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2020年08月08日 by 池永 寛明

【起動篇】時代は先に進んでいる



「2030年が一気に来た」
2030年にこうなるだろうと思っていたことを今している…2030年に向けた長期ビジョンの検討の場。2030年を考えるなか、コロナ禍をどう考えるかで場は二分する。議論は「コロナ禍で社会は大きく変わる」と考える人たちと、「社会の本質はコロナ禍影響を受けない。収束したら、元に戻る」と考える人たちで、二分する。それはこの検討会だけではない、日本の空気もそう。
コロナ禍が長期化するなか、社会観・市場観・生活観がコロナ禍前のその人なり組織がとりくんできた事柄によって、分かれる。未来は現在に埋め込まれている。その現在は過去に埋め込まれている。過去から現在の流れを見つめ、現在の「変化」を読み解かないと未来は見えてこない。現在しか見えないと未来は見えない。現在がなぜそうなったのかの構造を掴めないから、そもそもの本質が掴めない。だから未来が見えてこない。


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コロナ禍で一気に出てきたこと。
Online Shopping・Online Gaming・Work From Home・Online Training…カタカナで語られるが、すべて英語。これこそ現代日本の課題を象徴している。これまで「絶対ムリ」といって変えなかった。「やっても無駄。意味がない」「時期尚早。まだまだいい」「前にも考えたけれど、メリットがなかった」などと言って真面目に考えもせずに、「先」送りして、5年後10年後の「先」が来たら、また次の「先」へと5年後10年後に先延ばししてきたコト・モノ・サービスが、コロナ禍で一気に動きだしている。「2030年に予定していた事柄が10年前倒しで現在動き出すことになった。じゃ、2030年はどうしたらいいのだろう」と長期ビジョンを考える場は沈黙する。



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コロナ禍のいま、これからデジタルシフトだ・デジタルトランスフォーメーションだ、Society5.0だと、みんな、同じことを言う。ビジネスの現場では「絵を描け」と言われ、みんな同じような絵ばかり描き、ITをツールに海外から仕入れたビジネスモデルを持ち込もうと、やはり同じような絵を描き、同じように物語る。


こうして日本中に横文字・カタカナが氾濫してきた。
海外で使われる言葉をそのまま使う。背景や歴史や価値観や風土が違うのに、海外発のコト・モノ・サービスをそのまま導入しようとする。IT・AI・シェアエコノミー・ブロックチェーン・サブスクリプション…海外そのまま。
20〜30年前まで機能していた日本的な翻訳・編集を殆んどしなくなり、日本社会、生活者の姿を想像をしないで、海外そのままのやり方を社会・市場に入れようとする。「グローバル」だから海外のままでいいんだと言って横文字を並べるが、実は日本社会のことを理解できていない。


しかし横文字を並べる人の話を聴いている人は“分かっていない”と思われたくないから、分かった振りをするが、まったく共感できないから受け入れない、先延ばしする。お互いが「意味わからん、訳わからん」となる。だから気がつけば、世界から取り残される。コロナ禍の今、こんなことをしたい、こうありたいためにIT・AIをどう使うのかを考えずに、IT・AIを「技術」としてのみ取り扱い、社会・生活実態と乖離した「絵」ばかり描いていると、コロナ禍後も社会を読み違ってしまう。


社会・生活を変えるのは、人が技術によってつくりだした「道具」を使ってである。新たな技術は人々の効率・機能性・利便性を高めるが、人としての本質的な変化を生みだすことがある。

たとえば電車や車がない時代は、足で歩いていた。江戸時代、江戸から京・大阪まで15日間もかけて歩いていた。東と西の文化が異なり、宿場ごとで文化の交流があった。そこに旅の意味があった。

15日間も東海道53次を歩きつづけるなか、旅人には「深く考える」時間があった。時間的に、東と西は大きく離れていた。その旅を、技術が新幹線で2時間半の時間で東京と大阪を繋げることとなり、東西交流という概念が薄れていくこととなり東と西の差をなくすことになる。

2時間半の新幹線のなかでは、考える時間は殆どなく、移動が完了する。2時間半の新幹線で、あっという間に目的地に到着するという利便性を高めたが、「深く考える」という時間が失われた。このように技術は利便性を高め、「時代速度」「時間感覚」という時間を変えたが、日常生活のなかでの「沈思黙考」の時間を減らし、ひとつひとつに時間をかけるということが少なくなった。じっくり物事を考える時間が減り、深く考えないようになった。このように技術によってつくりだす便利さは人間性を後退させることがある。

 

ではパソコンやスマホを使うことで、なにを変えていっているのか。
パソコンやスマホは、効率性や利便性を高め生産性を高める。パソコンやスマホを使い、コロナ禍のなか、オンライン会議、オンライン講義、オンライン…というライフスタイル・ビジネススタイルを「普通」にした。1日2日1週間の試行から、1か月2ヶ月3か月と長期化するとそれに慣れて、それが「普通」になる。コレ、ちょっとなぁとか難しいなぁとか思ったことが、改善、創意工夫していくと、逆にこれまでのことが不便になっていく。


パソコンやスマホを使うことの本質は、「場」が変わること。
いままでモノを買いに店に行っていたのが自宅や移動中にオンラインショッピングをしたり、仕事をするために会社に満員電車に乗っていたのがテレワークになったり、大学に合格したから大学のそばのアパートを借りて大学に通学していたのが実家でオンライン講義を受けることになったり、新幹線・飛行機に乗って東京に講演会を聴きに行っていたのが自宅やカフェや公園でオンライン講演を聴けたり、お客さまの工場に会社の車で様子伺いに5分10分のために定期巡回していたのがオンライン営業となったりと、コロナ禍の本質は、「場」の転換である。


そしてその人にとっての場がかわると、その人の時間がかわる。
たとえば通勤・通学時間の片道1時間半かかっていたら、自分時間が1日3時間増える。1日24時間から会社・学校に関わる時間や睡眠時間をのぞいた自分時間が、1日6時間から9時間になる。1.5倍も増える。とてつもない自分時間革命がコロナ禍が現在進行形で進んでいる。自分時間が増えただけではない。


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家でずっと家族とともに、「濃密」な時間をすごし、親と子とは、家族とは、働くとは、会社とは、学校とは、地域とは、生きるとはなにかを考えることによって「社会的価値観」がかわっていく。この社会的価値観の変化は、暮らし方、働き方、学び方、遊び方、生き方をかえる。これがコロナ禍の本質である。


たとえば写真のLOVOT。なにもしてくれないロボット。愛されることを求めるロボット。人の愛するチカラを引き出してくれるロボット。LOVOTは愛を感じ、ジェラシーも人に伝える。人の顔を認識して可愛がってくれた人や面倒をみてくれた人を覚えていて、その人に近寄り甘える。「いつもいっしょで。だれかを愛する」という人の本質をおさえた最先端技術を組み合わせたパートナーロボットが売れている。コロナ禍に伴なう社会的価値観の変化を捉えた次のカタチのひとつではないだろうか。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 8月7日掲載分〕

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