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2021年08月05日 by 池永 寛明

【起動篇】まさかは「突然」やってくる ― まさかそうはならんだろう(3)


絶対王者がなぜ予選落ちしたか ― まさかそうはならんだろう

 

卵は「物価の優等生」と言われる。卵の小売価格は、60年以上殆ど変わらずに安定している。卵の価格を安価におさえるために、飼育・輸送・食肉処理において、たゆまぬ努力がおこなわれてきた。そのなか、美味しい卵、美味しい卵かけご飯という食べ方を仕掛ける人がでてきて、新たな需要がうまれた。これこそ、差別化戦略だといって、注目され、”新たな”市場が広がっていった。

 


1.ネットにスマホにつづく、食材の”まさか”

 

食材の世界に、「まさか」が起こっていた。そのことを“関係者”は分かっていただろうが、「まさか、そうはならんだろう」と思おうとしていたことが、すでに世界ではそうなろうとしている。

 


東京五輪の選手村などで使っている「日本の食材」に対して、「動物福祉」の観点から、厳しい視線が向けられ、日本における家畜の飼育環境が問われている可能性があるという。「動物福祉」は、欧米だけではない、アジアも動きだしている。

 

これはマーケティングの「競争戦略」でいう「ゲームのルールを変える」という次元ではない。世界と、そもそもの発射台がちがっている、それも40年も50年も前から。

 

日本の卵は、毎日の食卓に、安価で安定的に、卵をお届けすることを目標に、一所懸命に取り組んできた。そのように努力してきた世界とはちがう世界が、普通になろうとしている。

 

“まさか『動物福祉』など普通にならんだろう”

 

と思っていたことが、世界では普通になろうとしている。かつてのインターネットやスマホを思い出す。「日本の『世界』」とはちがう「世界の『世界』」がすでに動きだしていた。

 

 

2.「まさかそんなことはないだろう」と、考えないようにする人たち

 

車は人に突っ込み、人を殺めることがありうる。だから急ブレーキや急アクセルを踏んだら、車が動かなくなるようにしようとしている。誤作動しても、事故が起こらないような車づくりをめざしている。人がブレーキとアクセルを踏みまちがえた。すると車が「誤作動をした」と、検知して、車を停める。

 

もしかすると、人はブレーキとアクセルを踏みまちがえるかもしれない。そうしたら車は停まるようにする。人間がブレーキとアクセルを踏みまちがえるなんて

 

まさかそんなことはない。

 

と考えるモノづくりは本来のモノづくりではない。自動車にかかわるエンジニアたちは、どんなことがあっても人を殺(あや)めるような事故にならないような車づくりをめざしている。車の運転で、ブレーキとアクセルを踏みまちがえて、突っこまない車を懸命に考えている。

 

「人を絶対にはねない車をつくったら、ノーベル賞」という話が、昔、よくあった。それが現在の自動車は、レーザーを使って、前に人が来ると、車は停まるような技術開発をすすめている。かつての夢だった車が実現に近づいている。人や動物が前に来たら、車の方を停める。障害物が車の前に来たら車を停めるという技術がうまれつつある。自動車メーカーはそれに一所懸命に取り組んでいる。そこでのミスは、「仕方ない」では許されない。「生命」がなによりも大切だと考えている。

 

 

3.「そうはならない」と信じようとする人たち


「OR(オペレーションズ・リサーチ)」という意思決定にかかわる科学的アプローチがある。このORの弱さが、日本は先の大戦に負けた原因のひとつと言われている。

 「日本はこうきて、こうなって、こうなるかもしれない。そのとき、アメリカはどうするか」とアメリカは徹底的に考えた。考えるだけではなく、その対策を実行に移した。

  

 欧米人は、“もしかしたら、こうならないかもしれない”というシミュレーションを徹底する。


“もしかしたら、こんなことが、あんなことが発生したとき、どうする、どうするか?”と考えつづける。自分たちに、不利なこと、危険なこと、ネガティブなことがあったときに、“そのときはこうしよう”と事前に決めておくプロセスがOR(オペレーションズ・リサーチ)である。

 

それに対して、日本は、そうはならないだろう、勝つこと、成功することを考えてきた。だから失敗したときのつぶしがききにくい。欧米は、そうなっても失敗しないというよう、必死に考える。かつて、こんな話があった


グラマンの戦闘機には、3cmくらいの鉄板が入っていて、弾があたっても搭乗者が死なないように設計されていた。一方、日本の零(ゼロ)戦は、弾にあたると貫通してしまう戦闘機の設計だったという。だからそうならないようにと、搭乗者はこう言われた


“弾にあたるな”


精神論だった。戦闘機に弾があたることはゼロではない。弾にあたっても、死なないような戦闘機にしないといけない。日本の発想には、そこが欠けていた。その観点から、現在のコロナ対策は、どうなんだろう。

  

日本は「そうはならない」を信じる。


不用意な格好で登山して遭難したという事故を未だよく耳にする。遭難した人に、登山するときに、雨が降ることを思わなかったのか?雪が降るとは思わなかったのか?急に天候が変わることは考えなかったのか?と訊ねると、こういう。

 

”まさか降るとは思わなかった。”

 

そして遭難する。必然である。なるべくしてなる。西洋人はそうではない。山に登ったら、こうなるかもしれない、ああなるかもしれない…と徹底的に考えて、その可能性への対策を一所懸命に練る。なぜならば、物事に失敗しないことはゼロではないから、うまくいかないことがあるだろうと考える。うまくいく可能性よりも、うまくいかない可能性の方が多いと考える。

 

今も日本人はそうではない人が多いような気がする。日本人はなぜそうなのかを次回考える。

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

 

〔note日経COMEMO 8月4日掲載分〕


 


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