CELは、Daigasグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ
  • 大阪ガス総合トップ
  • 大阪ガス

JP/EN

Home>コラム

コラム

コラム一覧へ

2020年03月24日 by 池永 寛明

【耕育篇】“これでええ”じゃなく、“これではあかん”という人と一緒に仕事をしたい



「10年先はどんな社会になっているのでしょうか?」
と、大学のトップに質問されることが多い。「“10年先の社会が求める”人材を大学は育てなければならないが、先が見えない」と悩む大学トップ。“なんのために就職したいのかわからない”という大学キャリア面接でつぶやく大学生。大学も、「適合不全」


“社会で何をしたいのか、何を勉強したいのか”わからないのに大学に進学するのは、企業が新任給を“大卒枠でいくら、高卒でいくら”と設定しているからで、企業では大卒でなければ“損”だから、とりあえず大学に行こうとする。この条件がなくなったら、大学はどうなるのだろうか。

 

リカレント教育・学び直し。30〜40歳前後の学びなおしは資格系が多い。大学経営は少子化に伴う大学進学者数の減少を社会人の学び直し需要の獲得に動く。需要は資格・実学にあるが、社会的ニーズは低い。学び直しをしたからと言って、給料は上がらないし、社会は受け入れない。社会人学生の需要はあるが、今のリカレント教育には「着地点」がないので、社会の需要はない。


そんな大学生たちが進む社会・企業はどうなのか。
“これからの人材”を見抜く力が企業側にあるのだろうか。とりわけ企業のなかで、市場・顧客現場から離れている人事担当が学生の能力を見抜けるだろうか。これまで大学に入ったら、いい会社に就職でき、いい暮らしができて、定年までつとめられ、退職金をもらって、悠々自適な老後を迎えられるという“約束型社会”を信じ、生きてきた現役企業側が、“これから”の企業発展に向けて、どんな人材を発掘できるのだろうか。


22歳で選択して就職した会社は、60歳の定年まで続くものと信じて疑わなかった。人気ランキングのベストテンの会社に入ったが、定年までもたず、社名が変わったり、リストラされたり、会社すらなくなったりして、22歳で描いていた「人生設計」が崩れたと嘆く人。気がつけば周りの風景が一変し、聞いたこともない「カタカナ」企業の人がものすごく給料をもらっていたりして、どうなっているのだと驚く人。

 

“約束型社会ではなくなりつつある”ことは頭で理解しているが、“看板型の生き方”を今なお強く意識する。せめて有名な会社に、せめて大きな会社に、せめて人気ランキングの上位の会社に入ろうとする。それは今の「看板」であって、10年後20年後を「約束」してくれない。


約束型社会の基盤を崩したのは、デジタル技術革新。お客さまのアクセシビリティを大きく変え、企業とお客さまのコミュニケーション方法を変え、<メーカー ⇒ 販売店 ⇒ お客さま>の商いの流れを <お客さま⇒ 販売店 ⇒ メーカー>に反転させ、<売り場 → 買う場>へと「商いの場所」を反転させた。そしてワークスタイルを変え、生産性を劇的に高め、働く人を効率化した。なによりも人が集まって働く場という「会社」という意味を変えた。



ワークスタイルの変革は、時間と場所の概念を大きく変えた。
その本質は「コミュニケーション方法」の変革にある。パソコン・スマホによる「情報収集・編集・発信方法」は、上司と部下の縦の関係を、双方向・多方向のフラットな構造に変えた。さらに情報リテラシーの高い若者たちが情報システムに弱いベテランをリードする局面もでてきた。それもあって、ベテランは“ええんちゃうか”と若者に物わかりがよくなった。しかし若者たちの駆使するネットをソースとする情報は広いが、浅く、間違いもある。情報の点と点をつないで滔々とひとり語りはできるが、異領域との対話は弱い。こうして仕事の品質がおちていく。

エンコーディングとディコーディングの失敗がいたるところでおこる。話し手の「暗号」を聴き手が解読できなくなり話が通じないので、「意味わからん訳わからん」が蔓延する。

 


それはなぜか。話し手と聴き手、若者とベテランという両者の対話の「プラットフォーム」に「知識・ナレッジ・経験」が共有されないので、お互いが理解できない。さらに「プラットフォーム」の基盤が薄いため、問題解決・価値創造において重要な「類推(アナロジー)」が発揮できなくなった。

 

デジタル技術の進展に伴う“約束型社会”の崩壊とワークスタイルの変化は、社会・企業が求める“人材像”を変えた。社員は会社に入ってからゼロから鍛えるといっていた時代もあったが、現代はそうではない。


こういう時代背景のなか、私が大学やリカレント教育や企業で講義・講演するときに観念している「これからのビジネスパーソン」の像を紹介する。


<1> 現場に入りこみ・本物にまみれて、知を「蓄積」していく力


バーチャルへのアクセスは容易になったが、リアルへはアクセスしにくい時代となった。
ネットワークの時代だから、本物が求められる。しかしバーチャルでも本物のような感覚となり、情報が容易にスピーディに入手できるようになったので、わざわざ現場に入りこむのが面倒くさくなり、長い時間をかけることをしなくなった。そのため“知(ナレッジ)”が蓄積できなくなった。1000?はなれた北海道の知人に、電子メールなら要件はすぐ届くが、行間は埋まらない。ネットワークの時代だからこそ、どれだけ“本物”にまみえたかが、物事の「質感」を決める。そのために現場に入りこみ、視る力と聴く力とひたむきさが求められる。


<2>技術と社会をつなぐ「構造」をつかむ力


技術と社会が乖離しつづけている。進化しつづける技術は“本質”をブラックボックスにする。インプットとアウトプットの間が見えなくなる。たとえば飲料ペットボトルはどのような技術でつくられるのか、どのようにして、メーカーからお客さまの手元に届くのかに関心が及ばず、アウトプットがあればそれでいいという価値観に変わった。
物事の仕組みや成り立ちという「構造」をつかまなくては、本来、進化しない。AとBを融合させて、組みあわせることでCをうむ、技術と社会を組みあわせて新たなライフスタイル、ビジネススタイル、ソーシャルスタイルをつくっていかねばならない。文系だから技術のことはわからなくていい、技術は技術屋の仕事であると考えてはいけない。技術とは、“テクノロジー=テクノ(技巧)+ロゴス(摂理)”のことであり、“容易に他人にできないこと”を意味し、大根の皮をむくのも“技術”である。進化・深化する技術に関心を持ち、技術と社会につないでいかねばならない。


<3>社会に投げかける力


“虎を出してくれたら、縛ってみせる”という一休さんの「屏風の虎」式の仕事をする人を現代社会によく見かける。“こうしてくれたら、こうする” “こうだったら、こうする”という人が多い。イノベーションが必要だというが、「こういうことがあったらいいね」という議論ばかりして、決断せず、いつまでも物事を進めない企業が多い。あったらいいという“モノ・コト・サービス”の見本・プロトタイプを具体的につくって、いろいろなところに持ちこんで、「これ、どうですか?」と社会に投げかける力が弱くなっている。今、それが求められる。


<4>やってみよう ― 素直・柔軟・変われる力


変われる企業と変われない企業、変われる人と変われない人のちがいはなにか。“経験”のある人は慣性(イナーシア)が働くので、“それはきっとこうなる”“あれは前もやったけど、だめだった”といって、ブレーキを踏んで、新たなことをしない。さらには、“やらないこと”を“リスクマネジメント”だといって正当化する。
“やってみろ”は気合と根性ではない。「舵を繰る大胆な決断力と、舵を切ったあとのシナリオを描く」ことである。“やってみないとわからない”のではなく、“やってみてどうなるのか”をチャート(海図)として持って、臨む。その前提として、素直さ、柔軟性が変えていく力を導く。

 

<5>見限り・見切り、次に向かう力


ビジネスは「①見込み ②見定め ③見極め ④見限り ⑤見切る」が鉄則であるが、近年「④見限り ⑤見切る」ことをしない企業が多い。時代速度・商品速度が高まるなか、“適合不全”となったモノ・コト・サービスをいかに見限り見切り、新たなことを作り、導入して、失敗して、再び作り直して、また試して、次のステージに向けた“試行錯誤”ができるかどうかである。
失敗は、英語ではmistakeで取り損なうこと、取り損なったら、“次はうまくやれよ”である。失敗はこれで“一巻の終わり”ではない。またやったらええと思えることがこれからの人材の力である

 

パラダイムシフトが進行する現代社会。これからの社会ビジネスにおいて求められる人材イメージを考えてみた。ひとことでいえば、“これでええ”ではなく、“これではあかん”と思える人材である。努力しなくてもたどり着けるのは大学までで、大学を卒てからは努力しないとたどりつけない。努力した人が選ばれるコースが形成されている。そんな人と一緒に働いてみたい。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 3月18日掲載分〕