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2020年10月29日 by 池永 寛明

【起動篇】私たちはなにを失おうとしているのか ─ 緊急対談“コロナ禍と能”から



「スマホによって、得たことと失ったことがある。それは時間(歴史)軸と地理軸である」と、3年前に対談した松岡正剛編集工学研究所所長の言葉を、山本能楽堂で観世流能楽師である山本章弘代表理事との“コロナ禍と能”について語り合うなか、思い出した。
コロナ禍のなか、これから社会はどうなっていくのかを考えるなか、“能”にたどりついた。と同時に、山本能楽堂からの申し出にて、“コロナ禍×能”の緊急対談を10月27日におこなった。現在進行中のコロナ禍のなか、私たちがなにを得て、なにを失いつつあるのか、どう考えたらいいのだろうか。


失われつつある力1─ 時間軸と地理軸

「地理力」が落ちてきたと実感する。車を運転するとき、かつては地図を横に置き、つづいて「カーナビ」となり、今ではGoogleマップとなり、地元の人しかわからないような道や最短ルートを時々刻々と教えてくれる。とても便利となった。これが自動運転となったら、どうなるのか。


イタリアではタクシーを運転するための免許取得の実地テストは「地図」しか使えないという。カーナビ・Googleマップという道具に頼ることなく、人が持っている地理軸で目的地に到着できるかが問われる。利便性が進歩するなか、失われる地理軸を意図として守ろうとしている。免許をとったあとは、地理軸をもちながら道具を使う。

 

スマホは便利。分からないことがでてきたら、検索ワードを入れると、「答え」が即座に出てくる。それに慣れると、地理軸と時間軸が弱まっていくというのは、まさにそのとおり。
コロナ禍の本質は、デジタルトランスフォーメーション(DX)が生みだす「場」と「時間」の変革ではないか。AI(人工知能)・AR(拡張現実)・VR(仮想現実)などさらに技術は進む。ゲームの世界からビジネス・生活の場への応用が進んでいく。これからどうなっていくのか。


学生時代に読んだ夏目漱石の「草枕」のストーリーがよくわからなかった。三島由紀夫の「豊饒の海」もわからなかった。村上春樹の「羊をめぐる冒険」も文章は平易だが、登場人物とストーリーがよく分からなかった。しかし能を知ると、登場人物がワキとシテであり、夢幻能の構成を踏まえていることに気づき、再読したらすっと入ってきた。これら名作は実は「能」の構図だった。
夢幻能は夢と現(うつつ)を往来する。地理軸と時間軸が幾重にも重なる。過去と現在を行ったり来たり、今の場所から別の場所を行ったり来たりする能はまさにAR・VRそのものではないだろうか。


失われつつある力2 ─ 初心

世阿弥の有名な言葉がある ─ 「初心 忘るべからず」。恐らく間違って使われる言葉の代表のひとつである。「初心にかえって…」という初心を「原点」と理解する人が多い。しかしちがう。


初心」とは、衣を刀で裁ち、次なるステージに上り、新しい身の丈に合った自分に裁ち返る。折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない。そのことを忘れるな。

 

画像1


コロナ禍はリセット(大断層)である。明治時代に入って以来も、明治維新・戦後につづく3つ目のリセットであると考えてきた。現在は今までの延長線上では存在できなくなる立ち位置にいるのではないか。コロナ禍期の現在、なにを考え、どう行動するかで、コロナ禍後に大きく変わる。
コロナ禍の現在、「初心 忘るべからず」の「初心」の本当の意味を考えるべきではないだろうか。過去をリセットして再起動する。しかし強制終了させた前に戻るのではなく、自ら・事業を再定義して、それに向かって再起動させる。650年の歴史を持つ日本の伝統文化である能は、幾度も大きな大断層にあいながらも、自らを変革して乗り越えてきた歴史に学ぶことは多い。コロナ禍の現在こそ、真の意味の「初心 忘るべからず」を念頭におくべき時期である。


失われつつある力3 ─ 融合

いつからか日本人は「二項対立」的発想をするようになった。


集中か分散、全体か部分、形式か実質、抽象論か具体論、都市か郊外、YesかNo、ゼネラリストかスペシャリスト、ハードかソフト、リアルかバーチャル、専門か一般…

 

単純な裏返しで、「AがだめだったらB」という代替論に陥るようになった。みんな同じことを言い、同じような行動をとるようになった。
AがだめでBがだめになると、つぎはCであると考える、日本の本質には「AでありBでもある」と融合する力があった。「リアルかバーチャル」ではなく、「リアルもバーチャルも」である。リアルとバーチャルを融合して、新たな価値をつくりだした。

融合1


陰陽融合 ─ 太陽と月は、互いに存在して、互いに認めあい、朝陽と夕陽の美をつくりつづけあう。陰と陽は常に変化し、互いに増えたり減ったり、互いに競争しながら成長する。どちらも存在して、互いが成長していく。

 

といったら、みんな、「融合・バランスが大事」というが、そんな単純な話ではない。1+1=2ではない。1+1をXにもYにもZにする。1+1から新たな価値を生むことであるが、融合は決して簡単ではない。


ろうか2


能で「あわい」という。内と外をつなぐ縁側がそれ。内でもあり外でもあるが、「間(あいだ)」とはちがう。重なりあいながら、それ以外は変わらないが、組みあわすことで新たな意味を生みだす。朝陽と夕陽がそれ。


失われつつある力4 ─ 想像

「ブラックボックス」が現在社会のあちらこちらに発生している。ネットやスマホをはじめとする技術によって、「プロセス」が見えなくなった。見えているのはインプットとアウトプットだけでアウトプットを導いたプロセスがブラックボックス化した。


ブラックボックス


ネット・スマホだけではない。様々なことが楽に、便利に、快適になったが、社会・ビジネス・暮らしなどの中身が「ブラックボックス」化し、大切なことが見えなくなった。物のつくり方に関心がなくなり、それがどのようにつくられるのか分からなくなり、ついにはインプットすら分らなくなる。
IT・AI化の当初は人間がしてきたことをITにさせた。それが今、人間ができないことをIT・AIにしてもらっている。
なにが起こっているのか。想像力が落ちてくる。日本のモノづくり、人と人との関係は相手のことを「想像」することから始めてきた。想像して創造してきた。そのモノを使ってくれる人のことをイメージしたものをつくり、「これ、ええなぁ」というお客さまの共感を願うことが「想像」だった。それがお客さまのことをイメージせず、自分が良いだろうと考える価値観でものごとをつくり、お客さまに訴求する「創造力」を尊ぶようになった。そうしてお客さまが、社会が見えなくなった。


かつて見えないものを見ようとしてきた日本が、見えるものをより見えるようにしている。「能は観客に不親切ともいえます」と山本能楽堂の山本代表理事の言葉に驚いた。舞台のうしろの鏡板の「老松」はどの能でも同じ松である。どの演目も背景を変えない。あの老松は不変。
観客は能を観るだけでなく、声をはじめ五感・音で観る。むしろ声・音が大事ともいえる。観客は舞台を観て聴いて「想像」した。
日本人はこうして想像力を高めてきたのだということを能から学んだ。コロナ禍の現在、650年間つづいている能に、学ぶことが多い。伝統芸能という位置づけではなく、コロナ禍後社会を生き抜く力を身につけるために。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 10月28日掲載分〕

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