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2020年05月14日 by 池永 寛明

【起動篇】世界一「ヒューマン」な日本の会社 ― コロナ禍社会キーワード(2)「離脱」


オンライン会議の案内が来ると、ほっとする。会議主催者にとって必要な人はオンライン会議に出席できるが、必要がないと見なされたら会議案内は来なくなる。さらにリモートワークが進むと、仕事のパフォーマンスがはっきりわかるようになり、仕事ができる人とできない人が見えてきて、チームに依存していた人は剥がされ、職業や職種がだんだんふりわけられていくことになる。


日本の会社は、世界一「ヒューマン」である。
日本では会社帰りに会社の同僚と飲み会をするが、世界ではそんな会社帰りの飲み会はすくない。“コミュニケーションしよう”と、上司に会社の帰りに飲みに連れていかれるってどういう意味なの、“上司がそういう場が必要だというならば残業時間をつけてよ”と、問題になっていた。それが、コロナで会社帰りの飲み会ができないからといって、オンライン飲み会をする動きもあるが、参加しないといけない義務はないが、欠席するとやはり気になる。これが、世界一「ヒューマン」な日本の会社の空気のひとつ。


日本の職場には、実に「ヒューマン」なことが多い。 柔らかさ・きめ細やかさ・気配り・心配り・家庭的といった「ニュアンス」にあふれている。“微笑んで優しそうに楽しそうな雰囲気にしてメンバーの気持ちを盛りあげよう”というヒューマンは…オンラインにしたらそんなのいらなくなる。“今日の部長は機嫌が悪そうだから今日はそっとしておこう”…オンラインにしたらそんなのいらなくなる。そういう「ヒューマン」に支配されてきた日本の会社風土のカタチが、コロナ禍で浮き彫りになる。


実はそれら「ヒューマン」の多くが、ビジネスにはいらなかった。なかでも「ヒューマンファクター」のウエイトがいちばん大きいのが営業。営業は相手の気持ちをつかまないといけないとか、相手と仲良くなることから始まるとか教えられる。そういう「人間関係づくりが仕事なのだ」と言われてきた。実は、私の会社人生も営業経験が長い。


商品を通じた効能や品質やアフターサービスや価格などで、お客さまの課題を解決する、お客さま価値を創造していくという活動で、本来、営業は評価されるべきなのに、「担当者がとても明るくて良い人」とか「いつも元気で足しげく来てくれて笑顔に励まされる」などといったヒューマンファクターが商談を決めるといった「昭和の営業スタイル」が、インターネット時代になった20年前以降も、まかり通っていた会社が意外に多い。


会社側だけでなく、お客さま側もそれを求めた。だから、いつも笑顔で元気な挨拶をするとか大きな声で返事するといった教育をしてきたが、オンラインになったらそんなのいらなくなる。営業担当が「熱い」「元気」などという特性は、重要ではなくなる。


コロナ禍のなか営業プロセスがオンライン化していくことに戸惑う人が増える。外出制限が解けても銀座や北新地に行ったりゴルフに行ったりという日本的な寝技「接待」は減っていくだろう。このように本来すべきことをしないで不要なことをしてきた事柄が炙り出され、これまでなかなか変われなかった、本当は機能不全していた「昭和の仕事の進め方」が一気に、コロナ禍をきっかけに崩れていく。


これまで営業には「ヒューマンファクター」がなによりも大切だと言ってきたが、そういう営業スキルの多くは、オンライン化したらいらなくなる。なかでも曖昧、抽象な表現がなくなる。「これができたらいいのになぁ」とか「これ、ちょっと検討してみてえな」と曖昧にお願いされ、「検討します」とか「考えときます」と曖昧に答える。


テレワークで、日本社会に蔓延ってきた曖昧ファジーがどんどんとれていく。結論・要件は、口答だけから簡潔にテキストで伝えることが求められ、時間のリミテーションが高まる。たとえば会議は30分以内、要件を伝えるのは3分以内というように、リモートワークは無駄な時間を取り除き、時間軸が重要になっていく。


時間を「チャージ」しているのが仕事である。仕事をお願いするということは、その人の時間を拘束することである。“何時から何時まで仕事をする”という契約で、その人の持ち時間をチャージ・拘束する。“朝9時に会社に来て17時まで仕事をして帰る”という契約は、“9時までのことと17時からのこと”には触れないというのがルールなのに、仕事が終ったら飲みに行こかといった「ヒューマン」な会社ゲームをしていた。リモート時代になると、その「拘束時間」の意味がなくなっていく。


それは「同時性」がなくなっていくということでもある。テレワークが進んでいくと、夜中に仕事をしたい、早朝に仕事をしたいと言う人がでてくるだろう。与えられるタスクの品質と期限が決められていたら、期限日時に間に合うよう、求められたタスクを自らがベストという環境で仕上げるというスタイルになっていく。みんなが一緒にいなければならないといった「同時性」が「場所の共有」とともになくなり、では“会社とはなんだろう”ということになり、ついには“会社に誰もいない”ことになるかもしれない。


「同時性」がなくなると、「時給」という考え方が変わっていく。時給とは、その人の時間をチャージ・拘束することである。時給いくらで、何時間オフィスに拘束し、その拘束時間の代償として、給料を支払ってきた。それがコロナ禍で、9時から17時まで自宅でリモートワークとなった。その拘束時間の途中で、やるべき仕事が終わったら、なにもしていない時間に対しても給料を払うという矛盾がおこる。そんなことがテレワークでいっぱい発生している。


「テレワーク忍者」という言葉がではじめている。
テレワークで、生産性があげる人とそうでない人が明らかになる。これも、テレワークの「本質」である。会社という場が、仕事をしていない人をわからないようにしてきた可能性がある。会社は、そのことをわからないよう、知らないふりをしてきた。テレワークで一人ひとりに明確なタスクを渡したら、長い時間をかけずに上司が求める以上のことをアウトプットする人と、そうでない人に分かれる。テレワークで、それがどんどん見えてきたら、「時給」という考え方があやしくなる。


ではどうなっていくのかといったら、タスクに応じた価格を決めて払うという形になるのではないか。メンバーにタスクを渡すとき、「このタスクは何円」といって渡すようになる。これまでそれを受け入れてこなかったが、そうすることで生産性が高まり品質をあげていくことになる。


時給という考え方のまま、テレワークが恒常化すると、“メンバーの行動管理が必要だ”という声が出てきて、ライブカメラをつけて上司が見るようにしないといけないという話になるかもしれない。すると、テレワークで「管理する」という意味はなにかとなることになる。会社としては、求めるタスクを仕上げなければならない。よってメンバーの時間をチャージするという考え方から、「任せるタスクの価格を決める」というように、仕事の意味が再定義されていく。任せるタスクの価格が決まったら、そのタスクの仕上がりにもとづいて給料を支払うようになる。


営業もそう。これまで、定期訪問や人的接待で「人間関係」を築きあげて成果を上げてきたと自負する人が多かった。営業成果の要因は、「お客さまとの人間関係による成果」がトップになることが多かった。しかしコロナ禍で、お客さまも会社にいなくなるかもしれない。しばらくはこれまでの「人間関係」で通用するかもしれないが、1年が経ち2年が経ち3年が経つと、「人間関係」もなにも、テレワークで、対面したことのないお客さまと仕事をすることになる。そうすると「人間関係づくり」というよりも、お客さまに提案する中身のほうがはるかに大事になる。当たり前の話になる。これまでの職場のなかで手取り足取り経験させて時間をかけて育てるといった人材育成では通用しなくなり、テレワーク時代にあった新たな人材育成が求められることになる。


コロナ禍は、人々の親子観・家族観・生活観・社会観・仕事観・地域観などの社会価値観を変え、ライフスタイル・ビジネスタイル・ソーシャルスタイルを大きく変える。そして、消費構造を変え、産業構造を変え、経済構造を変える。


コロナ禍にあたって、会社はテレワークにしなければいけない、だから在宅勤務の制度をつくり、ITのシステム導入をするという「技術」アプロ―チだけでは、会社は生き残れない。コロナ禍時代における短期・中長期の社会変化を読んで本質を掴み、自社は新たな社会においてなにをなすべきか、会社とはなにか、組織・仕事とはなにか、継承すべき会社文化とはなにか、自社で変えるべきことはなにか、組織・人事・給与・教育をどう考えるべきかを再定義・再構築して、コロナ禍で再起動できる会社に変革していかねばならない。今までの延長線では難しい。小手先ではすまない。コロナ禍は、私たちの土台を、ゲームのルールを根本的に変えようとしている。これまでのやり方で機能不全をおこしていることを捨て、これまでで残すべき大切なことと、新たな技術・知識を融合して、コロナ禍社会を生き抜いていかねばならない。


コロナ禍を明治維新や戦後復興になぞらえる論調が多い。ここで、江戸から明治の大変換期に、日本の産業を近代化に導いた2人の実業家の声を紹介したい。

「外国の工場の視察、書物の調査ぐらいで、紡績のことが分かるものではない。…外国の方法が一通りわかったとした処が、日本では日本に適応した物をつくらねばならぬ。外国の物をそのまま当てはめようとしても、とてもうまくいくものではない。(糸の太さ)の差もあり、価格の相違もあり、その折り合いのつくはずがないのだ」

―(福沢諭吉氏(「百年史東洋紡」より))


「たんに書物から知識を習得したり機械を購入したりするだけでは、技術を習得することはできないと考えた。…日本人に近代工業を発展させる能力がないわけはない。ただこれまでの知識が役に立たななくなっただけだ。ならば、新しい知識を学べばよい」

―(近代日本紡績の父・山辺丈夫氏「NHKスペシャル「明治」プロローグ」より)


明治の近代国家・産業は、江戸時代までの知的基盤に裏打ちされた「翻訳」という日本文化を通じて、西洋の制度・技術を消化し、日本的なものを生み出した。海外からのもの(コード)を、日本文化を融合・バランスさせて、日本的なもの(モード)に転換・進化させた。明治維新や戦後の復興に学べという声が多いが、まさにこの「コードをモード化」する、それも一気呵成に、さらに一段二段と登っていくのではなく、二階三階にジャンプして駆け上がることが、コロナ禍の今、求められている。

 

明治維新や戦後復興だけではない。私たちは、これまでもいくども学んでいる。営業マンがいない「ネット通販」など信頼できないと思っていた人がいた。当初は、商品がちゃんと届かないなどのトラブルもあつたが、今では国内だけでなく世界中から正確に丁寧に送られてくる。いまではオンラインショッピングの信頼性を疑う人など殆んどいない。


インターネット・コールセンターの通販型の保険もそう。顔は分からないが懇切丁寧に説明してくれたり、事故対応も的確にしてくれる。コールセンターは東京や大阪でなくてもどこだっていい。すでに北海道にあったり沖縄にあったりする。オンライン業務は、オンラインでの正確なレスポンスが大事であって、人柄とか情熱とか人間関係など「ヒューマンファクター」は重要ではない。


体育会系出身者が営業に向いているからと、そういう人を積極的に採用して配置してきた。コロナ前ならば、それも通用する世界もあったが、コロナ後社会はノリがいいとか面白いとか熱いとかは重要ではない。ネットで注文したモノが翌日に届くように、頼んだことをちゃんとこなしたり、お客さまの課題を解決したり、お客さま価値を高める仕事ができるのならば、訪問営業・ヒューマン営業でなくていい。


定年退職したら、ぬれ落ち葉のような姿となる人を見かけることがある。それが、すべてである。現役時代バリバリと営業のトップだった人が、ただの人にしか見えなくなったりすることがある。今まで、その会社や業界で通用していたスキルが、社会においてまったく通用しないという証しである。定年後に「ぬれ落ち葉」になった雰囲気が、コロナ禍でリモートワークになると、一気に発生する。今までその会社で辣腕営業マンだといわれてきた人が、その会社で培ってきた「昭和の人間関係構築型」セールスを行使できなくなると、ただの人となる。


もうひとつ重要なことがある。「昭和の人間関係構築型」の人たちは、ニュアンスで責任をかぶらないように生きてきた。明確に指示を出したり、結論を言ったりしてこなかった。WEB会議で、「部長、どうしますか?」と言われたら、曖昧さは許されないので、そこで結論を出さないといけなくなる。しかも出した結論が記録・データとして残る。これまでの行動様式であった「聞いたふり」「見ないふり」ができなくなる。これこそ、テレワークの本質である。今まで日本はそれを避けてきた。


「ヒューマンファクター」に依存した仕組み・制度を変えられなかったのではない、変えなかったのだ。良い文化は残し、良くない文化は変える。変革する絶好のチャンスであるが、これが最後のチャンスかもしれない。


コロナ禍によって衛生面における他人の行動に対する信頼感が失われる(前回「マスクのある風景・コロナ社会キーワード①「信頼」)ことで、人との接触機会を減らす行動を社会全体がとるようになり、社会はリモート化していく。コロナをきっかけに、これまで問題だったいろいろな事柄が変わる。ひとつひとつ実績が積み上がっていく。リモート化して遜色ないならば、それらは元に戻らない。


コロナ禍のなか、日々起こる様々な事柄・風景から、「いままで当たり前だったことが、実は、いらなかったのだ」ということが見えてくる。そして気がつけば、あっと言う間に、社会はダイナミックに変わることとなる。そのときに、自分が、自社がいらないようにしないといけない。


次回はコロナ社会キーワード③「集中か分散化かの二項対立の崩壊」を考えていきたい。

(了)

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 5月13日掲載分〕


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