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2020年02月17日 by 池永 寛明

【交流篇】3週間後に、お会いしましょう



診察の最後に、主治医はいつもそういってくれる。1年前、弟が癌で逝って半年後の検査で、家族に癌が見つかった。手術をしたあと、3週間ごとの抗癌剤治療をうけている。主治医は抗癌剤の副作用の影響などの話をじっと聴いたあと、物静かに説明をしてくれる。最後に「3週間後に、お会いしましょう」と笑顔で言ってくれる。3週間ごとの主治医との対話に、救われている。「3週間後に、お会いしましょう」といって患者の不安な心に寄り添って、勇気づけてくれる「心医」である。


物事の本質をヨーロッパ文化圏の人たちは「観念」でとらえるのに対して、漢字文化圏の私たちは「光景」でとらえる。目に映る景色や物事のありさま=「光景」で理解するのが中国人であり日本人だった。この光景を漢字に込めた。

「きく」には、いろいろな漢字があるが、そのひとつ「聞く」は英語の“hear”で、音声として自然に耳に入ってくるシーンを表現し、「聴く」は英語の“listen to”で、耳を傾けてきこうとするシーンを表現するものとして何千年も後世に伝えてきた。

近年、これら漢字に込められた思想・哲学が欠落していき、都合のよい解釈に変えられていく。「聞く」と「聴く」の本来のシーンの意味が忘れられ、たとえば ”何時間も待ったのに、診察はたったの5分で、しかもパソコンばかりを見て、こちらの話を聴いてくれない” というようなことが増えてきた。「聴く」ではなく「聞く」医者が増えてきた。「聴診器」というのに。

 

冒頭の癌科医の診察室で繰り広げられているのは、「オープンダイアローグ(開かれた対話)」。患者の話に耳を傾け、患者の心のシーンを想像し、心でとらえた言葉でかえしあうことで対話が深くなり、心と心がつながる。しかし世の中、対話が成り立たないシーンの方が増えている。


議論がかみあわない。
高校生と大学生のワークショップに参加した。あるテーマに関する各班のプレゼンテーションは抜群。広範囲に情報を収集し、集めた情報を上手につないでストーリーを組み立てる。さらにTEDトークのように、身振り手振りを加えたプレゼンに、圧倒された。
ネットで短期間に “情報”を収集し編集しプレゼンする若者たちが育っている。さらにプレゼン後、ワークショップに参加している高校生・大学生からの質問に対して、“ご質問をいただき、ありがとうございます”と丁寧にお礼を述べたあと、堂々と質問に答える姿もすごい。
しかし、完璧と思われた高校生のプレゼンと受け答えも、傍聴席の「大人」からの質問で、突然、乱れる。テーマから若干離れた「大人」の質問の「意味」が判らない。「大人」が質問している事柄はわかるが、それをなぜ質問するのか、なぜ訊(き)くのかという「意味」がわからない。



「対話」が成り立たない。
大人がエンコーディング(暗号化)した質問を高校生はディコーディング(解読)できない。さらにそれまでの同世代間の「内輪」での対話もうまくいっているように見えたが、表面的で深くならず広がらず、実は対話が成り立っていなかった。お互いがトークしあっているだけで、混じりあわない空中戦だったことに気づいた。
対話が成立しないのは高校生だけではない。大学生でもそう、企業でもそう、ワークショップとかグループディスカッションは一見成立しているようだが、実は成り立っていないということをとみによく聴く。


自己中心で、他人に関心がないのだ。
自分の好きなことばかりを主張したり、自分のことばかりをうちだしたり、自分だけを大事にしなければと考える時代である。SMAPの「世界に一つだけの花」のように、一人一人、ひとつひとつの考え、主張を尊重するセンスも大事だが、それと同じように他人の考えや主張に耳を傾けて聴き、認め、敬服するというセンスをバランスさせて身につけないと、話がまとまらない。
みんなが違う意見を主張しつづけたら、最後まで話がまとまらない。自らの意見を堂々と熱っぽく話るのはいいが、他人の意見を聴いて自分の意見よりもいいなと思ったら、相手の意見を認めて、自論から切り替える柔軟性が必要なのに、自分の意見に固執しつづけるようになった。なぜそうなったのか。

「なぜ譲るの?譲ったらだめよ。いちばん目立たないとだめ」
と有名幼稚園入試のロールプレイで親が子どもに注意する。自分の意見を主張しないと良い点をとれない。小学校もそう、中学校もそう、高校もそう、大学もそう、企業もそう。自己主張しないと、目立たないと、入試も入社試験も昇格試験も勝ち残れない。こうして自己主張ばかりして、他人の意見に耳を傾けない人が増えた。このようにして統合する力、まとめる力が弱い日本人が増えた。


Aという意見とBという意見が出た。それでどうする?
■ それぞれの意見を一緒にして、さらにいいものにする(A+B=X)
■ AとBを比較していい意見を選択する(A or B→A)

のどちらかである。人と人が対話して決めないとまとまらないが、対話が成立しないのでまとまらない。他人の言うことに耳を傾け評価したり、敬服したり、感服することは“負けた”わけではないのに、負けたと思い、他人の話を聴こうとしなくなった。


そのくせ、“自分の話は聴いてくれなかった”と不平を鳴らす。
自己主張して、相手に受け入れられなかったら、“聴いてもらえなかった”と反発する。こう思っていたけど、相手の話を聴いてみたら、そっちのほうがいいなと思って、受け入れるという「柔軟性」が日本社会から減っている。
マネジメントする人もそう。AとBとが言い合っていたら、“今回はAの意見にする”と決めて、自論に固執するBに対して、Aの意見に決めた理由をきちっと説明して納得させなければならないが、それをしないで“AとBの2人で話し合って決めて”と任せたりする。上司の「分(役割)」を果たさない上司が増えている。


よってネットで一人一人のプレゼン力は飛躍的高まっていくが、人と人との対話(オープンダイアローグ)ができないので、最適解を導いたり、AとBの融合による新たな解がうまれなくなりつつある。


日本企業の部品なくしてスマホは一台も動かないが、部品を統合してパッケージしてスマホを日本企業がつくることができなくなった要因のひとつに、この「対話する力」の低下があると思うが、どうだろうか。あなたは他人の話を聴いていますか?聞いているのではないですか?


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 2月13日掲載分〕