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情報誌CEL

有栖川 有栖

2019年07月01日

石垣の真実

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2019年07月01日

有栖川 有栖

都市・コミュニティ
住まい・生活

コミュニティ・デザイン
地域活性化
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.122)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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豊臣秀吉が大阪城を創建した当時の石垣を掘り出し、一般公開するためのプロジェクトが進んでいる。今年の三月末の時点で〈太閤なにわの夢募金〉に二・四億円(目標は五億円)が集まったことで実現の目途が立ち、令和に入って早々から工事が始まった。
私は同募金のサポーターとして名前を連ねているので、うれしさと安堵を同時に覚えている。いささか地味な事業に思えるせいなのか、募金の目標額にはまだ遠いが。
大阪城は〈大坂夏の陣〉で落城した際に焼失し、二代将軍・徳川秀忠の命で再建されたものも失われ、昭和の初めに鉄筋コンクリート造り・エレベーター完備の天守が復元された――ということはよく知られている。現在の天守ができたのがいわゆる〈大大阪時代〉で、個人と法人による莫大な募金だけで建てられたことを知る人も多い。
しかし、「天守閣は近代建築やけど、石垣は豊臣秀吉が築いた当時のもの」と思い込んでいる大阪市民はたくさんいる。と言うよりも、大阪城に格別の興味を持っている人でなければ、当たり前のように「石垣は太閤さんが造ったまま」と今でも信じているだろう。
そんな思い込みが学術的に覆されたのは、昭和三十四(一九五九)年のこと。地下およそ十メートルに焼けた痕がついた石垣があるのが見つかり、それこそが秀吉の築いたものだった。現在の石垣は徳川家によって城が再建される時に造り直されたものであることが明らかになったのだ。
正直なところ、「嫌な事実を掘り出してくれたな」と思う。二代目大阪城が初代をスケールアップさせたものだったと伝わっているのは仕方がないとしても(どうせ現存していないし)、あの素晴らしい石垣までもがメイド・イン・徳川だったと聞けば、秀吉好きで家康(ひいては徳川)嫌いの大阪人としては愉快ではない。
この事実が公にされたのは翌三十五年になってから。発掘されたものを精査する時間を要したのだろうが、「えー、あまり面白くないことが判明しまして……」と関係者が発表をためらったのでは、とあらぬ空想をしてしまう。
徳川家は、「お前たちが好きな豊臣家は滅んだぞ。もう痕跡すらない。これからは徳川の世だ」ということを大坂の民衆にアピールするため、オリジナルの石垣を埋めた上に壮麗な二代目大阪城を建てたわけだ。意図はよく理解できるし、実際、当時は大きなインパクトをもたらしたに違いない。

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