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2024年01月12日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】 10.『坂の上の雲』の時代


「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。明治維新から殖産興業・富国強兵に力を入れて発展してきた日本ですが、世界は植民地全盛時代。否が応でも、その渦中に巻き込まれていきます。

 

1)日本の将来像に対する哲学とは?

工業化には、物流や移動手段の拡充が必須です。

当時のアメリカは、日本の自動車市場の開拓をもくろんで進出し、GMは大阪市大正区で、フォードは横浜市緑町にて工場を設立し、自動車の生産を開始しています。アメリカ国内で成功した一大事業を新興の日本で広めて、新たな市場拡大を目指していくという壮大な計画です。

しかし、日本は独自の産業発展を選択しました。

自動車製造事業法を制定してアメリカ企業の工場を日本から追いだし、国産自動車の開発へ歩むことにしたのです。自動車は裾野産業が広く、日本全体の工業技術力の底上げになると期待されたからです。

当時のこの判断は、日本をどのように育てるのかという確固たる哲学に基づいています。すでにある先進国アメリカの技術を資本とともに受け入れることは、一見すると近代化への近道にもみえます。しかし、それでは本当の力をつけたとは言い難い。真の発展とは、日本人そのものが技術力を身につけることにある。そうした哲学がありました。

近年は再生可能エネルギーを普及促進することが第一義となり、諸外国資本に牛耳られた手の中で日本企業が動いているケースが多くあります。もちろん、一刻を争う普及促進のためには仕方がない一面があることは理解できます。ただ、当時の日本が譲ることなく持ち続けた哲学とは何だったのか、今一度思い返す必要があるでしょう。

 

また、大阪城周辺に砲兵工廠が建設され、運用を開始します。大阪砲兵工廠の建設にこの地が選ばれたのには、理由があります。そこには、造幣局の存在がありました。

建設当時、世界最大規模といわれた造幣局には、イギリス人商人グラバーの仲介で英国領香港にあった中古の造幣機械が輸入されました。造幣局の設立には薩摩藩出身の五代友厚が深くかかわっていますが、彼が幕末維新期に長崎で過ごしていたこともグラバーの協力につながっています。

造幣とは金属の鋳造技術だけでなく、精錬のための薬品製造といった化学技術も必要であり、あらゆる工業の基礎を形づくっています。金属溶解用のコークスも自給生産しており、副生ガスによる日本初の西洋式ガス燈も灯されました。現在もガス燈のレプリカが局内で点灯されていますが、残念ながら中身は電球に変わっています。

やがて、大阪の適塾で学んだ大村益次郎(日本陸軍の創設者)により大阪の地に砲兵工廠がつくられ、旧幕府の長崎製鉄所(造船所)の職工も移されます。東京にも、今の後楽園ドームの場所に砲兵工廠が建設されましたが、ここは関東大震災で使用不能になりました。砲兵工廠だけでなく、軍事に必要な造船をはじめとする重化学工業の工場が日本中につぎつぎと建設されたのも、この時期です。

 

こうして富国強兵にまい進した日本は強い工業力を身につけ、第一次世界大戦の海外からの特需対応で飛躍的な発展を遂げます。しかし、それからの日本は慢心のあまり、大きなミスリードを犯すことになります。

 

2) 富国強兵へのまい進

あの日、世界が驚愕した。

史上最強と評されたロシアのバルチック艦隊を、極東の小さな島国が制したのです。1905年(明治38年)5月27日のことでした。

「この戦争で日本は負け、ロシアの属国になるだろう」

世界中の誰しも疑いすらしなかった予想が、見事に打ち破られた瞬間です。この知らせは、またたく間に地球上を駆けめぐりました。

 

時は、帝国主義による植民地全盛期です。

スペインによるフィリピン領有、イギリスのインド支配、フランスのベトナム統治。産業革命による先進技術を背景に、アジアやアフリカからの搾取がはじまります。綿花やサトウキビなどの農作物のプランテーションだけでなく、石油や鉱物資源の収奪も先進国の思いのままです。それどころか、アヘンの強制的な栽培や押し売り、奴隷貿易まで公然と横行していた時代の名残りまであります。

貧する国が富める国を支える時代でした。

明治維新を成功させて誕生したばかりの小国日本も、西欧列強の脅威と無縁ではありません。膨張政策をとるロシアが不凍港を求めて南下し、朝鮮半島にまで食指を動かしはじめたのです。

富も資源もない日本でしたが、ロシアとの衝突は避けられないとみた日本政府は、ついにロシアとの開戦を決意します。

一方のロシアにとっては、日本を手に入れる千載一隅のチャンスが到来したとも言えます。北海やバルト海を守備していたバルチック艦隊が、日本を叩き潰すための長い航海に出発したのです。大艦隊の移動を目にしたヨーロッパの人々は、日本の敗戦を確信します。

世界の冷ややかな視線を浴びるなかで、東洋のこの小国には亡国への悲壮さを吹き飛ばす気概がありました。若者の一人ひとりが、国家をになわんとする荒胆を胸に血をたぎらせています。新興したばかりの島国の隅々まで、精彩に満ちあふれていました。

 

この時代、日本の敗戦を予想していた多くの外国人のなかで、血気盛んな日本人と同じく、日本の勝利とその後の成功を確信していた人物がいました。のちに国際メジャーとなるロイヤルダッチ・シェルの創業者のひとり、マーカス・サミュエルです。

マーカスは日本を贔屓してさまざまな分野で多大な協力をしてくれますが、日本はアメリカに石油のほとんどをゆだねる選択をしてしまいます。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。




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