当に必要なMUST・WANT条件に縮んでいく。



コロナ禍で、なにが起こっているのか。
コロナ前に、虚である「WANT」を増やして社会を膨張させ、実である「MUST」を弱めてしまった。問題は、その膨張した社会が縮んでいこうとするとき、「WANT」が消えるだけでなく、大切な「MUST」をさらに減らしてしまうことである。

そうなってしまうと、これからやっていけなくなる。実=本質を蔑ろにして、「あったらいいな」や「こうなったらいいな」を追い求めてきた虚を膨張させ、その虚を実と錯覚し、それがいつまでもつづくと思い込んだ。それがコロナ禍でどんどん縮む。虚ではないということ、実のあることを追い求めていかないといけない。

令和3年後半から、コロナ禍影響は次のフェーズに入る。コロナ禍に入って、やるべき大切なことをしなかったこと、これまで積みあがってきた「負債」が乗っかってくる。縮んでいくままに、流されるのではなく、自らを積極的にリセットする。これまでの膨張させてきた形や方法をリセットして、自らを再構築し、再起動させる。

実=本質=本分に戻る。自らの実とはなにかを考え、その実を磨き、実を大きくする。今から準備して始めないと、間に合わなくなる。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEM 6月2日掲載分〕