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2021年08月30日 by 池永 寛明

【起動篇】企業人のなんの力がおちたのか ― 学びの変革(中)


「スマホのメリットは言うまでもないが、スマホによって、人の力から『地理軸と時間軸』が弱くなっていく」と語られた現代の知の巨人(株)編集工学研究所の松岡正剛所長の言葉を今も憶えている。5年前に、「スマホのメリットとデメリットは?」の私の問いに対する答えだった。卓見である。



日本でいちばん高い「あべのハルカス」からの365℃の展望は絶景。豪雨がつづいた真夏の合間の風景。大阪を中心に兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良・三重の近畿から、瀬戸内海・四国そして西日本・アジアを感じる地理軸に、百舌鳥・古市古墳群に難波宮跡の古代から中世・近世・現代の日本史という時間軸を一気通貫に感じる場所。


あべのハルカスの眼下に、四天王寺と天王寺公園。難波、心斎橋、大阪城、御堂筋、梅田のビル群に、北摂、京都市街と滋賀。六甲山、北摂三山、比叡山、生駒山の山々につつまれた大阪平野と阪神。伊丹空港に降りたつ飛行機。琵琶湖からの淀川は大阪湾につながり、瀬戸内海が広がる。明石海峡大橋から淡路島、関西国際空港、和歌山。堺、百舌鳥・古市古墳群から奈良、鈴鹿山脈の向こうに伊勢と、古代から中世・近世・現代という時間軸をたどれる日本有数の場所。



1.コロナだから、こうなった、こうなる

パソコンが事務所と家の外に出た。ノート型パソコンは、ウォークマン誕生以来の社会的影響だと思った。“それをするのは家、これをするのは会社”という「当たり前」が、当たり前でなくなった。「いつでも、どこでも」という環境がうまれた瞬間だった。それにスマホがつづいた。

カフェやコワーキングスペースで、IT会社、コンサル、大学の先生たちが、ノートパソコンをカバンから取り出す。Tシャツ、ポロシャツ、チノパンとスニーカーのスタイルで、シリコンバレーの人みたいで、カッコいいなと思ったが、「セキュリティ上、リスクの観点から問題があり、うちの会社では無理」と多くの「会社」はそう言い、先のばしした。「働き方改革」の議論のなかでの検討テーマのひとつだったが、テレワークは看護や育児のような特別な事情以外、全面展開はまだまだ早いと、やはり先のばしした。

それが変わった。コロナ禍で、一気にテレワークとなった。もともとITツールは整備していたのだから、「やるかやらないか」だった。今までずっとずっとできないといわれていたが、できた。そして一気に「テレワーク」が広がった。ただ問題は



広がったということだった。強制的にやれとなった。国から自治体から業界団体から、「テレワークをしよう」となった。目標値も与えられた。「うちは80%するから」「あんたとこの目標は60%ね」「じゃ、わが社は50%をなんとか」と割りあてあった。

コロナ感染拡大を抑制するために、やらざるを得なくなった。しかしテレワークという「意味」を会社として考えることなく、会社の「方法論」としてテレワークを全面展開した。見切り発車だった。

だから、“みんな、ちゃんとしているのかな?”“監視カメラをつけないといけない”という声も出ている。そしてテレワークで「生産性がおちた」というようになり、「だからコロナが収束したら、元に戻す」という議論が出だしたころに、またコロナ感染拡大して緊急事態宣言が出た。

テレワークをする側はちがった。
テレワークの「意味」を発見した。「数をこなす、処理をする」という目的で仕事を捉えるならば、家ではセキュリティの問題があるから、会社ですべきということになる。しかし「よりよいものをつくる、高品質のものに仕上げていく」ということを目的として仕事を捉えた人にとっては、いちばんいい仕事をするために、「自分にとっていちばん成果が出ると思う場所で、自分にとってベストのいい時間に仕事ができる」というテレワークの本質を発見した。そして現実、より創造的な仕事をしはじめている人があらわれた。

いちばんいいモノ・コト・サービスをうみだす。そのために情報収集する、勉強をする。それを可能にする環境が飛躍的に整えられ、広がった。分からないこと、困ったことがあれば、パソコンやスマホで、いくらでも調べられるようになった。いつでも、どこでも、仕事が進むようになった。仕事の「場と時間」革命が起こった。

その環境はコロナの前からできあがっていたが、なによりもコロナ禍で一気に情報量が増え、情報の質が高まっている。情報を手に入れられるというだけでなく、自ら手軽に情報発信して場に参加できるようになった。一億総メディアとなり、Facebook、Twitter、note日経COMEMOなどの情報品質が飛躍的にレベルがあがった。YouTubeも充実し、オンライン講義が一気に増えた。今までお金を出して会場に行かねばならなかった講演も家にいながらスマホで聞けるようになった。いつでもどこでもなんでも、勉強できるようになった。
しかも無料で読めたり視聴できる。図書館や書店に行って本も雑誌も借りたり買ったりして読まなくていいように、知りたいことが身近に手に入り、いつでもどこでも知れるようになった。簡単に「知的」になれる、賢くなれる、物知りになれる ―― とってもいい世界・パラダイスの時代になった。

…たしかにそうだろう。しかしそれってほんとにそうだろうか?
その簡単に、タダで手に入る情報が正しいのかどうか、本当はわからない。情報と情報をつないで、器用に語れるようになった。一見すごいことを言っているなと思うが、質問をしても的確に答えられず論理破綻する。その語りは決して深くなく浅く、体系的でない人が多い。なぜそういう人が増えたかに学びの課題がある。


2.コロナ禍前から、こうなっていた

「日本経済新聞」を読むのはステータスだった。
現在、日本経済新聞を1面から最終面まで全紙面を熟読している人はどれだけいるのだろうか。仮に読んでいたとしても、日本経済新聞の記事内容がどれだけ理解できているのだろうか。

かつて満員電車で日本経済新聞を折りたたみながら読む会社員をよく見た。その姿こそが社会人だと、大学生も就活1年前くらいより日本経済新聞を買って読みだすようになった。「日経新聞の読み方」といった本まで読んで、日本経済新聞を読んだりもした。

その日本経済新聞を今はタブレットで読むようになった。ただ自分の会社・業界に関係するところ・自らの興味のあるところを中心に読み、他のページは読まなくなった。そうなった人が多いのではないだろうか。かつては就業時間に自席で日本経済新聞を隅から隅までじっくり時間をかけて読む、日本経済新聞を読むのが仕事であるという「偉いさん」の姿をよく見かけたが、今はそんな姿をほとんど見ない。

現在は全紙面を読む時間はないという。長文の記事は読む時間がなかなかない。だから一瞬で、必要な記事・情報にたどり着きたい、すぐに知りたいとなった。ネットやTwitterを読む。YouTubeを視る。そのなかで気になった情報はどんどん読む。瞬時に情報は入手できるようになったが、取り入れる情報は偏っている。

今、知りたい、関心ある情報をつかみたい。時には投稿して、自ら発信する、議論にも参加する。そのようにしてどんどんその分野に入っていく。自分の「専門」分野に特化していく。今の自分にとって大事と思う情報は集めるが、自分には関係がないと思う情報は集めない。だから分厚い日本経済新聞の紙面の一部しか読まなくなり、読まない紙面が多くなって、もったいないから買うのをやめようとなる。だから「全体と構造」が見えなくなった。

なぜそうなったのか。
仕事をするうえで、「鳥の目」「魚の目」「虫の目」が必要だと教えられ、確かにそうだと思い、そうしてきたが、この10年〜20年、変わった。全体や構造を見るという地理軸ともいえる「鳥の目」で見なくなり、過去から現在を見て将来を見通すという時間軸ともいえる「魚の目」で見ることもなくなり、現在を見る「虫の目」中心となった。冒頭の「スマホで地理軸と時間軸が失われていく」という松岡正剛所長の言葉と符合する。



現在だけ、今の仕事だけとなった。業績評価制度やリスクマネジメント制度といった欧米流の経営手法がもてはやされ、単年度ごと、事業部門ごと、部ごと、課ごと、係ごとの目標を追いかける、追いたてられるという業績至上主義となった。収入が計画どおりいかなかったら、支出をおさえる。予算目標を達成しようとなると、要らない費用だけでなく、要る費用さえも削ることになる。「生産性向上」という名のもとで、合理化・効率化する。人件費をさげる効果はとりわけ大きい。3人でしていた仕事を2人で、2人でしていた仕事を1人で取り組むということになった。

なにをしているのか分からないと思われた「営業部門」は格好のターゲットとなった。そんなに営業担当は要らんのとちがうかということになり、どんどん減らされた。あまりに要員数が減らされたので、お客さまのところに行けなくなった。するとお客さまの声が聴こえなく、見えなくなり、お客さまのことが判らなくなった。そしてお客さまに満足いただけるモノ・コト・サービスをつくることができなくなり、お客さまから支持されなくなった。そして会社の力が弱くなった。

コロナ禍になったから、テレワーク、オンライン中心の仕事になったから、お客さまのところに行けなくなったのではない。コロナ禍前から、行けなくなっていたのだ。コロナ禍だから、企業の力がおちたのではない。コロナ禍前からおちていた。そのなかでも、企業の最大の資源である人材を育てる学びが弱くなっていた。とり戻すべきは、学び。

コロナ禍前から、企業は新入社員教育中心となり、あとのOFF-JTは配属先任せとなった。しかし効率化の観点で、現場の要員はタイトとなり、OJTが弱くなった。企業教育は全般として知識偏重の頭でっかちの人材育成となった。
現場で学べなくなり、学びは自己責任となったが、独自で学ばなくなった人が増えた。こうして企業における人材育成の基盤は脆弱となり、結果として企業人の力がおちた。

 

3.企業人が失いかけていること、再起動すべきこと。

かつて仕事をすすめていくうえで、デベロップメント力とマネジメント力が必要だと教えられた。攻めと守り。どちらが大事かということでなく、どちらも大事だと、仕事を実践していくなかで、この両輪のバランスを意識していた。しかしこの10年〜20年、日本の企業の多くは、このバランスを崩してしまったような気がする。「マネジメント」にシフトしすぎてしまったように感じる。



市場の全体を見て、市場の変化をつかみ、お客さまの心をつかみ、あるべき姿を想像して、モノ・コト・サービスを創りだすという「デベロップメント力」より、管理するという「マネジメント力」に重きを置くようになった。

そもそも企業がモノ・コト・サービスを創ることは、文化(カルチャー)そのもの。文化(カルチャー)とは耕す・栽培する意味の“cult”が語源で、土地を耕す、種をまく、水・肥料を与え、様々な問題に対処しながら育てあげ、収穫する。そしてまた土地を耕し、種を蒔き育てるということを繰り返すという農耕型サイクルが、会社風土のなかで弱くなってきているのではないだろうか。



私たちが失いかけているのは「企業文化」ではないか。
モノづくり・ヒトづくりは、農耕型から狩猟型となった。今日・明日・明後日、今年・来年・再来年の短期決戦型のビジネスとなった。10年後・30年後・100年後といった次世代、3世代先の社会を見据えた社会観・市場観・生活感を持ったビジネス文化を失いかけているのではないか。

短期に成果をあげ、利益をあげ、報酬を得る。そして次のビジネスに移る。それを担うポイントゲッター的人材が評価され、もてはやされるようになった。この文脈で、終身雇用体制が崩れようとしている。とりわけ若者たちもそれを望まなくなり、ひとつの場所にとどまることなく、キャリアアップをめざすようになった。ひとつの会社に長くいて深く学びつづけるのではなく、成果が出やすい場所に入って、短期の成果を出そうとする。だから得意の分野、専門分化し成果が出やすい技術で勝負しようとする。それで、日本はどうなったのか。

これでは、あかんのとちがうか。
コロナ禍はコロナ禍前をリセットする。コロナ禍後は今までどおりのやり方では通用しないのは必然。前回の大学生たちの「学びの変革」(上)と同じく、オンライン・DXを活用した学べる環境は飛躍的に大きく整いだしている。教育・キャリア形成コンテンツも増え、かつ高品質となっている。問題は自らがなにをしたいのか、なにをすべきなのかが分かっていないこと、それと教育コンテンツがつながっていないことではないか。どうしたらいいのか。

私たちが取り戻すべきは文化。
専門分化でプロフェッショナルの人材になることをめざすのはいい。しかしバランスが悪い。もう一本の柱が必要。なにか。そう、デベロップメント力である。これからめざすべきデベロップメント力とは




である。そのデベロップメント力の中核が「類推(アナロジー)する力」である。この力をどう身につけるのかは、次回考える。

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 8月27日掲載分〕




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