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2020年11月02日 by 池永 寛明

【起動篇】私が水牛のいる島に行った理由



石垣島・西表島・竹富島・小浜島など八重山諸島を旅行した。コバルトブルーのサンゴの海を見たり水牛のいる島を見ることも目的であったが、能楽師との対談準備のため、“能の古形”が演じられた土地の空気に触れに行った。


柳田國男氏の「方言周囲論(蝸牛考)」がある。古い日本の言葉は都であった奈良や京都から離れたところほど残されているとの説があり、大和能楽の古い形を八重山諸島の古民家・博物館で探した。古い能面をつけた演者が舞い、この地の住民たちが観ただろう現場の空気に触れた。
コロナ禍のなかで訪れた、コロナ禍の前の半分の観光客となった八重山諸島で、これからの旅の形を考えた。


1.「時と場」の変革が旅の目的をさらに変える

お伊勢参りのお土産にいただく赤福は格別に美味しかった。かつて旅にはその土地ならではのお土産が必要だった。旅は旅人のためのものだけでなく、旅人をお送りする人のものであった。赤福は伊勢神宮に行かなければ、手に入らなかった。お伊勢参りのお土産の定番だった。
それが近鉄の駅の売店や百貨店で買えるようになった(場の変革)。さらにネットショッピングで、いつでもどこでも買えるようになった(時の変革)。
“わざわざそこに行くのはめんどくさい。そこに行かなくてもいい、GoogleストリートビューやYouTubeで見れる”という人が増えつつあるなか、コロナ禍に入った。コロナ禍は、オンラインによる「時間と場」の変革を決定づけようとしている。


鉄道・自転車・飛行機など交通機関の進歩によって、移動時間が短縮され、人々の行動を近場から遠方に、そして広範囲へと広げた。IT・デジタル技術の進歩は、そこに行くことなく必要なモノを手に入れることができるようになった。即座に遠い場所でも大量の情報を手にすることができるようになった。そのかわり、直接的な「目的」以外のモノ・コト、そして途中・プロセスを失うこととなった。
こうして多くのモノ・コトに希少価値がなくなった。運べないモノ・コトや、そこに行かなければつかめないモノ・コトでなければ、そこに行く必要がなくなる。それがなければ、その地に行かなくなる。

 

2.必要がなければ、そこは忘れられ、消えてしまう

鎌倉幕府がどこにあったのか分からない。日本最古の本格的都であった難波宮も戦後になるまで、どこにあったのか分からなかった。このように都であろうと、必要性・必然性がなければ、忘れられ存在はなくなる。


やれ観光だ、地域創生だ、インバウンドだ、地域活性化だと、いろいろな絵が描かれ、どこかで展開された見栄えのいい企画が導入される。どれだけの人数の人に来てもらうのかという来場者数、どれだけ食べて遊んでもらい売上高をあげるのかという数値目標を前面に取り組むが、短期間でしぼんでしまっている事例をみんなよく知っているが、同じことに取り組み、案の定、同じ失敗をする。
その地の歴史性・背景・文脈という「必然」がなければ、一時的に人々の話題になっても永続きしない。本物・真物ではない偽物は忘れられる。必然性・必要性がなければ消えてしまう。



中国では、「観光」と「観風」という言葉がある。観光は寺社・仏閣など国の光を観ることをいい、観風はその地域ならではの土・向・雅・情を感じて観ることを意味する。観るとは、目で見て頭で理解するという「見る」ではなく、心の目で観て、思い想い、感じることをいう。いつからか日本は各所旧跡めぐりの「観光」だけになり、もうひとつの「観風」を忘れた。その土地にとっての必然を忘れ、どこにでもあるモノ・コトを作ったり、振る舞ったりして、土地の独自性を失い、弱くなった。

 


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3.旅には大義名分ともうひとつ大切は理由がある

江戸時代、人々はなぜあれほどの熱狂で伊勢神宮に行ったのか。幕藩体制のなか行動制約があり、多くの関所があり国内を自由に行き来できなかったが、伊勢神宮への参拝は許された。参勤交代する武士とちがって、大半の庶民は自藩・自国以外の土地のことは知らなかった。伊勢神宮は参拝は大義名分で、自藩や自国のことを知りたかった。しかし伊勢神宮への往復は時間も旅費もかかる。そうやすやすと行けるものではなかった。そのため伊勢講をつくり、町・村のみんなが金を積み立て、講のメンバーのなかから代表者を順番に伊勢に派遣した。
その旅は伊勢神宮参拝だけが目的ではなかった。お伊勢さんの参拝のあと、西国三十三ヶ所巡りを大義名分に、奈良・和歌山・京都・大坂をめぐった。さらに西日本を旅する旅人もいた。旅は1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月にのぼった。現在のように2泊3日、1週間といった短期の駆け足の旅行ではなかった。


では旅人たちはなにをしていたのか。伊勢神宮や西国三十三ヶ所の各寺への参拝は大義名分、それぞれの地・町の人々と対話をして、それぞれの地域の商店・食品・文化・文芸・食・遊びに関する最新情報を収集しつかんで自分のものにして、自らの藩・国に戻り、情報をフィードバックした。伊勢講の代表で派遣されたので、きちんと報告する必要があり、情報は町・村に深く広く伝わった。旅人たちが持ち帰った情報やモノは各藩・国のモノ・コト・文化と融合し、自藩・自国の町・村を進化させた。旅がもたらした他藩・他国情報が自藩・自国を成長させた。
そこに行かなければわからない・感じられないことがある。オンライン時代になっても、この「現地に行かなければ身につかないものがある」という本質は消えるわけではない。となると、コロナ禍後は1泊2日、2泊3日、1週間といった短期間でA地点からB地点・B地点をスキップする旅から、1ヶ月、2ヶ月かけたロングステイに移行するのではないだろうか。


4.旅の途中の考える時間と考えない時間に意味がある

10年前、東京勤務していた時、日本橋から京都三条まで西へ西へと東海道53次を週末ごとに歩いた。東海道53次を踏破しても、西国三十三所や四国八十八ヶ所のように朱印帳や掛軸に朱印してもらえるという「証拠」があるわけではなく、朝から晩までひたすら旧東海道を歩いた。宿から宿へと歩く。その土地その土地の風を感じて観るという「観風」だった。
歩いている間に、通過する物事を見たり、なにかを考えることはあったが、大半の歩いている時間はなにも考えていなかった。その「空」に意味があった。

リモート時代・オンライン時代は目的を獲得したり入手するうえで飛躍的に便利になる。時間と場を大きく変えていこうとしている。しかしA地点からB地点に短時間で行ったり、行かなくなる時代は、A地点からB地点の途中・プロセスでの寄り道・休憩を無くし、本来、その時間に得られた感覚・経験・情報を失うこととなる。
A地点からB地点の途中に、なにを感じなにを観て、なにを考えなにを考えないかという時間をすごすという1〜2ヶ月の旅がコロナ禍後の旅となるのではないだろうか。
私は東海道53次の踏破のあと、四国八十八ヶ所巡りを終え、西国三十三所巡りをしながら、観風しつづけている。考える時間と考えない時間を楽しみながら。


(エネルギー文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 10月30日掲載分〕