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2020年07月07日 by 池永 寛明

【起動篇】参勤交代をなくせるかも ― コロナ禍は大断層 (2)


10年前に、3年間、東京に単身赴任していた。その3年間、大阪の自宅に帰るたびに、自分の居場所が減っていくことを感じた。それまで自分が座っている場所にモノが置かれていたり、妻や子どもたち家族との会話についていけなくなったりしていく。親と子、家族との関係が徐々に薄れていくような家族のなかでの「空白感」を憶えていた。家族の絆は、家族と一緒にいる時間、共有する体験の記憶量に比例する要素もあるが、単身赴任はそれを弱める。


コロナ禍で、現代版「参勤交代」ともいえる単身赴任がなくせるかもしれない。テレワーク・在宅勤務の長期化で、働き方が変わり、暮らし方が変わり、学び方が変わり、生き方が変わろうとしていることに、多くの人が気づきだしている。そして親と子が一緒、家族が一緒の濃密な時間を取り戻し、都心にはない近所の魅力を発見した。なによりも、「幸せって、なんだろう」を考え出した。日本人は恥ずかしがり屋だから、今まで表立って口にしなかったが、明確に「幸せ」という言葉を使いだした。コロナ禍のいま、私は若し「単身赴任」を命じられたら、東京に行くだろうか。


コロナ禍で、400年つづいた「参勤交代」が無くなるせもしれない。
参勤交代は、鎌倉幕府での「いざ鎌倉」を起源とする考え方もあるが、豊臣秀吉・徳川家康時代に、忠誠心と恐怖心から大名が自発的にはじめ、三代将軍徳川家光が制度化して、各藩の大名を江戸と領国を1年おきに往復させ、大名の妻子を江戸に住まわせた徳川幕府の大名統治制度である。徳川家への各藩の反乱抑制のためのものであり、参勤交代にかかる江戸藩邸運営費用と往復の大名行列費用で各藩財政を疲弊させるものでもあった。参勤交代によって江戸は110万人が住むという当時世界最大の過密都市となり、参勤交代で全国から集まる江戸詰め武士(妻子は領国に住む)を含めた武家が半数を占める「消費する経済」都市として幕府の財政を支えた。

江戸幕府から明治維新への政変に、大久保利通たちは京都から大坂への遷都を建白したが、幕臣だった前島密の「幕府のない江戸は都でなければ廃れるが、大坂は都でなくても廃れない」との提言で、東京奠都(てんと)が断行され、以来150年、東京「中央」政策がとられた。予算と権限を握る政府・中央官庁を東京都に置き、戦後も経済の中枢管理機能や情報発信機能を東京に集中させる政策を強め、高度経済成長の担い手を全国から東京圏に吸収し、また業界団体の本部事務局を東京に置くように命じて、大企業本社機能の東京移転の拍車をかける。このようにして「東京一極集中」がつくられ、世界有数の巨大過密人口都市「東京」と、大量の高齢者となった団塊世代人口が集中する「東京圏」を産んだ。

何から何まで東京に集められた。毎年人事異動ごとに、中央官庁・業界団体本部事務局・企業本社機能・大学のある東京に、全国から人々を吸収していった。江戸時代の参勤交代の江戸詰め武士のように、大量の人が東京に「移動」していった。10年前の私もその一人だった。行きたくなかったが、東京で3年間「詰め」た。その東京赴任という400年つづいた「参勤交代」「江戸詰め武士」という働かき方を私たちは卒業できるかもしれない。

 

「東京一極集中」という集中経済は、集中させることで利便性を高め人を集め経済性を高めることで生み出した過剰分を付加価値に転換させることで収益をうんできたが、その「集中」するということがコロナ禍で不利益となろうとしている。これまでおこなってきた「条件利地」への立地(たとえば都心の繁華街)よりも、「条件不利地」(たとえば自宅の近所)への立地のほうが、コロナ禍で優位となるというような「逆説」が、社会全体でおころうとしている。なんでもかんでも集中させることで成長してきた東京で、「逆説」がコロナ禍前でも生じつつあったが、コロナ禍で顕著におころうとしている。


東京は「ライブハウス」のようである。いろいろな人が集まって密になり、アーテイストと一体化した観客の一員として、同じ空間に参加して盛り上がり、Yay!Yeah!−そんなライブハウスのような東京。2mのソーシャルディスタンスとなればライブハウス経営が厳しくなるのと同じく、“ライブハウス”東京の都市経営も成り立たなくなる。コロナ禍でオンライン会議・オンラインショッピング・オンライン講義を経験して、そのスタイルをマスターした人々は、朝夕の超過密満員電車の往復にどこまで耐えられるだろうか。都心では勤めたくない、都心に行きたくない、都市で住みたくないと選択をする人が増えていくのではないだろうか。


「首都」であるというシンボルで、東京に人が集まった。政策・予算をつくる永田町・霞が関があり、それに繋がる「有識者」がいて、業界団体本部・組織があり、それに繋がる企業があり、そこに繋がるコンサルがいて、毎日のように講演会・セミナー・展示会があり、朝食会・ランチミーティング・夜の会合があり、異業種交流会などの情報交換の場があり、役立つ情報が手に入ると信じて、有象無象の「名刺コレクター」が集まった。私も、その一人だった。しかしコロナ禍で、リモート(分散)ワークが、この「情報の坩堝(るつぼ)」としての東京一極集中の「成立基盤」を崩すこととなる。


ソーシャルディスタンス・三密を避けるため、易々と面対も面会できなくなった。リモートとなると別に東京にいなくてもいいじゃないか、行かなくてもいいじゃないかとなり、分散ワークになると「永田町・霞が関・東京本社」に近いという物理的距離が決してアドバンテージにならなくなる。にもかかわらず、東京への物理的近さを求める企業や人は必ず淘汰されることになる。世界のなかで、アジアのなかで、社会の「生産性」の低さが露呈した日本に、もう「赤ちゃん返り」の時間浪費は許されない。


コロナ禍前にも、すでに情報収集・把握・編集のメカニズムが大きく変わりだしていた。SNSは東京以外のどこにいる人にでもアクセスできるのみならず、無名の人でもいつでも有用な情報発信ができ、世の中を動かせるようになり、それまで「権威」と崇められていた存在・仕組みが崩されていこうとしていた。



もうひとつ大事なことがある。コロナ禍で「東京」でなければ得られなかったことがなくなりつつある。それは東京で開催されていた無数の「講演会・セミナー」がオンラインとなったことだ。いつでもどこでも参加し視聴できるようになった。これまで全国から飛行機・新幹線・バス等で移動して、その2〜3時間の会合・講演会・セミナーに参加するために、東京に出張した。早朝に家を出て深夜に帰宅したり、前日深夜バスで移動したり宿泊したりと大変だった。これも「参勤交代」の一種だった。ひとつの目的だけでは勿体無いので、それ以外の要件もこなした。
それがコロナ禍で興味のある講演・セミナーをいくらでもオンラインで視聴できるようになった。クローズだった「会議」にも、どこからでも参加して「情報」を同時につかめるようになった。リアルでないと雰囲気がつかめないというが、Webでの表情や声質や声のトーンでリアル以上に把握できることだってある。東京の会場で視聴するよりも、オンラインの方が快適な場所で綺麗な画像と音声で視聴できる。
東京以外の人々にとって、とんでもない「情報収集革命」がコロナ禍でおこっている。東京と東京以外の情報格差が一気に無くなろうとしている。企業だけではない、大学も同様である。これで東京にいる人は、「東京では、こういうことがある」と言えなくなり、東京に出張する人だけが情報を手にすることができる時代ではなくなる。情報収集はどこのだれもが平等となる環境になろうとしている。わざわざ東京に行かなくてもいいようになる。
問題の本質がかわる。これらの得られた情報をどう理解してどう編集するかである。コロナ禍の大断層のなかで、取り組むべき重要なことが、これである。


現在はデジタル技術がなかった30年前の「昭和」ではない。リモートワーク、オンライン授業、オンラインショッピング、オンライン診療などを支える技術はすでに存在する。海外でできて、日本でできないことはない。要は「やるかやらないか」である。「集中するスタイル」から「繋がりあって連携するスタイル」へと、社会の戦略重心が大きく移行しようとするなか、この新たなスタイルにいかにスピーディーかつダイナミックに変えるかである。


この数ヶ月、「コロナ禍後社会」を考えつづけ、COMEMOで思うこと、考えることを情報発信しているが、オンラインでも多様な情報を多面的かつ過去から現在・未来の時間軸で縦横無尽に考えてみたい。ご興味がある方はぜひご参加ください。日本には、そんな回り道している時間がないような気がしている。


【錢屋塾 おおさか講座 〜コロナ禍後社会を考える連続講座】 オンライン参加

https://www.zeniyahompo.com/honkan/event/zeniyajukuosakakouza07281?instance_id=11214


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞COMEMO 7月6日掲載分〕