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2022年06月02日 by 池永 寛明

【起動篇】私はつねに正しく相手が悪い ― 自由と統制 (3)

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高速道路でトヨタ車のクラウンに乗った人が同じ価格帯のベンツを煽る。すると背後からレクサスが近づいて来たら、クラウンは自発的に道を譲る。仕事のできない正社員が優秀な派遣にマウントする。中小企業に勤める人を侮るが、会社の役員に媚びる。卑屈なまで重層化した均衡と異質のヒエラルキーが「日本型自由主義」の底流にある。

 

 

1.日本人の甘さの構図

 

横断歩道で誰かが手をあげている。猛スピードで横断歩道に近づいたドライバーが横断中の人を見て、「どうして車を停めないといけないんだ?停まる停まらないは『人それぞれの自由』だろう」と考えていたら、どうなるか。事故になる。横断歩道に人がいたら車は停まらないといけないという道路交通法がある。だから車は停まらないといけない。それが「自由と統制」の関係。

 

高速道路で車間距離が殆どないのに、猛スピードで横から割り込んでくる車がある。割り込んでくる車のために、急ブレーキを踏んで入れてあげる車。傍若無人の強引な車線変更車をなぜか受け入れる日本。

 

海外にはそんな習慣がない。無理やり入ってくる車は入れない。日本は社会公衆意識が高いのか、社会的に統制されているのか、「横入り」しようとしてくる車を入れてあげる。日本人はある面で鷹揚。問題はこのあと。いつまでも割り込んでくる車を入れないと

 

入れない人が悪者になる

 

場合によればキレられる。本来的には、入れる必要はない。このとても不思議な日本の「横入り」の習慣が、いつの間にか普通になった。

 

日本と世界で根本的にちがうことがある。今年のアカデミー賞授賞式でのこともそう。脱毛症に悩む自分の妻が揶揄されたとプレゼンターに激怒した俳優が突然ステージにあがり、そのプレゼンターを平手打ちした。

 

この平手打ちしたウィル・スミスへの見方が日米でちがった。米国は平手打ちしたウィル・スミスに厳しく、日本人は「奥様を大事にしよう」としたウィル・スミスに好意的。しかし、だ。平手打ちだったから殺人にならなかったのであって、もし銃だったらどうなっていただろうと、日本人は考えない。そういうところが甘い。いや甘いというよりも理論だっていない。

 

 

2.行きすぎたまま戻らない日本の自由

 

そもそも完璧な自由な社会は生きにくい。自由社会においては、絶対量としての自分の分け前は減る。勝つ人と負ける人、儲ける人と儲からない人がでたとしても、自由主義では「神の見えざる手」が働いて、どこかでバランスして社会全体の幸福につながるという考え方がある。

 

しかし自由という世界では、行きすぎてもおさえられすぎても、必ず悲劇者が出る。つまり自由を標榜しているあなたも、「悲劇の人」になる可能性があるのだ。しかしそうなることを日本人はなかなか受け入れない。

 

「なにをやっても許される」と思っている人が高速道路で、たとえば偉い人の車に強引に横入りされると、「どうして横入りするんだ?」と怒るだろう。そもそも「なにをやっても許される」というなら、偉い人だろうが誰であろうと、なにをやっても許されることになる。しかし「なにをやっても許される」と思っている人が、他人に横入りされたら怒るのだ。日本で、このように、とてもおかしなことがおこっている。

 

自由主義の社会では、どんな仕事をするのも、どんな会社に就職するのも自由である。とてもありがたいことである。しかし自由に選んで入社した会社で自由に働いていたところ、「この会社はブラックだ。あの上司はおかしい。耐えられない」といって辞めることになった。しかしあなたがその会社で働くことも、イヤだから辞めるということも自由だというのならば、あなたの上司にも自由がある。そういう論理から言って、「上司がおかしい」という資格があなたにあるだろうか?なぜならすべてが

 

自由なんだろう?

 

 

3.「つねに私は正しく相手が悪い」という構図

 

ここから話は驚く展開になっていく。なにごとも自由というのだったら、自分がその会社に合わないと思ったならば、自由に他の会社に行ったらいい。しかし日本社会ではこんな構図になる。

 

自分が辞めなければならなくなったら
辞める原因となった相手を悪者にする

 

自由主義の概念でいえば、やってはいけないことだが

 

これが日本人の感覚にある

 

テーブルの上にリンゴ1個あった。そのリンゴをあなたが食べた。すると周りから、「どうして、あなたが1人でリンゴを食べるの?」と責められる。食べたあなたが悪者になる。自由主義なんだから、「どこでなにを食べようと自由だろう。自分1人で食べてどこが悪いの?」となるところが、日本ではそうはならない。

 

日本には自由主義の振れ幅から

 

被害を受けた人が正し
被害を受けない人が悪者になる

 

という構図にいつからかなった。

 

こういう話もよく聴く。だれかが金儲けした。すると金儲けしたその人のことを、あいつは脱税とかなにか悪いことをして金持ちになったんだろうと言ったりする。それはなぜ?

 

みんな、金儲けをしたい
だから誰かがそうなったら嫉妬する

 

日本人は本音のところ、他人の成功を心から喜ばない。他人の成功を嫉妬する。たとえば同期の誰かが1番で部長になった。すると「あいつは、上におべっかばかり使っていた。だから部長にしてもらえたんだ」と言ったりして、同期の実力や努力を認めない。

 

百貨店の福袋が売り出された。朝早く起きて買いに行ったのに、売り切れていた。それをとても悔しがる。しかし自分は手に入れられなかったのに誰かが福袋を手に入れている姿を見ると、「どうしてなんだ !? あいつはきっとズルをして手に入れたはずだ!!」と言ったりする。

 

自分が手にできたときは、一転して自分を正当化する。「そんなもの、『早い者勝ち』だろう。オレは前の晩から並んで買った」と言う。

 

私はズルをしていないが
あいつはズルをしたはず

 

と考えるのが日本人の特性。日本人は自由をはき違えている。

 

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 6月1日掲載分〕

 

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