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2021年09月02日 by 池永 寛明

【起動篇】私たちが失った「学び」の再起動 ― 学びの変革(下)



私たちは現在、2000年、3000年の歴史の転換期にいる。知りたいことがあればその教えを乞うために、必要な情報を得るために、見たいもがあればそれを見るために、欲しいものがあればそれを手に入れるために、人はそれを持っている人がいるところに移動した。その2000年、3000年の歴史が変わろうとしている。通信技術・情報技術の発達によってオンラインで、「いつでもどこでも」、それらができるようになろうとしている。しかし歴史の転換点の変化は、それだけではない。


1.3000年来の学びが大きく変わる


人間史の大きな転換点を、「学び」の変化で考える。
人間は学びたいと思うことがあると、その知識・知恵をもっている人がいる場に移動して、学びを乞うた。古来の渡来人からの学びしかり、遣唐使・遣隋使をはじめ海を渡った学びしかり、学びたいと思った人はそれを教えてくれる人がいるところに移動して、学んだ。学びの場は大学であった。大学の前の学びの場は、寺院だった。学びたい人は、四天王寺・東大寺・興福寺・三井寺・比叡山延暦寺・高野山金剛峰寺などで学びに行くため、全国から山を越え谷を越え川を渡った


学びは、学びたいことを想い、なにを学びたいかを考えることから始まる。学びたい目標が決まると、それを学ぶべき先生は誰がいいのかを教えてもらう。そしてその先生がいる場を探して、学びの許可(現在は受験)を得て、門をくぐる。それはたんなる移動だけではない。その先生に学ばせていただくために時間的・経済的な準備をおこなったうえで、その先生のいる場に移動して、学びに行くことを意味した。このように学びはとても時間がかかり、命がけだった。それは「受験競争」という名で、現在もつづく。

人間の移動を伴わなくても、学べるようになった。時間をかけずに、簡単に学べるようになった。オンラインで、「いつでもどこでも」学べるようになった。スマホ・パソコンで、無限大に情報が入るようになった。うづいて知りたいこと、学びたいことが手に入ればよくなり、「だれから」でもいいことになろうとしている。学びたい人は、必ずしも「その人」でなくてもいいことになろうとしている。

たとえばこのnoteを書いている池永に会うために、大阪の船場に移動してこなくても、オンラインで十分となった。しかも話を聴くのは、リアル池永でなくてもいい。池永っぽい人が映像にあらわれ、知りたい情報を語ってくれたら、AIであっても全然かまわない。出てくる映像は、人間にこだわらなくなろうとしている。

では、これからどういう学びになっていくかというと、

知識とか知恵とかにどう向き合うか

が問われることとなる。その知識や知恵が、だれから教えられたのか、だれから来たのかはどうでもいいことになっていく。その考えがだれから与えられたり、だれにどういうことを励まされたのかという「だれ」が薄れていき、「だれでも」いいことになる。大切なことは、「なに」であり、「だれ」は問題にならなくなっていく可能性もある。そうなると、その「なに」に対して、自分がどう向き合っていくのかが問われる。 



2.私たちが失ったのは学びの姿勢

情報は向こうからやってくる。スマホ・パソコンを開けば、情報が入ってくる。いつでもどこでも24時間、情報が手に入る。分からないことは検索すれば、一瞬で分かる。その情報が正しいのか正しくないのかを確かめることなく、それで調べることは終了し、分かった気になる。検索してスマホの画面に出てきた玉石混淆の情報から、自分にとって都合のいい情報を、自分が理解しやすい情報をピックアップする。簡単に手に入るから、すぐ忘れる。こうして自らの知識・知恵の「知的基盤」は劣化していく。

それは、学生だけではない。企業人も知識人と呼ばれる人も、「スマホ」で検索してすぐに分かったつもりになる。情報はスマホのなかにあり、求めて得ていた情報が受け身となった。

このことは悪なのか。そんなことはない。使い方なのである。スマホ・パソコンとどう向きあうかである。スマホを活用した新たな学びのスタイルの成果は、目に見えて生まれてきている。コロナ禍から本格化したオンライン中心の講義のなかで大きく成長していく大学生の姿やテレワークのなかで新たな成果を創造している企業人の姿が現在進行形で見えている。

しかし気になることがある。スマホ・パソコン活用のメリットのなかで私たちのなかから、失われていこうとしている力があるのではないか。スマホが中心となると、「地理軸と時間軸」が弱まる可能性があり、だからこそ



を持つことが大切、そのために類推力(アナロジー)が必要であると前回書いた。企業人として、この力の低下と必要性を痛感している。

スマホ検索による学びのスタイルは便利であり、スピーディである。その圧倒的なメリットがある反面、学びが一面的になり表面的になりがちである。これからDXの進化で、さらに人の力をおとす可能性がある。どうしたらいいのか。


スマホ・パソコンを含めリアルとネットの多様な情報を収集し、受信し、歴史・事例・技術・文化といった自らが蓄積する「知的基盤」に収納して、発酵させ、新たなことと自らの知的基盤のなかから、解を類推し、編集して、答えを導きだし、それを実行するという学びのスタイルがDX時代に求められるのではないか。スマホとパソコン・DXを活用した新たな学びのスタイルを創造していくことが求められている。



この新たな学びのスタイルのなかで、なによりも大切なのは「知的基盤」であるが、この「知的基盤」が一気に弱まっているのではないか。スマホ・パソコンの圧倒的利便性の引きかえに、私たちが失ったものは「学びの姿勢・マインド」ではないだろうか。



3.これからの学び ― 積極的な対話による学び

いやそんなことない。私は日々猛烈に勉強しているという人も多いだろう。オンライン講義にTwitterにYouTubeなど新たな学びをしている人もいっぱいいるだろう。しかし学びは一方通行だけではない。圧倒的に対話が減ってきているのではないだろうか、かつてあった「積極的な対話による学び」が。


「積極的な対話による学び」とはなにか。
私たちの先輩たちの学びはこうだったのではないか。「海外・国内・お客さま・同業種・他業種」など多様な交わりを通じて、「なるほどなぁ」 「そうなんや」と、様々なことに関心をもち、自らつちかってきた学びと照らしあわせて、自分の頭で、「どうなんやろ?こうなんやろか?」「なるほどな。じゃ、こうしたら、どうやろ」と考え、自分の信念に昇華させ、「こうとちがうやろか?」と試す。市場・お客さまの反応に耳を傾け、その声に学び、よりよいものに修正して、また試してみる。それを何度も何度も繰り返してきた。これが「積極的な対話による学び」だった。


 


この「積極的な対話による学び」のなかで、大事なのは「〜とちがうんやろか」と自らの五感を使って考えること。“これは売れる。いけるのとちがうか”と考えて、試してみること。“売れない、うまくいかない、反応が鈍い”という現実があったら、“なんでそうならんのや”と、訊ねてみて、とことん課題を追求する。こういうことをしなくなった人が多くなった。なぜか。時間がないから。

また「これが流行している」といわれても、そのまま鵜呑みにしない。



と考える。自分はこうだと考えていたところに、そうでないものがでてきたとき、そうでないものと自分がいいと考えていたことを比較して、確認して、よりよいものをつくった。しかしそうしなくなった人が増えた。効率性だとか生産性向上といって、そんな「面倒くさい」ことはやってられないとそんなプロセスをやめた。

だからスマホ・パソコンで検索して、分かったつもり、できるようになったつもりとなった。自分の考えと、比較しない・確認しないようになった。そうしているうちに、人々の力はおちた。学びは、こうして劣化していった。本来の学びとは



ではないだろうか。学びのベースは対話。学びは1人でするだけでなく、2人、3人、もっと多くのヒト・コト・モノ・サービスからも学ぶ。そして聴いたこと、見たこと、教えられたこと、信じたこと以外に、足りないことがあると考えたら、それを知ってそうな人の所に話を聴きに行ったが、スマホ・ネット・DX時代になって、それをしなくなりつつある。

だからこう思う。スマホからの情報の受け身から、真の学びのスタイルに転換できる鍵は、「対話」である。対話をして、自分の考えをまとめ、「〜とちがうの?」と自分の考えを語り、議論をして、相手の考えと自分の考えを比較して



対話をして、確認して自分の考えと同じだったら「これでええねん」と信念を深め、違っていたら「なるほどな」と素直に受け入れて訂正する。これは、リアルの面対だけでなく、オンラインでもできる。

この多様性が学びにおいて大切。外から取り込んだものを自分のものにしていく。新しいものを次から次に取り込み、新しいものを続々とうみだしていく。私たちが取り戻すべき学びとは、リアルだけでなくオンラインも含めた多様な対話をおこない、



これがこれからの私たちが取り戻すべき学びの姿勢でありマインドである。この学びの姿勢・マインドに、スマホ・パソコン、DX時代の技術を組合せ、新たな価値を生みだしていくのが、これからの学びのスタイルではないだろうか。

まだ書くことがある。これからの学びには、対話に加え、DXなどの新たな技術を使い、様々な知識・知恵と、どう向きあっていけばいいのかが大切である。それを次回の「学びの転換(最終回)」で考えたい。


エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明

〔note日経COMEMO 9月1日掲載分〕



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