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2020年10月08日 by 池永 寛明

【起動篇】ウチでもないソトでもない「まんなか」とは。



そこには猿や鹿が出没する。ツキノワグマも山にいる。庭に植えた花が抜かれたり、デッキのブランコに乗って栗を食べた跡もある。もともと獣道だった場所に、私たちが山小屋を建てたのだから、彼らからすれば私たちの方が闖入(ちんにゅう)者。週末に滋賀県高島で過ごすようになって14年。週末に大阪市内の自宅から車で2時間かけて琵琶湖畔に移動して、オンとオフを切り替えてきた。COMEMOは大体ここで書く。コロナ禍のなか、高島今津の私の山小屋の周りに移り住む若い家族が増えだした。


1.ワークとライフが溶け合い、大きく変わる場所


生業(なりわい)という言葉がある。もともとは「五穀が実るようにつとめるわざ」から「農業につとめる」となり「生活をしていくための仕事」に転じた。家でおこなう仕事で、勤め人が少なかった江戸時代・明治時代まで日本人の多くの仕事は生業だった。

コロナ禍で強制的にテレワークが求められ、「生業」スタイルとなった。
家を中心にワークとライフが溶け合っていくが、現在はかつての生業時代ではない。これまでの「ワークは外、ライフは家」という場のカタチが変わり、下図のように「ワーク」は拡張し、「ライフ」も拡張する。コロナ禍は社会的価値観を変え、「場」と「時」の概念を変え、構造を変えつつある。


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コロナ禍による場の集中と移動に伴う感染リスクを回避するため、オフィスのなかでの集団ワークはテレワークとなった。しかしいったん始まったテレワークの場所は家という場所だけにとどまらず、家を飛び出て、コロナ禍のなかで最大限「良い」仕事をするために多様化しつづける。
集中して仕事をするための場所、アイディアを考えるための場所、オンラインで話し合うための場所、一人ワーク・二人ワーク・チームワークをおこなうための場所というように「仕事をする場」を変えてく。仕事をする場所は近所のカフェやカラオケルームだったり公園だったり、コワーキングスペースやどこかのフリースペースだったり、セカンドハウスだったり、旅行先だったりする。さらにはワークしながら家族と遊び・休むというワーケーションだったりする。このようにライフとワークが混ざりつつ、仕事をする場は暮らしとともに多様化しはじめようとする。


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コロナ禍前は二項対立だった。オフィスのかわりは、サテライトオフィスかおしゃれなコワーキングペースかという二項対立で考えた。テレワークはオフィスワークの代替でなく、育児・介護のための手段だった。コロナ禍によって、テレワークが「仕事をする」場となった。


コロナ禍の「移動・行動制約」によって、リモートワーク・オンラインショッピング・オンライン診療、オンラインデリバリー、動画・音楽の配信サービス、オンライン教育、オンラインフィットネス、オンラインエンタメなど、これまで遅々として進まなかったモノ・サービスが一気に浮上した。
やってみたら便利が良い、これで支障ない、リアルよりもむしろ良い、移動しなくて家でできるので前より良い…、これらがワークとライフの強力なツールとなって、1日のタイムラインを変える。それは1日の時間配分にとどまらない。1週間のライフとワーク、1ヶ月のライフとワークの構造を変える。


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ライフとワークが溶け合う。ワークの領域にライフが入り、ライフの領域にワークが入り、混じりあう。混じりあうことで、ワークにもライフにも新たな価値が生まれようとしている。ワークとライフが二分していたコロナ禍前のスタイルから、ライフとワークが溶け合い、1週間、1ヶ月単位にみると、“ライフのなかにワークがある”というようになる。それくらいの大きな変化が現在進んでいる。


2.内と外・内でもない外でもない場 ―「間(あいだ)」「まんなか」



江戸時代、伊勢神宮詣りが流行った。
一生に一度は伊勢に行きたいと願った。そのために村や町の人はお金を出し合い、旅費を積み立て、くじで当たった人がお伊勢詣りをした。お伊勢講である。日本中から、伊勢神宮に旅人たちがむかう。江戸時代は自由に旅ができず、移動をするためには通行手形が必要だった。しかしお伊勢詣りは黙認され、ウチの町・村以外のソトを知るチャンスであった。そこでおもしろいことがある。伊勢神宮への出発にあたって、村・町の境界まで見送り、ウチとソトの境界で迎える。お伊勢詣りの道中の事柄はそこで聴く。ソトの事柄はウチとソトの間で聴いた。内にはそのまま持ちこまなかった。


家もそう。かつて、ウチでもないソトでもない「まんなか」があった。
ソトから入ってきた人は、ウチでもソトでもない「まんなか」である縁側でもてなす。近所の人とは、縁側で話す。家のウチには、そうやすやすと入れなかった。ウチに入れる人は、「ウチ」の人から認められた人。家の構造も奥に行けば行くほど内になる。


明治に入って、ウチトソトの「まんなか」が薄くなり減っていき、戦後の団地でなくなった。ウチとソトの境界がはっきりとさせ、ソトからダイレクトにウチに入れるようになった。もしくはウチに入れなくなった。ウチとソトがはっきりとなり、警戒されるか家族並みとなるか二分した。大半はウチに入れなくなった。玄関のドアも開けてもらえなくなった。

コロナ禍でウチとソトの構造が変わろうとしている。ウチとソトの境界が溶け合って、内に外が入り外に内が入ろうとしている。内でも外でもない場が広がりはじめている。


3.観光以上移住未満 ― 他拠点生活


「なぜそんなところに山小屋を建てたの?」と怪訝そうに見られていたが、コロナ禍になってから「先見の明があるね。コロナ禍後の社会を読んでいたみたい」といわれるようになったが、ちがう。「定年退職してのんびりしてから山小屋ですごすよりも、子どもたちに自然を体感してもらうため、若く元気な時に建てた方がいいのじゃない」と提案をした妻に先見がある。

山小屋を建ててから、東京に3年間単身赴任となった。妻は大阪市内の自宅。大学生の子どもたち2人は京都、週末に琵琶湖畔の山小屋に集まることもあった。みんなバラバラになったのではなく、SNSで四拠点でよりつながった。まさに分散しながらつながってきた。コロナ禍になる前から、仕事の目的ごとに「仕事をする場」を変えて仕事をしてきた。コロナ禍によって、オンラインによるリモートワークが社会で広く受け入れだしてから、琵琶湖を見ながらの仕事がいちばんはかどる。

 ■観光以上移住未満 ―「高島縁人」


       


その滋賀県高島市に「高島縁人」という取り組みがある。観光者と定住者の中間の層のことをいい、滋賀県高島市に何らかの縁やゆかりを持つ人たちを増やそうという取り組みで、いわゆる「関係人口」(移住した「定住人口」ではなく、観光に来た「交流人口」でもなく、地域や地域の人々と多様に関わる人々のこと)である。
私はその「高島縁人」である。高島縁人登録?3をいただいている。“観光以上移住未満”であるが、コロナ禍となってニ拠点生活・多拠点生活へのハードルが下がった。商業施設の少なさはオンラインショッピングでカバーでき、会議も講義もエンタメもオンラインで十分だし、むしろ琵琶湖の波を聴きながらどこの人ともつながれ、良い仕事ができる。高島トレイルを歩きながらオンラインミーティングに参加できる。ドローンの自由化とオンライン診療がさらに整備されたら、都心よりも快適となり、仕事がすすみ、想像力も創造力も湧く。なによりも気持ちいい。
今までの「条件地」の概念が変わり、「条件不利地」が選択されようとしている。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞COMEMO 10月7日掲載分〕


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