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2020年01月15日 by 池永 寛明

【耕育篇】おむすびとサンドイッチ


イタリアのミラノで、「MUSUBI」という店が人気。
「おむすび」が世界商品になった。それとともに、海苔の輸出が増えている。供給が追いつかないほど、日本海苔が売れている。海苔はもともと海藻。海苔は醤油をつけて、ごはんにのせて食べることもあるが、ごはんがばらばらにならないよう、海苔でごはんを巻く。


おむすびもそう、巻き寿司もそう。副食である海苔で、主食であるご飯をつつんで食べる。それがどうしたと思われるかもしれないが、日本の食を考えるうえで、「おむすび」こそ象徴的である。


東南アジアの食卓には、コメでつくった皮が並ぶ。コメでつくった皮で、野菜などの具をつつんで食べる。中国の餃子もそう、主食である小麦でつくった皮で、具をつつむ。中国などでは小麦でつくった皮で、タイやベトナムなどは米でつくった皮で、具をつつむ。


このスタイルは、メソポタミア文明で発明された。
人々がシルクロードを歩き、モノを作ったり交易したり住みついたりして、食スタイルも東に西にひろがった。小麦の粉を広げて生地をつくって、具をつつんで食べる。小麦粉は消化しにくいので、加熱したり焼いたりする。ヨーロッパもアジアも南アメリカもアフリカも、その食べ方である。世界では米や小麦という主食を原料にして皮をつくり、副食である具をつつんだりのせたりして、食べる。


近代に生まれ普及したサンドイッチ、ホットドック、ハンバーガーなどもその系譜にある。主食である小麦でつくったパンで、副食の具をつつんで食べる。そのスタイルが日本にも伝播する。明治に入って創意工夫されて普及した「お好み焼き」もこの系譜である。


しかし日本由来の食には、それがない。
餃子やサンドイッチやハンバーガーのような海外から入ってきたものを別として、日本では副食である菜(さい)で、主食であるコメ・ごはんをつつむ。日本人にはコメを原料にして何かをつくるという発想はなかった。ごはんはごはんだった。コメを粉にして食べるなんて、バチがあたる。コメは粒として食べるもの、コメは粗末にしてはいけないと日本人は教えられてきた。世界は主食の小麦でつくった皮で、副食の具をつつむに対して、日本はその逆である。日本と世界では主と副が逆になっている。これには意味がある。


コメは中国・東南アジアから入ってきた。
しかしそのまますんなりと、コメがうまくつくれたわけではない。東アジアでの直播きというコメの作り方は、日本の気候や風土にはあわなかった。そこで古代の日本人はまずコメの種を「苗代」で優しく育て、成長した苗を田圃に植え、水を引いて肥料をやり、夏の台風や渇水など自然の試練に地域のみんなで対処して、丹精込めて丁寧に育てて収穫するという日本独自の米づくりをしてきた。それだけ苦労してつくった米だから、無駄にはできない。さらにコメは大事にしないといけないと、「米俵」という保存方法を日本は考えた。米のわらを編み脱穀したコメを入れてつつみ保存する仕組みをつくった。この方式は世界にない。

文化とはカルチャー。この語源は「耕作する・栽培する・繰り返す」という方法論。文化の本質はここにある。

だから日本人はコメを粗末にしない。小さな頃、ごはん粒を残したら、「目がつぶれる」と教えられた。コメは何よりも大切だった。

各家、コンビニでの呼び名がちがう。
“おにぎり”といったり、“おむすび”といったりしている。“おにぎり”は作り方由来であるが、“おむすび”とはなにか。むすびの「ムス」とは「産す」を意味(生まれた男の子をムス・コ(産彦)、女の子をムス・メ(産姫)という)し、「ムスビ」とは何かが生まれようとしている様(さま)をさす。この“むすび”という日本的な精神性を主食“おむすび”にこめる。ここにも日本的なものづくりの本質が活きている。
            

 〔「日本語り抄」(編集工学研究所)参照 〕


日本人が「餃子定食」を食べている姿を、中国人は見て驚く。
中国では、餃子とご飯が一緒にでてくることなどなかった。中国の食卓には、餃子がいっぱい並ぶ。具材がたっぷり入った小麦の粉でつつまれた餃子がメインである。10年前ならば、どうして日本人はメインである餃子でご飯を食べるのだ?と思っていたが、中国人は最近いわなくなった。日本的な食スタイルが受け入れられだしている。


いろいろな食スタイルが日本で融合するものの、基本である主食と副食の構造はかわらない。おかずだけの弁当はない。主食であるごはんがないものはない。コンビニでも、「おむすび」「おにぎり」が最も売れる商品アイテムのひとつ。その「おむすび」が世界に広がり、受け入れられる。


食文化は、必要性があってうまれる。
日本の食で全国共通なのが主食である「おむすび」。おかずは副食、これは地域によってそれぞれ。平地や海には、おかずになるものがふんだんにある。平地には畑にあるもの、海ならば海で釣れたものをさばいたら、おかずとして食べることができた。だからおむすびだけをもっていって、仕事に出ることもできた。
しかし昔、山の仕事は山に入ると、何週間も家に帰ってこれないことがあった。おむすびだけを持っていつても、山には菜がない。山菜はあるが、あくを取らないと食べられない。山には人がそのまま食べられるものが少ない。仕事をする前に、ごはんと菜をまぜて五目ごはんをつくって、山に入った。五目ごはんは、山での食生活ではなく、山で働く人のための食である。五目ごはんは山で生まれた。


食は必要性があって生まれる。食だけではない。理由のないものはない。なにごとも意味がこめられている。それがないと、それがわからないと、ただの「モノ」になってしまう。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 1月10日掲載分〕


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