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2021年04月09日 by 池永 寛明

【起動篇】「コロナ禍一年、もうええやろ…」じゃない。


新年度となった。4月に入って、すごい勢いで、コロナ禍の前に、戻ろうとする動きが活発になってきている。2年ぶりに入学式や入社式が開催されている。最初が肝心やからなあ…そうともいえる。今年の新入生に加えて、昨年の入学生の入学式も開催する学校もある。「これで、やっと大学生になれたような気がします」とテレビカメラに語る大学2回生…そうだろうな。新入社員教育も昨年のオンラインから集合教育に戻したところも多い。「やっぱり集まったほうが“同期”としての連帯感が高まる」…そういう面もあるだろう。在宅勤務中心から出社中心に戻そうとする企業が増えているのか、通勤・通学電車が前より少し減ったかなというくらいに戻ってきている。オフィス街を歩く人もだいぶ戻ってきている。都心の百貨店も、戻ってきている。マスクをしていたり人と人の間を空ける距離感という変化はあるが、



1.コロナ禍前に戻ろうとする人・企業

コロナ禍の間は我慢だと思ってやってきた。コロナ禍前のことは当面できないが、しばらくの辛抱、耐える時だと思ってきた。一年が経った。ずっと頑張ったけど、もうええ加減、疲れたわ。コロナが、いつまでつづくのか分からんけど、もうええやろ、この辺で…と元に戻ろうとする。では、



そうではない。コロナ禍だからできなくなったことばかりでなく、コロナ禍だからわかったこと、できたこと、見直せたことがある。それらをコロナ禍だから、我慢して耐えて仕方なくやっていると思っていいのだろうか。

一方、コロナ禍前に、元に戻らない人や企業や学校がいる。コロナ禍を契機に、様式や方法論をガラッと変えた人や企業や学校がいる。ライフスタイルやビジネススタイルやソーシャルスタイルを大きく変えて、コロナ禍前よりも新たな価値を生みだしたり、新たなビジネスや市場を獲得している人や企業や学校がいる。その人たちは、コロナが収束したとしても、元には戻さない。

あなたはコロナ禍が収束したら、どうなると思いますか?




2.コロナ禍後の社会構造変化の起点はテレワーク

これから先のことを議論することが増えている。3ケ月後か半年後か一年後ではなく、3年後5年後10年度がどうなるのかを議論している。コロナ禍の前に戻るのか、戻らないのか。なにが変わって、なにが変わらないのか。

コロナ禍後を考えるうえで、コロナ禍の社会変化の起点は「テレワーク」ではないかと思う。テレワークをどうするかがこれからを考える大きな論点になるのではないだろうか。議論をしていて、テレワークの捉え方が真っ二つに分かれる。



私は、コロナ禍後社会構造の変化の起点は「仕事」ではないかと思う。
「会社中心=都会・都心」から、「家中心=近所・郊外・地方」に変わるかどうかがコロナ禍の論点ではないだろうか。テレワーク、オンラインが社会の関係性を変える。コロナ禍によって、「関係性」が変わるということは、どういうことかというと



を変えるということ。これらの関係性の変化は、これまでのような一律的なコト・モノではなく、多様的となっていく。100人いれば100通りの選択、100社あれば100社の意思決定がでてくるかもしれない。それぞれの関係性が変わることが、社会構造を変え、需要構造を変え、産業構造を変える。これがコロナ禍後を捉える視点である。

これからは一律の時代ではなくなる。テレワークかオフィスか、バーチャルかリアルかではない。YESかNOかではない、白か黒かではない、内か外かではない。どちらかでもなく、まんなかだったり、どちらもあるなど、選択肢は無限大になる。

これから先がどうなるのかということを考えることが意味をなさなくなるかもしれない。一所懸命に考えて導いた結論が100%正しいとは限らない。結論は固定的ではなく、状況・情勢によって適宜変えていく時代になっていく。エビデンスをだせと言われても、ないことが多い。「絶対にこうなる」とか「絶対にこうならない」というテーゼは、「悪魔の証明」として、論理学的に正しいものとはならない。

これからコロナ禍がどうなるのかは分からない。コロナ禍は令和2年におこった。しかしコロナ禍は令和の2年では終わらなかった。コロナ第一波がいつの間にか第二波となり、第三波となり、あっと言う間に第4波となった。このようにコロナ禍は混とんとした月日を重ね、令和時代を象徴づける社会現象となり、コロナ影響は長期間つづくかもしれない。しかしコロナ禍からはじめた事柄も、5年10年も経つと、それが普通になって、馴染んでいく。


人はあたらしいものに、最初は驚くが、やがて馴染んで、慣れる。世代によって新たなものに慣れる速度はちがうが、いつか慣れ、その前のコト・モノを忘却していく。たとえば蒸気機関車ができたとき、カメラがでてきたとき、電話がでてきたとき、映画がでてきたとき、テレビがでてきたき、インターネットが出てきたとき、スマホが出てきたとき、オンラインショッピングが出てきたとき、オンライン会議がでてきたとき、最初はどうしたらいいのか、こんなの難しくてできないと戸惑っても、いつか慣れる。人は習慣化すると、元には戻らない、元を忘れる。では、コロナ禍の今、どうしたらいいのか。

「ゆでガエル理論」がある。企業でイノベーションや企業変革を議論するときに、「ゆでガエル」の物語がたびたび登場する。コロナ禍をどう考える議論をするとき、この「ゆでガエル」のことを思い浮かべる。

コロナ禍の今、必要なのは、入っているお風呂がどうなっているかを知ること、そのためには内だけを見るのではなく外を見ることである。自分が入っている湯の「温度」が将来を不可逆に変える力を有することに気づき、ぬるま湯から風呂あがりすることである。

もうひとつ大切なのは、ぬるま湯からあがっても、ずっとそのままでいいのではない。ぬるま湯から外に飛び出て冷えたら、また湯に浸かればいい。そこがぬるま湯でダメだと思えば、また飛び出たらいい。しかしぬるま湯に入ったままだと、ゆでガエルとなって生きていけなくなる。コロナ禍の私たちは、その岐路にいるのではないだろうか。


現在、私たちはコロナ禍の折り返しにいるのかもしれない。コロナ禍でどう変えるのか、コロナ禍で考えたこと、感じたこと、悩んだこと、経験したことを磨いたり発展させることに取り組むべき時ではないだろうか。
コロナ禍で新しいことをやってみたけど、うまくいかないのでそのままにしているのか、いやどうもしっくりいかないからコロナ禍前に戻そうとするのか、コロナ禍にとどまったまま様子見しておくかどうかの岐路に立っているのではないだろうか。

コロナ禍1年が経ち、すでにその違いがあらわれてきている。コロナ禍の昨年・今年・来年の3年間にどう考え、どう行動するかで、大きく変わる。まだ間に合う。あなたは、あなたの会社は、組織は、どこにいて、どうしようとされているのだろうか?まず自分、自社がどこに今いるのかを考えてみよう。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 4月7日掲載分〕

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