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2021年10月28日 by 池永 寛明

【起動篇】時間を止めている日本

 (大阪ステーションシティ 時空(とき)の広場)


成長か分配か ― “格差が拡大している”、だから分配。“日本は「失われた30年の間」成長しなかった、”だから分配ではなく成長。じゃ、どうする。どうしたらいい。答えがない。それが日本の現在。なにが日本の課題なのか。

その縮図をコロナ禍の1年半に見る。


「緊急事態宣言」を発出し解除、また発出し解除の繰り返し。行動制限をはじめとするコロナ対策によって、これまでとは違う「普通」を強いられていると思ってきた。コロナ禍発生後、日本はずっと「我慢する」「辛抱する」1年半だと思ってきた。日本の時計は1年半前から止まっている。いや止めている。コロナ禍だけでなくコロナ禍前も時計を止めてきた日本。しかしその日本の外では、次のステージに向かって、力強く動いている。


1.「コロナ禍前に戻る」と思っている日本


コロナ禍が収束したら、「こんなことをしたい」「あんなことをしたい」と願っている。コロナ禍が通りすぎたら、コロナ禍前に戻ると思っている。変わりたくない日本人の多くは、そう信じこもうとしている。コロナ禍は「非日常」なので、自らを変えることなく、「緊急避難」的に行動している。コロナ禍の最中は我慢しておこう。コロナ禍は耐えていたら、必ずおさまる。コロナ禍が収束したら、コロナ禍前に戻る、そう思おうとしている。


一方、世界はコロナ禍前には戻るとは思っていない。コロナ禍で社会的価値観・生活者の意識は大きく変わっている。変化しつつある価値観に対して、コロナ禍後の社会の姿を想像し、そこに向けて自らを変え、新たなモノ・コト・サービスを創造し、試行錯誤しながら、生活・社会・ビジネスをアップデートしようとしている




日本は本音のところ、「コロナ禍前に戻る」と思っている。
とりわけテレワーク。テレワークはコロナ禍変化における最大の「対応策」のひとつである、そのテレワーク利用率は世界と比べて低い。コロナ禍となって強制的に始めたが、”やれ生産性が低いとかコミュニケーションがとれないとかいって、やっぱり会社で仕事をしないと”ということで、コロナ禍2年目になった2021年からテレワーク率は低くなっている。テレワークは有事における緊急避難的措置にすぎないと考えているから、コロナ禍がおちついたら、コロナ禍が収束したら、コロナ禍前の出勤スタイルに戻そうとしている。

コロナ禍となって、1年半が過ぎた。
新規コロナ感染者数が減り、4回目の緊急事態宣言は解除された。コロナ対策ばかりしていたら、経済が傷む。だから早くコロナ前の「普通」に戻さないといけない。これ、正しいのだろうか。世界を見れば、英国やロシアで新規コロナ感染者は急増している。日本も12月から来年1月にかけて感染者が急増するという「予測」も出ている。

コロナ禍は「有事」「非常時」だから、我慢しないといけない。現在を辛抱と考えるから、時間を止める。しかし「時間」は誰にでも何処にでも等しく流れる。日本の時は止まっているうちに、世界は動きつづける。社会・産業・ビジネスの構造変化は確実に進む。自ら変わらなければ、置いてけぼりとなる。にもかかわらず、「コロナ禍前には戻れない」→「コロナ禍前に戻る」→「コロナ禍前には戻ってはいけない」という発想は以下の答えを導く。


自らが変わらなければ、時間は置き去りにされる。



2.時間が過ぎれば過ぎるほど、元に戻れなくなる


もうひとつの「時間の真実」がこれ。コロナ禍は原因ではある。しかしそれだけが社会のカタチを変えるのではない。コロナ禍の時間が長くなればなるほど、元には戻れない。

1年と2年はちがう。2年と3年とはちがう。3年経つということは、たとえば中学校に入学してコロナ禍となって、1年生から3年生までの3年間をコロナ禍を経験することである。そうすると、その中学生たちは

 
「普通」の形の修学旅行も文化祭も卒業式も
経験がないまま、中学生をおわってしまう。


その子たちが大人になったとき、「普通」の修学旅行や文化祭のことが話題になっても、他の世代と話が合わない。大学生も、そうだ。3年間コロナ禍を過ごした大学生は、1年生からずっとリモートであり、「普通」のキャンパスライフという


言葉の意味がわからなくなる


スタイルが変われば、言葉の意味が変わり、価値観が変わり、ビジネスが変わる。たとえばコロナ禍で就活スタイルがオンライン面接に変わったことで、リクルートスーツを着ないようになった。テレワークとなり在宅勤務が多くなり、ビジネススーツが売れなくなった。スーツ販売店は、元に戻ると考えて我慢・辛抱した。ところがコロナ禍1年が2年になり、2年が3年になったら、元に戻らない。スーツ専門店は今までどおりではやっていけなくなる。浦島太郎が竜宮城から帰って玉手箱を開けたように、社会はがらっと変わる。

目に見えるもの数字に出るものは気がつくが、目に見えないもの数字に出てこないことは気づきにくい。コロナ禍での日々の変化の動きから、これからの姿を読み解き、自らの形を変えた人・会社と、変えなかった人・会社では、とても大きな差となっている。あなたは、このどちらですか。

 

 

3.考える「前提条件」を変えない日本


大地震・台風・集中豪雨は一回・一発。そこから、復旧をして、復興という道のりとなる。しかしコロナ禍はそうではない。局所的に起こっているのでも、直線的に起こっていることでもなく、世界同時進行形に連鎖的で起こり、極めて構造的である。日本のコロナ感染対策という直接的対症療法では、コロナ禍で起こっている事柄・構造変化の「本質」を見落とす。

非常事態宣言がでるたびに、リモートの徹底・テレワークの徹底・オンラインの徹底・対面会議禁止・出張禁止・接待禁止の「お触れ」がでるが、基本的対策というコンテンツは1年半も変わらなかった。いったん決めたことはずっと繰り返された。基本的な考え方、思想というコンテクストは変わらなかった。

こんなことをしていていいのだろうかと思いつつ、現在は我慢だ・辛抱だと言いつづけてきたが、それは対症療法。それは課題ではない。表層的な問題である。そもそもの課題とはなにか。その課題を解決する根治療法を考えないといけないが、そうなっていない。コロナ禍だけの話ではない。コロナ禍前からずっとつづいてきた「日本病」が世界同時進行のコロナ禍で浮き彫りとなった。



なぜ課題解決ができないのか。それは課題が掘り出せないから。前提条件を変えないから。たとえばテレワークで会社に行ってはいけないとなっても仕事がまわるとしたら、そんな「会社」はいらないとなる。コロナ禍になって、コロナ対策をしても業績が変わらないとしたら、ますますそんな「会社」はいらないとなる。


そのことに、なぜみんなは気がつかないのだろうか?


いやちがう。本当はみんな気がついている。しかし気がついていると言ったら


自己否定につながる。
だから気づかないふりをする。
だから前提条件を変えない。


「この前提条件、おかしいのとちがう?」 ― それを口にしたら、

 
あなたは、いらない。
そんな会社は、いらない。
そんな学校は、いらない。
そんな店は、いらない。


となる。だから前提条件を変えない。前提条件を変えないで、どうしたらいいのかを考えるから、表面的な問題ばかりが目につき、本質的な課題は見えない。それが日本が時を止める理由のひとつである。

テレワークの推奨でビジネススーツが売れなくなり、需要構造・収益構造を変えざるを得なくなった業界・企業をはじめ、コロナ禍変化は生活、社会、ビジネスを構造的に変えていこうとしている。しかしコロナ禍もいつか収束するだろう、コロナ禍後はコロナ禍前に戻る、だから前提条件を変えず、時を止めて、自らを変えなければ、どうなるのかは自明の理。

しかしまだ間に合う。止めている時を動かす。ただし1年半もコロナで時間を止めてきたから、世界から取り残されている。一気に巻き戻して、前進する。まだ間に合う。

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 10月20日掲載分〕
 

 


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