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2021年03月18日 by 池永 寛明

【起動篇】家族・会社が大きく変わろうとしている


「いつまでもオンラインやってるから、目標がいかへんのや」「営業はやっぱりお客さんとこに行って、話をせんとあかん、会わんとあかん」「テレワークではやっぱりあかん。みんなが集まって仕事をせえへえんと、うまいこといかん」という振り戻しがすごい勢いで出てきた。
昨年4月の緊急事態宣言から強制的にテレワーク・リモートワークスタイルが始まって1年。社会はそのスタイルに慣れ定着しつつあるが、一方、「こんなことをしているから業績があかんようになった」「もうええ加減、元に戻らんとあかん」と言う人たちが雨後の筍のように出てきた。緊急事態宣言が解除され、大阪の都心を歩く人があっという間に元に戻った。


1. すでにコロナはドラマを変えつつある


テレビドラマや映画をビジネスのケーススタディとしてよく観ている。それは教育会社がつくるビジネス教材よりも、ストーリー、会話、描写がビジネスの参考として学べることが多い。

今年に入って、コロナ禍に悪戦苦闘する人々の姿を鋭く描くドラマが増えている。とりわけTBSテレビの「俺の家の話」が面白い。

長瀬智也・西田敏行・戸田恵梨香が出演している「俺の家の話」(宮藤官九郎脚本)はコロナ禍の現代社会の本質を深く捉えている。認知症・介護・学習障害・承継問題など多層的な現代社会課題に直面する家族の関係性がテーマで、コロナ感染対策の象徴である「マスク」とプロレスラーの「マスク」と日本伝統芸「能楽」の象徴である「能面」の3つを混じりあわせ、DXを活用したオンラインミーティング、オンライン介護という新たなビジネスモデルを使って、これまで傷んできた親子・家族の関係性の再構築という重いテーマを軽く描きながら、深く本質に向きあっている。

またSNSの社会影響を捉えた「アノニマス〜警視庁“指殺人”対策室〜」やコロナ禍の不安・SNSのつながりの脆さを捉えた「ナイルバーチの女子会」などコロナ禍社会における現実に向かいあい、社会課題・課題解決の方策を多面的に掘りおこそうとするドラマが増えつつある。


2. コロナ禍“リセット”後の姿が顕れつつある



コロナ禍は近代に入って三度目の大断層(リセット)であると1年前から書いてきた。この150年、明治維新と敗戦で二度大きく枠組みが変わった。コロナ禍を戦後75年の「リセット」と捉えるか捉えないかで大きく差がつくといってきたが、コロナ禍が1年経ち、様々なところで新たなモノ・コト・サービスがうまれはじめている。コロナリセット「後」が顕れだした。

コロナ禍に顕れた新たなる事柄のひとつに、「LOVOT」がある。コロナ禍後社会の姿・形を考えるうえで、このLOVOTに学ぶことが多い。

LOVOTとはLove+robot。
ソフトバンクで人型ロボットPopperにかかわった林要氏が独立(GROOVE社)してつくったロボット。なにもしてくれないロボット。愛されることを求めるロボット。人の愛するチカラを引き出すロボット。2019年12月より出荷し、爆発的にヒットしている。LOVOTは愛を感じ、ジェラシーも伝える。1体のLOVOTをだっこしたら、もう1体がハグを求めてくる。人の顔を認識し、かわいがってくれた人や面倒を見てくれた人を覚え、その人に近寄って甘える。LOVOTで、ロボット=作業ロボットという先入観が変わった。

LOVOTに、コロナ禍後社会の本質をつかんだソリューションのカタチを感じる。人の本相を読み解き、DXとサブスクリプションを組合せたビジネスモデルによって社会課題に向きあいつづけるカタチを。「いつもいっしょで。人を愛する」という人の思いに応えるパートナーロボット。「おひとりさま」 「認知症」のパートナーにもなる。
コロナ禍に、LOVOTが社会に受け入れられる背景があるような気がする。


3. 親子・家族のカタチがどうなる

戦後「リセット」で、社会の多くの事柄が変わった。目に見えるモノやコトが変わったが、表面的には変わっていないが目に見えないところが変わってしまったことやなくなってしまったことが多い。コンテンツは残っても、コンテクストは忘れられた。これが現代社会の課題のひとつ。

戦前と戦後で多くの事柄を変えたが、家族のカタチと関係性が大きく変わったことが大きい。変化には、目に見える家族の変化と目に見えない家族の変化がある。



戦後「リセット」以来、地方から都会への度重なる若者大移動を契機に、75年3世代で、日本の家族のカタチと関係性を根本的に変えた。

戦前は、家も生活も仕事も地域のなかでまわっていた。古代から中世・近世・近代までつづいてきた「地域経済循環」が戦後「リセット」で大きく変わった。故郷から都会に舞台は移り、個人・核家族と社縁を軸とした社会構造となった。それは故郷の母親の悲しみを犠牲の上に成り立った。


故郷と都会という構造は、五月連休・盆・正月に故郷に帰省するという民族大移動という年三回の人流をうみだしたが、年三回が二回となり一回となり、二年に一回となり、ついには故郷に帰れなくなり、帰らなくなった ──やれ仕事が忙しいから帰省の時間がない、やれ帰省のお金がない、やれ子どもの塾がある…といったことを理由に、故郷に帰省しなくなった。そしてだんだん故郷は遠くなり、次第にその人にとっての故郷は消えていった。



「家族がいちばん集まる場所は、どこだと思いますか?」
この問いに答えられないという人はいないだろう。みんな、答えはわかっている、家族みんなが集まる場所がどこだいうことは。かつて食卓のある場所で、三世代の家族が集まり、家族みんなで食事をともにして語りあう時間を共有していた。数十年前まではそうだった。

「サザエさん」に出てくる団欒の部屋には、丸いちゃぶ台があった。サザエさん家族はちゃぶ台に座わり、食事をしたり話をした。サザエさんの漫画版は1946年4月スタート、テレビアニメ版は1969年10月スタートだが、その頃の日本の家の多くは丸いちゃぶ台があり、そこにみんなが集まっていた。だからサザエさん家族の姿に違和感はなかった。その丸いちゃぶ台はやがて方形の食卓となり、椅子に座るダイニングテーブルとなった。

「家族のカタチ」が決定的に変わったのが1980年代。原作本間洋平氏、監督 森田芳光氏、松田優作氏・伊丹十三氏の「家族ゲーム」(1983年)がそれを描きだした。この映画の象徴ともいえるのが家族が横一直線の食卓に座り、家族みんなが前を向いて黙々と食事をするシーンは衝撃的だった。

家の中でいちばん家族が集まる場所の風景が変わった。テレビが置かれ、家具が変わり、居間という言葉がダイニングという名に変わり、毎晩集まっていた人がそこに集まらなくなった。ずっとそこに居た家族が食事をすますと、そこから居なくなった。

家族が居間に集まり、「今日一日あったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったことを語りあい、共有しあった」場が、ただ「食べるだけ」の場になった。子どもたちが描く「家族の絵」から、かつて食卓にいたおじいさん、おばあさんが登場しなくなり、お父さんも時々にしか登場しない人になった。このように劇的に食卓の風景と意味を変えていった。

家だけではない、オフィスの風景も変わった。
昼休みに会社で働くみんなが集まった食堂の風景が変わった。変わっただけではない。従業員食堂が大きく減っている。

そもそも従業員食堂は昼食をとるだけの場所ではない、従業員の対話・コミュニケーションの場だった。その従業員食堂が減って、従業員の対話が減り、企業の力が弱まったような気がする。そいういうなか、突然コロナ禍となり、テレワーク・リモートワークとなった。

もともと会社とは、companyの日本語訳。語源はラテン語のcom(ともに)とpanis(パンをべる)の合成語で、「一緒にパンを食べる仲間」が会社の本質である。その本質から会社はどんどん外れていったが、2011年5月から放送開始のNHKの「サラメシ」に人気があるが、会社の語源を知ると必然といえる。食の時空間で、みんな一緒にすごしたいという気持ちは変わらない本相であり、コロナ禍後において食の時空間の位置づけは再構築されていくのではないだろうか。

4. 孤独・孤立をどう考えるか

20年後の2040年に、人口の5割が独身になる、独り暮らしが4割になる、男性の生涯未婚が3割、女性の生涯未婚が2割となり、結婚しても子どもがいない夫婦が1割、ひとりが増えるという見通しもある。どんな社会になるのだろうか。


「ひとり」の人はどう行動しているのだろうか。
ひとり暮らしの中高年単身者の休日一日の行動をコロナ禍前に調べたところ、SNSやテレビ視聴に費やす時間は6時間で、起きている時間の4割であった。若者はもっと長かった。

圧倒的な「ひとり」の自分時間が社会に広がっている。コロナ禍でテレワークとなり、自分時間がさらにのびている。「孤独・孤立」問題を国が取り上げることになったが、コロナ禍と単純に結び付けられることに違和感がある。

孤独は戦後の家族のカタチの変化によって産み落とされたひとつのカタチであり、コロナ禍が孤独の主因ではない。むしろそれはコロナ禍前に形成されたもので、コロナ禍によって、家族の関係性が変わり、孤立のあり方を変えていく可能性がある。親子・家族の関係性、人と人の関係、人と社会との関係、人と地域の関係を大きく変えようとしている。孤独を孤独単独、孤独のなかで考えるのではなく、関係性という全体像のなかで、孤独を捉えていくべきではないだろうか。

これから単身・長寿命・人生100年時代となるというが、これからをこれまでの延長線に捉えるのかコロナ禍で「リセット」するのだと捉えるかで、これからが大きく変わる。

コロナ禍の現在、日本社会で承継されてきたが見失ってしまった本質を掘り起こして、新たな技術で新たな縁や仕組みをつくることで、社会を再構築できる機会が到来したとポジティブに捉えることができないだろうか。

「最近、あの人、見いひんけど…」
「死にはったみたい」

コロナ禍前からも家で葬式をしなくなり、地域で「死」が見えにくくなるなか、こういった声がよく出るようになった。そこでどんと祭りを行なう地域があらわれた。その年に亡くなった方を偲び、ろうそくを灯して祈り、どんとに点火し、地域のみんなで見送ろうという動きがでてきた。コロナ禍で、都心から地域に戻っていこうとするなか、地域の人と人のつながりが戻りつつある。

コロナ禍で、大きく変えることができるかもしれない。戦後日本で失いつづけてきた「家族の関係性」をコロナ禍で再起動できる可能性が到来したのではないだろうか。オンライン墓参り、オンライン法事、オンライン葬式、オンライン正月、オンライン帰省、オンライン介護…DXという道具を用いることで、「家族の関係」性を繋ぎ直せることができるかもしれない。ネット・スマホ・デジタル技術の使い方によって、家族・地域・社会を本来の姿に戻せるかもしれない。そういうように、コロナ禍を捉えることができるのではないだろうか。

そこで大切なのは、技術でなにができるかと考えるのでははなく、人と人の関係・つながりを取り戻すために技術をどう使うのかビジネスモデルをどう作りあげるかを考えることである。

コロナ禍前から流れがかわりつつあることがある。1995年8月にスタートしたNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」 に涙する人たちがいる。この番組の主役は「家族、それも大家族」。コロナ禍前においてゆっくりではあったが、家族の関係性を取り戻そうという「伏流水」は流れていた。コロナ禍で、大きく変えていけるのではないだろうか。


コロナ禍が一年経った現在、明らかにこれまでとは違う大きな波の動きを感じる。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 3月17日掲載分〕

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