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2019年02月26日 by 池永 寛明

【交流篇】 静かになった日本 ─ 対話量が減り想像力がおちている


若し携帯電話をもっていたら、救えたのではないか。

10年前のある日曜日に高校1年生の息子が友だちと遊びにいくことになっていた。しかし前日の晩から「友だちが家に帰ってこない」「どこにいったの?」とのインターネットのチャットで友だちのことを心配したメッセージがかけめぐっていた。息子が約束の時間が迫ってきたので家を出ようとしたとき、友だちが柔剣道場横の更衣室で亡くなっていたとのTVニュースが流れた。前日の夕方、柔道の練習のあとに調子が悪くなって更衣室で休んでいたが、半日以上の時間もだれにも気づかれずに亡くなった。携帯電話禁止の学校だったが、彼が携帯を持っていたらと悔やまれる。“いつでもどこでもつながる”という携帯電話を彼がそのとき持っていたら。


「お前、だれや?」と電話越しに訊かれる。

そんな過去の経験をお持ちの方はいるだろう。とても怖かった。彼女に連絡したり話をしたりするときは、彼女の家の固定電話にかけなければいけなかったが、家には1台の固定電話しかない。彼女に取り次いでもらうのも大変だったが、長電話をしていたら、「ええ加減にせぇよ」といわれる。だから十数年前から登場した携帯電話は、彼女のご両親という「家の障壁」を崩し、個人どうしでつながることができるようになった。とてつもないレベルの「革命」がおこった。コミュニケーションの多様性と利便性というメリットだけではない。弱くなったり失ったりしたものがなかったのか。


本当に、いいたいことが伝わっているのだろうか。

携帯電話が社会、企業、家のなかのコミュニケーションスタイルを大きく変えたが、携帯電話での会話量が減ってきているような気がする。インターネット、メール、LINEフェイスブック、インスタグラム、ショートメール、メッセンジャーなどで文字と絵で常時やりとりできる。それも短文で連絡をとりあう、情報共有する。たとえば待ち合わせも、「いつ。何時。どこ」と単語中心に情報伝達・情報共有する。とても「あっさり」した内容だが、すべてのことは伝わっていない。いや伝えなくていいと思っているかもしれない。


オフィスはとても静かになった。

電話が苦手という人がたしかに増えている。そもそもオフィスから固定電話が減る。会社の「代表」電話はあるが、職場ごとの固定電話はなくなりつつある。社員個人ごとに携帯電話が与えられる。それも連絡手段はメール、スケジューラー、LINESNSが主流となりつつあるから、仕事をしているフロアでの「会話量」が減り、とても静か。ときどきかかってくる携帯電話の呼出音がフロアに鳴り響くくらいで、みんなパソコンに向かい携帯電話を横において、黙々と仕事をする。仕事場で、だれかとだれかの話し声や電話でのやりとりなど、適度な「ノイズ」が聴こえてこない。「ノイズ」によってアイデアが湧いたり、自分の仕事に役立ったりしていたが、必要な「ノイズ」が殆どないフロアは静かすぎて落ちつかない。


電話で話すのが苦手。

友だちどうしなら電話できる。メールで「電話していい?」と訊ねてから電話をしあうこともある。しかし会社での電話は苦手。とりわけ非通知の電話はとりたくない。どこの、だれかが判らない、知らない人との電話はしたくない。顔が見えない、声だけでの会話は緊張する。漢字の「聴く」は英語の「Listen to」(耳を傾けて聴く)に対して、「聞く」はhearただ音としてきこえるという意味とすれば、最近の電話でのやりとりは「聞」いている人が多い。だから相手のいっていることの内容が深く判らない。重要なことを聞き落としてしまう。


会話のなかの「沈黙」が判らない。

沈黙には次の言葉を探している「沈黙」と、なにも考えていない「沈黙」がある。会話しているときに時々でてくる「沈黙」、前者の場合は当方は黙って相手が喋り出すのを待たないといけないのに対して、後者の沈黙に対して黙っていたら話はつづかず、対話が成り立たないから当方が話をしないといけない。この「沈黙」の意味を読めなくなっている。また、ショートメールなどSNSを主たるコミュニケーションの手段としている人たちは短文が肌感覚になっているから、会話は短文中心となり、本当のことが伝わらず「対話」として深まらないことが増える。


「想像」力がおちていっている。

会話・対話は相手の姿勢、表情、音のトーンなど「見て、問うて、聴く」という五感をつうじて相手のことを理解しようとしてきたから成り立つ。一方電話は声だけで会話をするために、電話のむこうの人がどんな人で、どこにいて、なにを言おうとしているのかという「想像(イマジネーション)」力を働かせなければならないが、そもそもネットで便利となったため、わざわざ相手のところに行かなくなり、声を出しての会話・対話量が日常的にも減った。こうして日本人が得意であった五感をつかった「想像」力がおちている。「想像」力が欠如したら、ひとづくり、ものづくり、まちづくりに影響があるのは必至。こうして日本の力はおちていく。


エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  27日掲載分