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2021年01月13日 by 池永 寛明

【起動篇】あなたは、どれだけさかのぼれるか ― わらを拾えるか (2)



すぐれた仏師は山の木を見て、仏像の姿が浮かんだという。
東大寺南大門の金剛力士立像をつくったのは、平安末期から鎌倉時代に活躍した天才仏師運慶と快慶のグループ。仏像を彫る運慶の姿を、夏目漱石は、「仁王の眉や鼻を鑿(のみ)で作るのではない。眉や鼻が木のなかに埋まっているのを、鑿と槌の力で彫りだす」と書いた(夏目漱石「夢十夜」)。もうひとりの天才仏師快慶も、「仏様の力を借りて、木から仏様を彫り出す」といったといわれる。

ルネサンス時代のイタリアの天才ミケランジェロも同じく、「大理石の塊のなかに像が内包されている。彫刻家は、それを発見する。大理石のなかに天使が見える。天使を自由にさせてあげるように彫る」と同じようなことをいった(ウォルター・ベイター「ルネッサンス」)。

東西の天才たちは木や大理石に触れ、想いを馳せ、仏なり天使をそのなかに見た。アートの世界だけではない、モノづくりも同じ。どこで、想像力を発揮するかである。〔「旅のエスプリ」(関克久氏)を参考〕

「大切なお客さまに、この魚をこう調理したら、きっと喜んでいただける」と、漁場で水揚げされた魚から一匹の魚を見つけだし、料理をイメージできる料理人はすごい。魚は、漁師の網にかかり、生産者の浜市場にもちこまれ、良い魚とそうでない魚に選別され、仲買人がさらに良い魚をより分け、東京や大阪の消費者の卸売市場に集められ、セリにかけられる。卸売市場の中を歩いて多くの魚から一匹の魚を見つけてその魚を活かした料理のイメージが見えるのは、なかなかの料理人。卸売店や小売店から料理店に届けられた魚で料理するのは、普通の料理人。


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森林に入って、を見て、この木は「良いテーブルになる」と、テーブルの出来あがりのイメージを思い浮かべることができる人はすごい。木を切り倒して樹皮をはいだ丸太、「木材」となる。この木材を見て、どんなテーブルにできるのかをイメージする人もすごい。そのあと、加工して一定の長さや大きさに製材されて「材木」となる。この材木を見て、これは良い材料だといって、「これを使ったら、こんなテーブルになる」と考えられるのは、普通の人。


モノはどのようにしてつくられるのか。


1.原料をみて、最終製品のこと商品のことが想い浮かぶ人は、すごい人。鉱山から産出された原石を見て、ダイヤモンドの姿が見える人は、すごい人。
2.原料が材料になる。市場にはこばれてくる魚や蟹や野菜とか木材とか材料を見て、これはこうなる、これをこうするとこうなる…とインスピレーションできる人も、すごい。
3.その材料を加工したもの、木なら材木になったものを見て、これは良いなと思う人は、普通の人。
4. さらに進み、ある程度の形になったモノを見て、これは売れるぞ、これはお客さまに支持されるわと思う人は、凡人。

本来、モノづくりはこのように「原料ー材料ー加工ー製品ー商品」と、上流から下流に一気通貫につながっていたが、いつの間にか、効率化の観点から分業化が進み、「組立て・加工」プロセスが中心になり、「良いモノだったら、売ったる」と考える人・企業が増えた。「できあがったモノを持ってきて。それがよかったら、売ったる」という人・企業が増えた。

 

技術もそう。
製品になっていたら考えるけれど、大学の研究室にあるような大本(おおもと)の技術、”原料”のような技術に関心を持ち、「これ、いけるわ」とひらめき、その現実に向けて動く人・企業が減った。なぜか。上流に行けば行くほど、失敗する確率が高まる。それも原料よりも材料、材料よりも製品の方が失敗しない。日本は内向きとなり、挑戦しなくなった。


そんなことでは、成長できない。
たいせつなのは、原料をみて、「これ、すごいで、みんな、喜ぶぞ」と感じるインスピレーション。本当は、商売のネタやヒントがないわけではない。商売のネタ・ヒントは、藁のように、いくらでも転がっている。拾った藁を売って大儲けしたものはいない。藁はきっかけであり、大本の原料だったりする。そこからどれだけあるべき姿をインスピレーションできるか、「これ、絶対いける」と思って、そこから動けるかどうかであるが、多くの人は身のまわりにある藁を拾わない。


日本のモノづくりの多くは「組立て加工=モノづくり」となった。かつては原料からモノをつくりだす一気通貫のモノづくりだったが、加工されたモノ、組立てたモノを商品として出荷するモノづくりが中心になった。


「日本のモノづくりが弱まった」といわれる。
それは「モノづくり=組立て加工」と思うようになったことも大きい。しかし組立て加工は、設計図面があったら、だれにでも作れる。

「図面」をもってきてください。持ってきてくれたならやってみる。

という企業が増えた。しかしそれは受託加工である。図面があったら、だれだってできる。こうして日本のモノづくりは弱まった。


かつてはこうだった。
みんなで話し合っているうちに、良いアイディアが浮かんだ。”これ、行けそうだ、こうやったらできるわ”と盛りあがり、

「じゃ、図面をひいてみます」

とモノづくりしていた日本が、”図面をもってきたら、やってみる”となってしまった。それはたんなる加工であって、本来のモノづくりではない。部分最適となって、全体が見えなくなってしまった。


モノづくり、これからどうしていったらいいのか?
と考えて、日本のメーカーが行き詰るのは、自分たちには組立て技術があるが、それは加工技術であって、それよりひとつ前の段階に戻らなくなったから。上流にさかのぼって見ようとしなくなったことが原因のひとつ。


わが社のこの技術を使って、これからどうする?
というところで、議論がとまってしまう。この技術で、なにか新しいモノをつくる、なにをしたらいいのかと話し合うが二進も三進も進まない。かつては、

「この技術があったら、これはこうで、こうで、こうで…とずんずんと上流にさかのぼって、これ、いけそうだ。よし、これまでとは違うこの仕事をしてみよう」

というように展開していた。紡績会社はそれをした。えっ、あの会社、もともと紡績会社だったの?というくらいの転じ方をしている。異業種から全くちがう分野に転じて成功させた。みんな、さかのぼりをした。

さかのぼって、どうする?
必要なのは、加工する・組立てる前の段階で、どんなものが必要なのか、モノになる前のニーズ、人々はどう感じているのか、どんなことが望まれているのかを、さかのぼって見つめて、そこからおりてきて、自分たちの加工技術・ノウハウに着地するのならいいが、今やっていること、今つかっている技術・ノウハウ・知識・スキル・機械でなにができるのかと考えるから、なにも見えない。そんなことを考える人・企業はいっぱいいる。今いるところで考えたモノは、“お宅じゃなくてもいいです”と受け入れられない。
コロナ禍の今、どうさかのぼったらいいかは次回に。


(エネルギー文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 1月12日掲載分〕