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2022年03月24日 by 池永 寛明

【起動篇】日本が失った「自尊」(下)

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あなたの同期が会社のトップになった。そのトップをリスペクトできますか。自分が仕事を教えた後輩が自分の上司になった。その上司をリスペクトできますか?あいつはうまいことやって上に行ったんだ、あいつは本当は仕事はできないのにトップになったと言ったりするが、若しかしたらその逆になったかもしれない。なのになぜあなたはリスペクトできないのか。

 

 

1.人をリスペクトしない日本人

 

会社のトップになった人をあなたはなぜリスペクトできないのか。絶対的評価として、その人がその立場に就く能力がないからリスペクトできないというのではない。自分との比較で、その人の甘さとかズルさを社内体験的に感じているからリスペクトできないと思っているのではないか。

 

トップになったその人の判断とか行動が甘い。「私だったらこうする」と考えるが、その人はしない。「私だったらそうしない」ということをその人はする。実力もないのに、上に阿って可愛がられ上に昇進した、トップになった。そういう見方をしている限り、リスペクトできない。

 

若しあなたがトップになったとき、社内の人はあなたを同じように見るかもしれない。自分の上は能力がないといっているが、批判しているあなたが逆の立場になったら、あなたは能力がないと言われるかもしれない。

 

自分の役割を認識して、組織を守るために一所懸命に動いている。にもかかわらずその人を尊い、リスペクトしない。これが

 

組織の現実のひとつである

 

いろいろな感情が絡みあって人は評価される。自分がその立場・地位になったとき、自分は絶対に批判されないと考える人は多くない。

 

しかし現実は人は上を批判する。得意になって、みんなからチヤホヤされているというばかりで、その人が会社の誰よりも会社のため社員のために頑張っているから会社が動いているとは考えようとしない。

 

清掃や運送や福祉などの従業者を「エッセンシャルワーカー」というようになったが、日常生活維持に欠かせないこれらの職業はきついので私には無理、できたら就きたくないと考える。この人たちがいないと社会はまわらないのに「ご苦労様」と頭を下げる人は少ない。

 

自分に人に対する尊の念がないと、自分が人から尊の念で寄せられない。自分は人を批判ばかりするが、逆に自分が批判されたら挫ける。
自分は一所懸命しているつもりなのに「頑張っていない」と言われたり、逆に頑張っている人に「あいつは何もやっていない」といったり、批判しあったり、排除しあう。お互いを省みない、お互いをリスペクトしあわない、お互いに尊しあわないと、なにも生まれてこない。

  

互いに自尊がないと自滅する。それは人間だけでなく、企業・組織・学校・地域社会などすべてに共通することである。企業・都市・日本には「尊なるもの」がある。にもかかわらず、尊なるものを慮らなく、批判ばかりしていると、なにも生まれない。

 

 

2.尊はずっと変わらないが、敬は変わる

 

あなたが尊と思っている自然はあなたを排除しない。だから自然である。釈迦三尊像は祈りをささげる人を排除しない。だから仏さんである。仏像の前で手をあわせている誰をも排除しない。それはずっと変わらない。

 

しかし敬は変わる。昨日まで敬礼していた人を今日敬礼しなくなることがある。敬は作為。たとえば大金をもつことで、敬いの対象となる。年功を重ねると、敬いの対象となる。誰もが知っている大企業に勤めているというだけで、敬いの対象となる。
しかし金をもっている間はチヤホヤされるが、金がなくなると、集まっていた人がぱあっと消える。大企業を辞めたら、寄ってきていた人がいなくなる。組織の「偉い人」でなくなったら、だれも挨拶しなくなる。敬とはそういうもの。簡単に始まり、簡単に終わる。敬は人間の作為で、どうにでもできる。


尊はそうではない。尊なるものはずっと変わらない。自尊とは自らをずっと尊することである。自分のなかに「尊いもの」を見出す。


宗教でよくいわれる「自分を見つめなさい」は、そういうこと。自分を見つめて自分のなかの「仏」を見出せといったりするが、それは自尊を見出すことである。こうもいう。仏を見つめて自分のことを考えていたら、世界が変わり、人に思いやりを示せたり、優しくできたり、仏様のようになった。それが自尊である。

 

しかし自分が中心、自分の大事を優先するようになり、自尊がなくなった。

 

 

3.自分に満足できなくなった日本人

 

若くして亡くなった人がいる。その人の死を考えると、尊が分かる。その人の人生はどんな人生だったのだろうか。どうしてその人はそこで生命が終わらなければいけなかったのだろうか。その人は寿命を終えることになったのだろうか。そういったことを考えていくと、若くして死んだ人の尊と、生きている自分の尊を感じるようになる。 


学生時代の友人が知らないうちに亡くなっていた。何年か経ってから友人の死を知ったとき、こう思う。

 

あの人の人生はどうだったのだろうか?

 

そういう思いを寄せる対象が尊。そしてその尊なるものを想う自分も尊、つまり自尊である。自尊とはそういうことである。

  

生命は絶対的に尊い。偶然“親ガチャ”のように生まれたと思っている人がいるかもしれないが、老いとか人の死に巡りあうと、生命の尊さがわかる。苦しみながら生きようとする人を身近に見ると、生命の尊さを感じる。そういうことが忘れさられようとしている。

 

自尊がないと思う人が他人にかかわり、他人の尊厳をいじる資格はない。自尊があるならば、なにをいじっていいのか、なにをいじってはいけないのかがわかる。企業でいえばモラルといえる。人に自尊、会社組織にモラルがなくなり、今までは考えられないことが増えた。

 

それを破ったり、それを守らなかったり、自分のためだけに行動することは、自愛である。相手の尊厳を考えず、人を攻撃したりライバルを蹴落としたりすることは、自己満足である。そういう人はいつまでも自分に満足できない。自分に満足できない精神は人を傷つける。


尊なる生命はどうなっていくのだろうか。自愛の人が他人を受け入れなかったり、他人を排除したりすることは許されない。自尊に目覚めないといけない。自分がなにをもって尊敬されるのか、尊なるものとして敬されるよう自覚して、それに近づくよう努力しないといけない。
自尊を意識して考動しないから、人は「便乗」したり「折角」と考える。自尊心がないと、そうなる。

  

 

4.自尊とは、自分で自分を評価する


高速道路を走っていて、前に車が入ってくると、”なんだよ、くそっ”と割り込んできた車の前に割り込み返す人がいる。それは自愛の満足である。


自愛の満足は社会的価値をもたらさない。前を走る車の前に入ろうとすると、前の車がスピードをおとして入りやすくしてくれた。その心配りにハザードをつけてありがとうと伝えた。今度は自分の車の前に入ってくる車が来たら、自分もそうしようと思う。尊なるものは、次の尊なるものを呼びよせる。

 

道をあけてくれた人の行為が有り難いと思ったら、自分がそれを次の人にする。その連鎖が、減ってきている。これが現代社会の課題のひとつである。自尊心がなく人に施さない人は尊敬されない。

 

自尊とは、英語では「セルフ・エスティーム」と訳す。中国語も「セルフ・エスティーム」と訳す。「セルフ・エスティーム」とはなにか。

 

「自分の中に評価できるものが

見つけられるか」

 

である。他人との比較ではない。「自分のここがよかった。これでよかった」という自己評価である。人はこれでいいのか、これはいけないのではないかと悩みながら生きる。

 

ネットで人の批判をする人も、「これでいいのだろうか」とどこかで思いながら発信している。「これでいいんだ」というセルフ・エスティーム。自分で自分を評価することよりも他人からの評価を気にするようになった。”やはり君はすごいね、頑張っているね”といわれたり、”君はどうしていつもそうなんだ、君と比べて彼はすごいよ”といわれたりする。だから他人からどう見られるのか、どう思われるのかばかりを気にして、他人の目を意識して行動するようになった。しかしそういうことをすればするほど

 

満たされない自分・自我

 

が大きくなる。ここに失われた日本の原因がある。なにから始める。まず自分は何者なのかをつかもう。そのために

 

自分を評価する=セルフ・エスティーム=自尊

 

を取り戻す。これこそが日本社会の閉塞を突破し日本を再起動する始点かもしれない。

  


5.自尊のあるコロナ禍後の社会に


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これからの社会を考えるとき、その社会に人の姿が見えないといけない。これまで描いていた未来の社会は、コンパクトシティだとかスマートシティといい、IT・DX・ロボットなど技術中心に絵を描き、人の姿がなかった。そう描いてきた社会から、コロナ禍を契機とした場と時間の構造変革で、人を中心とした社会に変わるチャンスが訪れた。

 

コロナ時代の後期は「和の時代」。和の時代とは自尊。一人一人が自尊をもち、他人を敬いあい、互いに良い関係をもつことで、和が生まれる。

 

もうひとつは「心の時代」。Well-beingとは心身とも健やかな状態である。どんなに麗しいことをいっても、自分を尊重しなければ幸せは感じられない。自尊心がない限り、Well-beingは実現しない。それは相対的ではなく、自分が想うかどうかの精神性である。この自尊心を再生することが、豊かな心の時代を築きあげる。


たとえば芸術家は自尊で生きている。自分でなければ表現できないと思っている。芸術家は綺麗なもの美しいものをつくろうと思っているのではなく、「自分」を表現しようとしている。それと同じく、これからのオンライン・リモート・リアルとバーチャルを融合した社会は「自尊」が鍵となる。それぞれが自尊を持たなければ、社会は成立しなくなる。


自尊は一歩間違えばプライドと捉えられがちだが、プライドではない。負けたくないという気持ちはプライドともいえるが、負けたくないという気持ちだけでは人から尊敬されない。負けたくないと思って、行動し実現しようとしている姿が尊敬の対象であり、自尊の姿である。

 

「現在はダメで、昔がすべてよかった」というわけではない。50年前の1970年頃は、公害やゴミ問題で大変だった。戦後復興、高度経済成長、バブル経済と日本は経済成長し、お金を儲けた人が尊敬されるようになった。
「過去は良くて現代は良くない」と過去を美化する構図は正しくない。社会は必ず前進している。現代社会はゴミひとつない。悪臭はしない。排水を川に海にたれ流すようなことはない。日本史上、最も前進している。だから世界の人が日本に来られると素晴らしいという。そこについては揺るぎない。日本はみんなの力を結集して社会をよりよいものにした。しかし、みんな、「そうだろうか?」と考えている。


たしかに社会環境はよくなっていったが、人品がさがっている。昔だったらやらないことを平気でやるようになった。それに対して、みんな不安を感じている。自分の子どもたちがそういう人品のない社会、時代に飛び込んでいくことになるのではないか。そんな時代は幸せなこととは思えない。願わくば尊敬できる人にかこまれ、自らも尊敬される人となってほしい。自分の子どもたちが生きる社会はそうあってほしい。しかしそうなれるだろうかと不安に思っている。こんな人品のありさまで、自愛にあふれ自尊のない社会でいいのだろうかと。

 

日本は失った「自尊」を取り戻せるだろうか。コロナ禍で、これまでの社会システム・価値観をリセット・再編集・再構造することができるかもしれない。構造変化が進んでいる。

私たちはこの機会を捉えて、自尊を取り戻し、日本を再起動できるだろうか。

 


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 3月23日掲載分〕

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