CELは、Daigasグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ
  • 大阪ガス総合トップ
  • 大阪ガス

JP/EN

Home>コラム

コラム

コラム一覧へ

2021年05月29日 by 池永 寛明

【起動篇】しっかりせんとあかん、日本。─ アジアの未来


この子たちは、いまどこに行って、なにをしているのだろうか ―― 2日間、アジア各国の首脳の話を聴きながら、3年前に中国の深センの書店で座り込み、本を読みきっている子どもたちの目の鋭さを思い出した。日本の子どもたちの姿とのちがいを感じたが、コロナ禍の現在に向きあう各国首脳に、中国深センの子どもたちの姿がオーバーラップした。


1. アジアの現在 ー コロナリセット
コロナ禍一色だった。第26回国際交流会議のテーマが「アジアが拓く新時代 新型コロナ禍の先へ」であったこともある。コロナ感染拡大の最中であったこともある。アジア各国の首脳のプレゼンにおける時代の基本認識は驚くほど似ていた。人類がこれまで経験したことがなかったような世界共通の歴史的パンデミックであり、情報・輸送技術が可能にしたグローバルサプライチェーンがもたらした現代禍であることを改めて認識させられた。


ワクチンへのアクセス、デジタル経済への進化、デジタル人材の育成、ネットワークインフラの構築、サプライチェーンの強化などコロナ後社会に向けたアプローチは各国、同じである。コロナ禍によって、これまで継承してきた社会システムをリセットし、いかにワクチンを手に入れ接種をおこなって安心安全な社会を取り戻し、コロナ禍前社会とはちがうデジタル社会に移行するという未来への戦略を描き、そのためのアジア各国での協力・連携の必要性が語られた。

 

コロナ禍で、これまでが機能しなくなった。これまで追い求めてきた「効率性重視の社会システム」の限界があきらかとなった。コロナ禍による移動制限はグローバルシステムを機能不全とした。

グローバル世界システムから、”ローカルでありグローバルな”新たな世界システムに転換するため、サプライチェーンの再構築、インフラ接続の必要性、デジタル・DX技術を活用した社会経済システムへの挑戦が各国首脳から語られた。コロナ禍の現在、コロナ前の社会・経済システムをリセット、ポストコロナはコロナ前ではないという未来像が前提だった。次の社会像に向けて突き進んでいる空気を感じた。



2.アジアの過去 ー アジアの必然
2日間、多くのアジアの首脳から「歴史・文化」が語られた。各首脳から、古代から現代に承継される「アジア」が伝わってきた。

文化を知るということは、同じことを知ることと、違いを知ることでもある。たとえば外国人が日本食を「いただきます」と手をあわせて食べたら、日本人は自分との近さをその人に感じるだろう。自然に振る舞う生活様式に、宗教的価値観が刷り込まれている。手をあわせて「いただく」という行為は仏教的価値観にもとづく。このように日本の生活様式には、仏教で色づけられていることが多い。「アジアの未来」に登壇されたアジアの首脳に、アジアの文化、アジアのなかの日本を感じさせられる。

シルクロードの終着点で、「日本は東西の多様な文化を融合した」とよく日本で語られる。しかしそのシルクロードは一本ではない。北方の草原の道、中央のオアシスの道、インド南の海の道を人々が歩き、船に乗って渡り、東西の文化が融合して、アジア各国の文化を生み出された。だからハイブリッドでない文化などない。それも一気通貫に流れているものがある。


古代から東西の要衝(ハブ)である。歴史的に文化を融合させてきた。古代から中世・近世・現代までアジアは一気通貫、アジアでありつづけた。「歴史と多様な文化」が異口同音にアジア各国首脳から普通に語られたが、それに違和感を覚えないのがアジアの必然。

 

これまで新たな技術・知識にアクセスし、アジアは次々と融合させて、ハイブリッドなモノをつくりあげた。文化の融合・ハイブリッドがコロナ禍後における鍵となるのではないだろうか。アジアはコロナ禍後に、なにを生みだせるのか。


シルクロードを象徴するものが奈良の薬師寺にある。1300年を経た現在に残っている。薬師寺に薬師如来が座る台座がある。
この台座に奈良時代における世界の文様が集約されている。一番上の框にはギリシャの葡萄唐草文様。その下にはペルシャの蓮華文様。各面の中央にはインドから伝わった力神の裸像が浮き彫りにされ、下框には中国の四方四神の彫刻がなされている。

これをどう考えたらいいのか。単純にシルクロードの終着地である日本で、文化が融合したことを意味するだけでなく、世界中の先進文明の知に、奈良時代の日本人はアクセスし理解し咀嚼し融合がおこなわれたということではないだろうか。当時日本の飛鳥・平城京は驚くほど自由だった。文化・技術の担い手を大陸から多く招聘し、渡来人によって土木・建築・機械・養蚕・製鉄など様々な技術が持ち込まれ、渡来人の指導のもとに宮の造営や大規模な寺社建築が行われた。なぜそれができたのだろうか。

宮廷が「自由」を許したからだ。世界から招いた人々の自由を許し、能力を発揮する自由を許した。すぐれた人は役人にひきあげられた。つまり指導者層に、知に対する崇拝があった。だから哲学が生まれ、宗教があり、芸術が生まれた。ギリシャ時代もそうだったし、ルネサンス期もそうだった。明治時代もそうだった。明治時代の指導者は外国に学びに行き、世界から技術者を日本に招聘し学び融合して洗練させた。

 

自由だった。異なるものどうしを融合しハイブリッドなモノ・コトを生み出すためには、自由であること、柔軟であることが求められる。現代日本は果たしてそれができるのだろうか。

3.アジアの未来 ー アジアのなかの日本はどうなる
「人が動くことで、コロナが世界中に一気に広がった」「技術によって、コロナが拡散してパンデミックとなった」とコロナ禍をアジア各国首脳は語った。これまで人類は技術によって社会を変えつづけてきた。それも年々、変化のスピードを早め、変化の規模を広く深くしている。



「未来はデジタル社会経済だ」とアジア各国ともに語る。そのデジタル技術が5年前倒しとなった。10倍速20倍速で進んだという人もいる。医療・オフィス・小売・教育分野で顕著に進んだ。しかしそれはこれまでにもあったが、しなかったことが多い。それをコロナ禍になって強制的に始めた。様々な規制・制約・慣習をとっぱらって始めた。では、みんなの言うデジタル技術によって未来をつくれるのだろうか。


「デジタル化は実用面から進んだので不可避」「5年加速した。インドやインドネシアなどでは新たな商品・サービスを求める一方、企業側も医療や教育分野でデジタル活用ビジネスがジャンプアップしている。元に戻らない」と語ったのは、130社以上のアジアのベンチャー企業に投資をされているBEENEXTの佐藤輝英CEO。

インドのOYOホテルズアンドホームズのリテシュ・アガルワルCEOは、「テクノロジー・イノベーションは大切であるが、人は社会的存在であり、人と会いたい、旅をしたいという人々の本質は変わらない。そういった本質に応えるためには、デジタル技術だけでなく、リアルとのハイブリッド、オンラインとオフラインの融合が必要となるだろう。
コロナ禍に入った昨年は生き残れるよう筋肉質の経営体制を再構築したが、長期的視点ではグローバルな需要は必ず戻ってくると考えている。悲観的にならず、慎重だが楽観的に経営をしている。そしてなによりも柔軟性が大切だといって、プレゼンを締めくくられた。厳しい時だが、顔をあげて前を向いていると若い経営者は語られた。

コロナ禍2年目、アジアの企業は次に向け大きく動き出している空気を強く感じた。

 

コロナ前をリセットし、現在の市場・顧客にフォーカスして、ビジネスを組み立て直し、コロナ禍後に向けて動き出している。一方日本はどうなのだろうか。コロナ一色、オリンピック一色、デジタル一色、DX一色だが、社会・市場・人の姿が見えない。コロナ前をリセットして、コロナ後に向けイノベーションを巻き起こそうとするムーブメントが感じられない。


なぜ日本ではイノベーションがおこりにくいのかの問いに、OECD東京センターの村上由美子所長は、「日本は意見決定において、同一性の高い人たちが多いという問題がある。多様な価値観を共有すれば、化学反応がおこる。明確な答えのない事象に立ち向かうためには、多様性から生まれるイノベーションが必須だ」と語られた。

 

そのとおり。いつからか日本は同じ業界・団体・世界の人ばかりで考えるようになった。別の業界・団体・世界の人をまじらせて、多様な人々で喧々諤々と議論することで、新たなモノ・コトを生み出さないといけない。コロナ禍という非常時である現在はなおさらではないだろうか。

もうひとつある。ベトナムのファム・ミンチン首相が「私たちは人を政策の中心に据える。人を大切にする」と語られた ―― 至極当たり前の言葉だが、それが当たり前でなくなっている日本の再起動のヒントが詰まっているのではないだろうか。

アジアの未来社会のなかの日本は、これからどうなっていくのだろうか。3年前の中国深センの書店で、本を読みつづける子どもたちの風景を思い出しながら、しっかりせんとあかんのちがうか…。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 5月28日掲載分〕