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2021年02月22日 by 池永 寛明

【起動篇】なんであかん ― やると決めてもやり抜かんようになった。


NHK大河ドラマの明智光秀の「麒麟が来る」が終わり、渋沢栄一の「青天を衝け」が始まった。吉沢亮に草?剛という配役の妙、脚本と時代考証の巧みさもあり、話題になっている。コロナ禍に入った昨年に今年と、戦国時代と幕末から明治維新という大断層(リセット)期を描写するドラマがつづき、視聴率が高い。大断層(リセット)期に入ったコロナ禍の現在、日本史上の大変革期に活躍する登場人物たちに感情移入する時代の気分になっているのかもしれない。

時代の変換期に、なにがおこるのか。時代の枠組みや社会システムが転換することだが、コロナ禍は軍事クーデターや政権の交代、戦争の終結といった大断層(リセット)ではない。目に見えない大断層(リセット)がコロナ禍の本質である。


時代の中心にいる世代が当たり前にしていたカタチが当たり前でなくなり、そしてそれが意味を持たなくなり、そもそもがなくなっていくという大断層(リセット)である。その時代の「権威」が“これから、このスタイルをやめる”と言うのではなく、これまで中心ではなかった世代の若者たちがおこなっていたスタイルをみんなが真似をしていく、取り込んでいくというカタチである。この変化がコロナ禍でおこっている(「なぜあなたはネクタイをしめるのか」より)

 

…ということは、「つまり世代交代・新旧交代・若返りということだね」としたり顔で言う人がいるが、年寄りは古いから時流に取り残され、若者は新しくて時流に対応できるから、世代交代が進むのだというような単純な話ではない。


1.「ウサギとカメ」と「アリとキリギリス」
企業人や大学生向けに講演・講義するとき、「コロナ禍のなかで、どんな本を読んだらいいのか?」と質問されることが多いが、コロナ禍の本や未来予測の本ではなく童話や寓話を勧める。何十年、何百年も読み継がれる童話や寓話は、社会・人が生活をしていくうえでの教訓や処世訓を動物や昆虫に託す物語が多いが、決して子どもが読むだけのものではない。大人が社会人の視点で読むと、子どもの時とはちがった気づきや学びがある。

転んで藁をひらってから創意工夫して次々と転じて長者となった「わらしべ長者」、桃太郎が犬と猿とキジを仲間にチームを組んで鬼退治した「桃太郎」を、コロナ禍の現在、現代的視座で、自分ならばどうすると考えながら読もうと書いた。

さらにコロナ禍の現在に読んでいただきたい、もう二冊の童話がある。「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」である。この童話を大人の視点で読み直したら、なにを読み取る。近年の企業はスピード経営を重視し、「速さ」を心奉する経営者が多い。それはそれで大切であるが、速い遅いという「スピード」だけが問題ではなく、本当は「準備の周到さ」が足らずに失敗していることのほうが多い。つまり



これが現在の経営に欠けている。スピードを競うのではなく、“あれがどう、これがどう”と悩むのではなく、早く出発する。誰よりも早く動き出す。しかし準備もせずに出発するのではなく、十分に準備をしたうえで出発する。これをしない企業・人が多くなった。スピード経営だと言って、他社の真似をしたり、プロセスを省略して早急な答えを求める企業・人が多くなった。

コロナ禍の現在、「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」の童話をかみしめる。目標を掲げ、早く決断し、早く出発し、愚直と言われようと目標に向かって継続的に努力を重ねて、結果を出す。このことを学ぶ。


2.大切なのは、当事者意識
では、どういう目標をかかげるのか?何を決断するのか?なにを変えるのか。



物事には変わることと変わらないことがある。物事の本質や人としての本相は変らない。時流や時代や技術進歩がいくら進んでも、本質と本相は変わらない。変わるのは「方法論」である。その本質・本相を実現する方法論は、時代のドライバー(社会的価値観・時代の風土)の変化によって変わる。これは変わらなければ取り残される。目に見えるものは変わり、目に見えないものは変わらない。しかし目に見えない大切なものは、常に意識しなければわからなくなる。変えることと変えてはいけないことを認識している企業・人は意外に少ない。


日本人は変えよう、変化しよう、変革しよう、イノベーションという言葉が好きである。組織のなかでトップに向かってファイティングポーズを見せるが、腰が引けて、本気で変えようとしない。トップの本音を読みとっていたりする。それくらい日本人は自らを変える、変わることが苦手である。だれかに言われて、だれかに強制されて、仕方なく変えたと、変わったというカタチになることが多い。

平穏期は変えなくても目立たない。差はそんなにつかない。しかし混乱期、コロナ禍のような大断層期においては、変わらなければ取り残される、いや消えてしまうこともある。だからこそ、変化しよう、変わるべきとなるが、物事には変えるべきこと、変えるべきではないことがあることは上述のとおりである。そして



変わること、変わらないこと。変えること、変えないこと。そこに「当事者」の意思がでてくる。いつからか日本は圧倒的な情報氾濫のなか、外から持ちこまれた価値観、どこかの学者や評論家やコンサルか誰かが言った美辞麗句のプランを簡単に仕入れて、自社が、自分が変えること変わることを決めて動くようになった。だから失敗する。
あなたはどう思うのか、あなたはどう考えるのかという「当事者意識」で意思決定しないといけない。


3.現代の若き革新者に、なにが欠けているのか?
時代の変革・大断層(リセット)ということは、「世代交代、年寄りから若者への交代」だと教科書的に考える。そこで若者の登場となるが、現代の若き革新者にやや迫力がない。
なぜか。何が欠けているのか。ひとつは上述の「当事者意識」である。自らで考えるということ。もうひとつある。やると決めたら「やり抜く」責任である。「やり抜く」責任とは



である。これは至極当然のことだが、それができない企業・人が増えた。始めたらきっちりとやり抜く、きっちり始末(物事のはじめと終わり。物事の締めくくり)をつけて終わらせる。これができない企業・人が増えている。何かを始めて、うまくいかなくなると、やめたり逃げたりする。踏みとどまって戦う(Stand Fight)などカッコ悪い。社会のせいにする、時代のせいにする、相手企業のせいにする、人のせいにする、コロナ禍のせいにする。どうなってしまったのか。

かつて「滅私利他」という言葉があった。今では死語に近い。



急速に膨張した日本社会での自意識・自由主義は、「己を殺して、他を生かす」という精神を「時代錯誤」にした。「己を殺すことは他を殺すこと」と考えたり、「己を殺すよりも己を生かす」と考えるようになった。

「滅私」が社会から欠けた。童話の「ウサギとカメ」のウサギ、「アリとキリギリス」のキリギリスに、目が向くようになった。ゆっくりからすぐに、他人のためから自分のために、頑張るから頑張らないに、日本人の価値観がこの10年、20年、30年と変わっていった。

若者・年寄り、男性・女性は関係ない。どこかちがっていると気持ちが「麒麟が来る」「晴天を衝け」の登場人物にオーバーラップさせているのかもしれない。コロナ禍の現在、腹を据え覚悟を決めた革新者の登場を求める


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 2月19日掲載分〕



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