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2021年05月20日 by 池永 寛明

【時間篇】「膨張」社会経済が縮む ― 残価設定ローンライフの行方(上)


2020年度の年間GDPが戦後最大の下落となった。コロナ禍に伴う緊急事態宣言などによる行動・移動制約が要因ではある。バブル崩壊と対比されるが、意味はすこし違う。“未来”を先喰いした“膨張”経済システムの縮小であり、その気になった膨張社会の崩壊ではないだろうか。コロナ禍前から広がった、人々の気持ちが大きくなって実態から乖離した“絵空事”社会経済がコロナ禍によって本来の姿に戻ろうとしているのが課題の所在とではないだろうか。


1.「残価設定ローン」がつくった膨張社会
いつからだろうか、高速道路の追い越し車線を突っ走る高級外車をよく見かけるようになったのは。1990年代から高級外車のディーラーを中心に始まった「残価設定ローン」によって、高級車が購入しやすくなった。購入して3〜5年後の買い取り額=残価(将来価値)を設定し、車両価格から残価を引いた金額を分割返済するローンによって、高級車が購入しやすくなった。これまでの半分のお金でベンツやBMWを買えるという消費経済、とりわけ高級外車の若者オーナーをうんだ。

高級外国車だけではない。都心やウォーターフロントの高級タワーマンションも続々と建てられ、若くして購入する人が増えた。バブル崩壊から平成不況に入っても、バブル経済社会のような高額品消費が持続していた。“残価設定ローン”や当初のローン返済額をおさえる住宅ローンが将来ライフ実現に向けた時間を短縮させた。夢のベンツやBMWを楽々と手にすることができ、なんだかビッグになったような気持ちになれた。


2.ITカッコーが変えた日本
イージーにビッグになったような気持ちにさせる残価設定ローンが広がるのと並行して、ビジネスや生活がカジュアル化していった。

気がつけば、IT時代となっていた。1990年の日本経済史上頂点から5年後にバブル崩壊した。その1995年に登場したインターネットがつくりだす社会観・ビジネスルールの変化を読みちがえた日本は「失われた20年・30年」に埋没し、ITによる世界的な社会変容に大きく立ち遅れた。

当初日本は、その変容に気づかなかった。IT時代の前の産業経済競争での成功体験が、ITがつくりだす社会・生活様式を受け入れられなかった。そこにIT先進国アメリカを信奉する「若いイノベーター」たちが登場し、デジタルネイティブ世代を中心とする「カッコ―」文化ができた。

カッコーは不思議な鳥である。巣をつくって卵を産み、育てている別の鳥を追い出し、その鳥の卵を捨て、その巣を乗っ取り、カッコーの巣として自らの卵を産み育てるという習性がある。

人間社会にこのカッコーのような社会現象がおこった。失われた20年・30年の日本社会はあれよあれよという間に成長が鈍下し、自信を失ったリーダ−たちに代わって、ITを標榜するデジタルネイティブ世代がカタカナ用語で社会を席巻した。年輩者のリーダーの多くは追い出されたくないから、デジタルネイティブ世代に迎合する。本当はなにを言っているのか判らないが、ITカッコー(専門家)たちの言うことに、“ええんとちゃうか”“やったらええ”と、理解を示すという態度をとって、阿(おもね)る。そんな年輩者を排除して、ITカッコーは社会を自分たちの世界に染めていった。


日本のITカッコー(専門家)たちにも問題があった。ITカッコーたちはITを「新たな技術」と捉えた。ITは技術でもソフトウェアだけではなく、ITの本質は運用の仕方であり、“こういうとき、どうするのか”というアルゴリズムである。社会・生活・仕事をよりよいものに変えていくために、ITをどう使っていくかであるにもかかわらず、日本のITカッコー(専門家)たちは逆だった。

ITでなにをするか、なにができるかを考えた。コンテクスト(文脈・背景)をつかまず、アメリカからIT・コンテンツをそのまま輸入した。日本の市場・顧客を見ず、過去を「古いもの」「使えないもの」として排除した。そのなかにあった良いものも良くないものも一切合切を消去した。
ITコンテンツのアメリカ・コード(暗号)を翻訳できずにそのままに日本に持ち込み、いろいろな所で適合不全をおこし、日本の本質が見えなくなった。
そんなITカッコー(専門家)たちに、それまでの権威者たちは「意味わからん・訳分らん」と思いつつも、“ええんとちゃうか”と彼らにやりたい放題させたことで、日本はニュアンス・ファジーで曖昧な社会と変容していった。その流れはコロナ禍に入って両世代の価値観のギャップが大きくなり、ITはDXとなり、さらに助長している。

3.未来は先喰いできない
「失われた20年・30年」となった日本社会は「膨張」もしていった。その頃でも膨張が成り立っていたわけではなかった。期待値を先喰いした「残価設定ローン」のようなもので、“この状況がずっと続く”という前提で、“なにも変わらない”ということを信じて疑わないで、膨張を先喰いした。

ネクタイを外し、カジュアルなファッションで、キレイなアーバンライフ、スマートなワークスタイル、至福のライフスタイルを演じ、みんなからチヤホヤされ、マスコミに取りあげられる・・・、あたかも残価設定ローンでベンツに乗って追い越し車線をハイスピードで走るような生き方だった。

しかし「残価設定ローン」のような世界は、いつまでもつづかなかった。コロナ禍で残価を清算するときに払えないことがおころうとしている。当初安価に据え置かれた住宅ローンでタワーマンションを購入したが、据え置き期間終了後に、増えたローン返済額が払えなくなることが増えようとしている。

そういうことが社会でおこっている。コロナ禍前、将来が拓けていると思われていた事柄が、実際は「張りぼて」だったことに気づくことになる。

キレイなオフィスでスマートに働きたいーそれがコロナ禍で難しくなった。コンサルや企画といった仕事をしたいというが、それだけではメシを食えない。いい話をしたから、いい提案をしたからといって、それでお金がもらえるのはそうそうない。日本はそういったアイディアについて、「ありがとう」で終わる仕事観があり、サービスはタダだと思う価値観である。コロナ禍でコーディネーターやデザイナー、コンサルタントなどの対生活者サービスの仕事は膨張社会が縮み雲散しようとしている。
みんなが働きたいと思っている働き方の姿と、実際にお金がもらえる働く姿とがマッチしなくなりつつある。

コロナ禍1年目の2020年度のGDPが戦後最悪となった。しかしすべてが悪いわけではない、順調なところもある。二極化、三極化、多極化している。今年度の2021年度はコロナ禍期だけでなくコロナ禍前も含めて、これまでの総括がかかることになる。次回、これからをどう考えるかを考えたい。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 5月19日掲載分〕