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2024年01月05日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】 9.工業立国へと変貌する日本

「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。日本でいえば明治時代、アメリカやロシア、そして東南アジアで石油の掘削が本格化してきた経緯をこれまでみてきました。ここで、当時の日本の情勢をおさえておきましょう。


 

1)紡績からの勃興

明治維新を成功させて開国した日本は、殖産興業にまい進します。それは紡績業からはじまった、といっても過言ではないでしょう。とくに大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどに紡績工場が林立しました。そうした背景には、大阪特有の地理条件も関係しています。


もともとの大阪平野は、大阪城が建つ上町台地をのぞけば、その多くが河川洪水に悩まされる地域でした。奈良県桜井市を源流とする大和川は、生駒山系と葛城山系の間にある「亀の瀬」と呼ばれる峡谷を抜けて大阪平野にでると、かつては北上して淀川に合流していました。土砂が堆積して天井川となっていたため、流域はいつも洪水に悩まされていました。

 そこで、それまで淀川に流れ込んでいた大和川を堺の海へ直接流す大工事を江戸時代に断行します。その結果として流域の洪水被害は激減したのですが、逆に、一大貿易港であった堺の港に河川の土砂が堆積し、大型船の接岸に不利になって衰退したことは歴史の皮肉です。

一方で、内陸の広大な河床跡で綿花栽培が盛んになり、河内木綿の産地が一気に広がって栄えるようになりました。こうした下地があったからこそ、大阪で紡績工業が発展したといいたいのですが、話はそう簡単ではありません。

大規模な紡績工場は設備投資を積極的におこない、海外から最新鋭マシンを導入しました。しかし、海外の機械では、日本の短太な綿花だとうまく生産ができないことが判明するのです。

結局、海外から大量の綿花を輸入することになりました。しかし、このことが農村から安い労働力を提供できることにつながり、近代工業化を支えたともいえるでしょう。

 

機械化したといえども紡績業は労働集約的な産業であり、安価な労働力を武器に日本は欧米から生産拠点をつぎつぎと奪っていきます。

現代でも、中国や東南アジア、あるいはアフリカにおいて同じ構図がみられます。たとえば自動車のワイヤーハーネス(信号線の束)の製造も労働集約的な要素が強く、日本国内から中国、そしてタイなどの東南アジアへ生産拠点を移していましたが、さらに安い労働力を求めてバングラディシュへ移り、近年はアフリカでつくられるようになっています。

また、機械化は長時間稼働を前提としており、エジソンによって発明された電灯は夜間操業も可能にしました。デフレ時代に導入された最新技術は、農村から供給された安い労働力をさらに長時間労働させることにつかわれました。

 

やがてロシアの南下政策による脅威が高まり、富国強兵が最大の命題となっていきます。

当時は海軍の増強が絶対的に必要な政策でした。産業構造も、工場制手工業(マニュファクチュア)から機械製大工場へ変わりつつありました。技術の中枢だった軍需施設、たとえば呉の海軍砲兵所等の施設から多くの技術者が野にくだり、重化学工業の基盤をつくりあげるようになります。生来のモノづくりが得意な日本人は、欧米の技術をすばやく取り入れながら、近代化にまい進しました。

 

2)なぜ、日本だけが近代化できたのか?

アジアでゆいいつ日本が近代化にいち早く成功した理由として、日本人の勤勉さや識字率の高さなどで説明されることが多いです。しかし、それ以上に重要だったことは、当時の日本は石炭を自給し、かつ石炭の輸出による外貨獲得までできるほどの資源国だったことが挙げられます。

また、それに加えてタイミングも絶妙でした。欧米が苦労して築きあげた技術を、あとからやってきた日本が取り入れたのですから、一気に追いつくことができました。植民地として搾取されてこなかった日本は、石炭を売ったカネで技術と時間を買ったのだともいえるでしょう。階段を一段ずつのぼってきた欧米に対し、日本はエスカレータで一気に追いついたのです。

これが当時、近代化できる最後のタイミングでした。日本のあとから近代化を目指そうとしても、すでに大量生産の世界システムが完成されてしまっていたため、追いつくことは物理的にも経済的にも不可能に近くなったのです。

 

近年の中国は、当時の日本のように繊維業を中心に近代化を進めてきました。安価な労働力を武器に衣類を製造し、日本へ逆輸入させるユニクロ・スタイルの貿易です。やがて重化学分野の製造業へ力点を移し、世界の工場としての地位を確立します。まさしく、日本のあと追いをしてきました。

しかし、最近の中国は国家戦略としてデジタル産業化へ舵をきっています。体力勝負となる大量生産システムの競争から知的勝負へ土俵を移したわけですね。エスカレータではなく、エレベータで日本を追い超してしまいました。豊富な労働力と国家資金をもつ中国が大量生産システムに固執せず、日本と同じ道を歩まない選択をしたことは一考に値するでしょう。

 

中国政策のこうした背景には、コモディティ化した商品を大量生産して薄利多売するビジネスモデルでは、中国通貨である人民元が少しでも切り上げられれば、利益が吹っ飛んでしまいます。では、どうすればいいのか? 

素人考えですが、人民元での決済を増やす。つまり、人民元の決済を呑んでくれる国への影響力を高めるために、経済活動だけでなく、武力による脅しも含めた政治力を駆使してでも取り込んでいかなければなりません。また、付加価値の高い商品へのシフトとともに、相手にとってなくてはならないレアメタル資源のような物資や商品で囲い込む必要があります。

中国が、自身が潜在的にもっているリスクをどのように回避するのかを想定しながら、これからの日本の産業はどうあるべきか、どうすべきかを考える。決まった正解はないとはいえ、私たちは歴史からそのヒントを得る努力を怠ってはなりません。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


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