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2022年06月09日 by 池永 寛明

【起動篇】良いコトは受け入れるが、悪いコトは受け入れない ― 自由と統制(4)

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メルボルンのまちづくりの責任者がこういった。「まちには若者が必要である。1日24時間を活動する若者がまちを活性化させる」 達見だと思った。しかし日本での若者の役割はどうなのか?まちから若者がいなくなったら、どうなるのか?

 

 

1.大学はどうなっていく?― 機関から期間へ

 

若者が圧倒的に多い大学の位置づけが大きく変わりつつある。

そもそも若者にとって、大学という「機関」に行くということが目的ではなく、20歳前後の期間を、どう過ごすかが大切である。その期間で、なにをするか。アルバイト・サークル・恋愛、そして勉学。どれが正しいかどうかは誰も言えない。その期間に大きな熱量を投入して、いろいろなヒト・モノ・コトに遭遇し、混ざりあい、なにかをつかみ、なにかになる ―― それが人生において重要であるはずなのに、いい会社に入るため、大学に行くことが目的になっている人が多い。

 

出会う人の数だけ、わらを拾う。大学に行く行かない、どんな仕事をするしないは重要ではない。その期間に、なにをどう拾うのか、それもたんに拾うだけでなく、拾ったものをどう次につなげられるかが大切である。すぐに次につなげられる人、時間がかかる人、人それぞれである。大切なのは、高校卒業後の数年間をどう過ごし、わらをどう拾うかである。その若者の動きが、まちを活性化させる。


幕末の大坂に、緒方洪庵の適塾があった。適塾は有望な人材を多く輩出し、幕末の空気を熱くし、明治日本づくりに貢献した。この適塾に通っていた若者たちは、いったい何者だったのだろうか。脱藩して大坂に来て入塾した若者もいたが、多くは藩から派遣された武士であり、商家から派遣された者だった。適塾で学ぶということは「仕事」であり、給料をもらっていた。「自由」に勉強をしたが、彼らには「責任」があった。自由と統制がバランスしていた。

戦後、大学に進学するということが普通になった。若者の2人に1人が大学に進学する時代となった。子ども自らが、いい大学に行きたいというだけでなく、親が子どもをいい大学に進学させたい、いい会社に入らせたいと親の価値観で将来像を描き、そういう道を歩ませた。それが「パターナリズム※」に陥った。

※パターナリズム:強い立場の者が弱い立場の者の利益に
 なるためだと考え、本人の意思は問わずに介入・干渉すること


さらにコロナ禍に入り、ネット・スマホによるオンライン時代となった。学びのスタイルは一変した。これまでの大学に対する「パターナリズム」が完全に適合不全となろうとしている。


すでに大学の位置づけは変わりつつある。いい大学に行っていい会社に入るためにどうするのかではなく、20代前後の期間を自由に生き、自らの手でわらを拾い、次につなげる。その期間における若者の動きが、社会に活力を生む。にもかかわらず日本型自由主義は変な方向に向かっている。



2.自由主義はすべてを受け入れないといけない


自由主義だからといって、すべてがうまくいくわけではない。うまくいかないこともある。なんでもかんでも利益が得られるものではない。不利益となることもある。そもそも

 

自由主義は
不利益も受け入れないといけない

 

それがイヤならば、社会制度的に平等となるような統制を受け入れないといけない。しかしそれはイヤだという。

 

日本は自由主義だから、学校でなにをしてもいいと考えた。金髪であろうとなんであろうと、自由だからなにをしてもいいと学校生活をすごしたところ、それが理由で就職できなかった。そうなったら、「社会がおかしい。私は差別されている」と文句を言う。それは自由主義として正しいか。

 

自由主義ならば
やった結果がどうなろうとも
受け入れないといけないのに
受け入れない日本人が増えた

 

 

3.良い結果は受け入れるが、悪い結果は受け入れない

 

現代の日本社会を支配している考えは、これ。

 

自由にやりたい
しかし自由の代償は受け入れたくない

 

自由主義・競争主義についての十分な理解がないまま、日本は自由や競争を「善」としてきた。

 

「自由にやっていい」 といわれ
好きなことをやった

結果がでなかった

悔しいけれど
「また次、頑張る」

 

これは正しい。しかし

 

「自由にやっていい」といわれ

自由にやったけど、結果がでなかった

「会社が悪い・学校が悪い・世間が悪い。
私は差別されている」

 

と考えるようになった。これは自由主義とはいえない。

 

自由主義は
結果を受け入れないといけない

 

自由にしたのだから、その結果を受け入れないといけないのに、自由にやって、好き放題やって

 

良い結果は受け入れるが
悪い結果は受け入れない

 

結果のダメージを受け入れない人が、自由を標榜する。それでは世の中は通用しない。

 

 

4.自由を求めるが、統制も甘んじて受け入れる

 

アメリカは自由主義の国で、結果を受け入れる。だからベンチャーが育つ。うまくいかなかったら、再チャレンジしたらいい。そう考える。

 

一方、日本は、いい大学に入って、いい会社に勤めないといけないと考える。いい会社に入ったら成功。あまり知られていない会社に入ったら失敗。就職先によって成功・失敗と考える価値観の人が未だ多い。そんな日本では、本当のベンチャーは育ちにくい。このような「自由主義国」日本は、社会的に未成熟といわざるを得ないのではないか。

 

自由の代償は引き受けないといけない。自由にやってうまくいかなくても、その結果を受け入れないといけない。それができる人は少なく、「いい会社に入らないといけない」と考える人が多い。この考え方は、本来的な自由主義を否定している。

 

「いい会社にいる」ことが自分の夢だった、ゴールだった。だから会社の上司からの無理難題の命令を受け入れた。この会社に勤めているならば、「それをしないといけない」となんでもかんでも受け入れた。しかしその無理難題を受け入れるということは、自由ではない。

 

しかし日本人は自由を求める

 

たとえば大学の先生。権威に守られながら、奇抜な服装をしたり髪の毛を染めている先生がいる。そんな姿は、普通の企業ではなかなか見かけない。そんな「自由」をはちがえた先生が学生を教えている。日本社会の縮図をそこに見る。

 

一方で統制を甘んじて受け入れるが
一方で自由を求め、自由を謳歌する

 

働き方改革を議論しているなか、コロナ禍となった。テレワーク・在宅勤務となり、週休3日・4日制、ジョブ型雇用が増えようとしている。契約社員へのシフトも始まった。しかしそれまでの時間拘束型のワークスタイルを変えられなかったり、与えられた成果が出せず、「あなた、契約しません」となった。するとクビだと言われた人が「会社がおかしい」と言いだす。自由競争なのだから、そうなる可能性はゼロではない。契約条件を満たせなかったら、そうなることがあるのは当然である。しかしそれを受け入れようとしない。それはおかしい、納得できないと騒ぐ。

 

自由を標榜しながら、自由の弊害・ダメージを受け入れない。

 

この2面性のなかで、日本社会は
どこに向かっていくのだろうか

 

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 6月8日掲載分〕

 

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