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2020年02月07日 by 池永 寛明

【起動篇】戦略が好きな日本人(下) 


どこまでいっても、日本は傘は傘で考える。
綺麗な傘、折れない傘、可愛い傘…と傘であることを外さない。たとえば持ちはこびやすいコンパクトな傘がつくれないかと考えて、たたむと骨が緩む「折り畳み傘」がうまれた。欧米人は、傘をコンパクトにしたいならば、傘である必要はなく合羽を防水にできないかと考える。日本人は、傘ならば傘の機能を担保しつつ、小さくして、洗練させて、多様な傘をつくる。こういう日本人がウォークマンをつくり、高機能なテレビをつくった。日本人は決められた筋を外さず、その領域・分野で創意工夫を重ねて、横に展開するのが日本的多様性のつくり方である。


モノやコトの本質的な意味とか価値観を外してはいけない。
そこから、どうやって良いものにしていくのか、新しくしていくのかを考えてきたのが日本人。スリッパはスリッパのなかで考える。スリッパに代わるものは、思いつきのアイデア。イノベーションが事業として市場に受け入れられるには時間がかかる。日本人が画期的なことをやっても、日本では認められず、海外で認められて日本に逆輸入されて、ようやく“これはすごい”と受け入れられる。日本人は、突拍子もないこと、原点を離れたものを、なかなか理解しようとしない。


日本人は携帯電話を多機能化した。携帯電話にこだわりすぎ、コンピューターという世界への移行に失敗したが、多機能化は無駄ではなかった。そのひとつが携帯電話のパカパカ。こんな発想は海外にはない。携帯電話の画面を見やすくできないかと考え、液晶画面を大きくした。このガラケーの液晶画面の技術は、コンピューターの画面へ、スマホの画面へと広がった。


だから液晶技術は日本がダントツ。

携帯電話を多機能化した→大きな画面の液晶技術をつくった
→しかしコンピューター化の流れで、ガラケーは敗れた
→しかし液晶メーカーはスマホの液晶メーカーに転じて生き残った。

バイブレーターも日本の技術。音源チップもそう、日本メーカーが主役。みんな、横滑り。ガラケー向けにつくっていたが、携帯型コンピューター向けに、横滑りできた。それは誰も読めなかったが、バランスの結果論である。

 

「負けたらしょうがない」と平気でいう人がいる。負けないようにもっていくのが戦略なのに、「負けたら仕方ない」とすぐにあきらめる。それは「戦略」の専門家だけではない。当事者である企業経営者も「戦略」スタッフも、そう言いだした。成り行きの戦略と化しつつある。


戦略は成り行きで、浅くて狭い。
表面的であり、部分的である。戦略は負けないためのもの。負けないために、どうしたらいいのか。戦略力を高めるためには、自らが経験したこと、他の人の経験に学んだこと、「これはこうだった」という引き出しを増やす。



戦略の核は、アナロジー(類推)。
<AがBならば、CはBになる>と発想する。アナロジー(類推)を使うためには、どれだけ多くの「引き出し」を持っているかである。自ら場数を踏んだ経験だけでなく、他人(ひと)の経験を自らの経験として学んだものをどれだけ「引き出し」に入れられるかである。


しかし人の話を聴いたことそのままを、「引き出し」に入れてはいけない。
人は語るとき、どうしても飾りつけて、創った「物語」をするので、他人の話は自らの経験と掛けあわせて、 “自分事”に翻訳して、「引き出し」に入れなければならない。そうすると、自らがなにかに出くわしたとき、「引き出し」を開いて、<AがBだから、Cはこうする>と導く。「引き出し」をたくさんもっていると、<まずこうして→次にこうして→最後にこうする>という全体ストーリーが描ける。しかし描いたストーリーどおりにうまくはなかなかいかない。

時々刻々におこる問題に対して、臨機応変、解決しながらゴールに向かう。
今の日本、このプロセスが弱くなった。それは「引き出し」が少なくなったからだ。自らの経験しか「引き出し」に入れない。他人の経験に関心がない。他人に学ぶとはスマホを検索して情報を集めるだけでなく、「自分事」として出来事を観ることであり、日々の新聞や本を“自分ならばどうか”と読み考えたことを「引き出し」に入れることであるが、ほとんどの人はそれをしない。時間がないというが、本当はめんどくさいのだ、他人のことに関心がないのだ。


しかし日本の現場力は強い。
スリッパや弁当を世界アイテムにして多様化させ、さらに発展させている。おむすびも日本海苔も、世界アイテムにした。しかし日本の人口が減少するから、超高齢・少子化していくから、別のことを考えなければ、イノベーションだとか変革が必要だといって、これまでのことを捨て、ゼロから考えようという風潮がある。
箸にかかわっている人が箸以外のことを考えて、新たなことを考えるといっても、その新たな分野にはその分野のプロがいる。短期間で彼らを上回ることなどできるだろうか。“だからこそ、やるのだ”というが、箸という世界でなにができるのかを徹底的に考えた方がいい、まだまだ箸で考えることがないかと。またストローが環境の観点から問題になっているから、“じゃストローをやめて、ストロー以外はないか”と考えるのではなく、“ストローで何ができるのか”と考えるべき。ああでもない、こうでもないと考え抜くことが減っている。


自動車は自動織機からうまれた。
自動織機をつくる機械で、そのまま自動車がつくれた。自動織機メーカーの多くは、ねじを切ったり鋳物をする生産方式であったので、そのまま自動車メーカーに横滑りできた。何かから紐づいて転じていくというスタイルである。これも「アナロジー」である。日本的な価値あるものは、そうやってうまれてきた。


「ここまでやってきたことを活かす道はないか」
とウンウンうなって、そこから、すごいことがうまれたり、できあがったりする。今あるものを別のものにできないかと、いろいろなことを考えて考えて考え抜き、試して試して試しまくる。「試行錯誤」を笑ってはいけない。“なんとしても生き残る”ともがき試行錯誤するが、だめなものはだめだが、なかにはあたるものもある。そんなストラグルを恰好悪いとか流行らないとかいって、あっさりと諦める風潮がある。“可能性”を淡白に捨ててしまっている。


日清紡はそれで生きた。
日清紡もクラボウも、ケミカルで生きている。自分たちの持っている「資産」で、横滑りできた。産業の発達史という観点だけではなく、本質にこだわったからこそ、転じることができた。スリッパしかり折りたたみ傘しかり。スリッパじゃなくていいだろう、傘でなくていいだろうという社内での議論もあったろうが、そこにこだわって試行錯誤したからこそ、そのなかに“これいいなぁ”“かわいい”というものがうまれた。餅は餅屋、蛇の道は蛇である。むやみやたらに新産業・新事業といっても、突然、「新産業」「新事業」などできない。今あるもの、今やっていることとは違った角度で考える、横から上から後ろから斜めから考える、試行してみる。なにがでてくるかどうかはわからないが、でてくる可能性はゼロではない。その可能性を消すのは勿体ない。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 2月5日掲載分〕


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